ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

衆院選:兵庫県芦屋選管 視覚障害者に投票所入場券届けず

2014年12月17日 01時39分08秒 | 障害者の自立

 14日に投開票された衆院選で兵庫県芦屋市選管は15日、市内の視覚障害者8人に投票所入場券などを届け忘れたと発表した。入場券に点字シールを貼るなどした後、対象者の自宅に選管職員が出向いて届けるはずだったが、職員間の引き継ぎミスで市役所内に置き忘れたままになっていたという。

 市選管によると、入場券などを届け忘れたのは市内の40〜70代の男女8人で、うち1人は投票した。市内の視覚障害者のうち希望した人に、点字シールを貼った入場券と一緒に、期日前投票の案内▽点字で印刷した候補者紹介などの冊子▽冊子の内容の音読を録音したカセットテープ−−を届けるはずだった。

 事務局長は8人の入場券を取り分け、市役所内の倉庫に保管。だが職員への引き継ぎが不十分だったため放置され、冊子なども別の部屋に置かれたままだったという。

 市選管には14日、「点字の投票入場券が届いていない」という問い合わせが2件あり、職員は「入場券がなくても投票できる」と説明したという。15日に記者会見した事務局長は「大変申し訳ない」と陳謝した。職員が8人と面会して謝罪する方針。

毎日新聞 2014年12月15日 



障害者スポーツ普及を 道東地区指導者協議会が発足

2014年12月17日 01時30分00秒 | 障害者の自立

 【浦幌】十勝、釧路、根室の3管内で活動する障害者スポーツ指導者と選手、保護者、サポーターが集結する「道東地区障がい者スポーツ指導者協議会」の設立総会が14日、浦幌町コスミックホールで開かれた。各地区の指導者・選手ら約40人が集まり、道東全域での障害者スポーツの普及を「全員参加で着実に進める」ことを決めた。

 3管内の連携組織は初の試み。総会では十勝地区障がい者水泳懇話会の真田正樹代表(帯広水泳協会理事長)が発起人代表としてあいさつ、「障害を持つ子供の水泳指導に取り組み、スポーツで元気になる姿を目の当たりにしてきた。これを広めるために3管内で力を合わせる組織を」と述べた。議事では来年度に初級障がい者スポーツ指導員講習会を帯広で開催するための準備を進め、情報発信のためのホームページ開設などを決めた。

交流会で電動車いすサッカーを実演する千葉絵里菜選手

 役員人事では真田氏を会長に選び、顧問には久門好行浦幌町教育長、金澤耿帯広市文化スポーツ振興財団理事長が就任した。

 総会に続いて交流会が開かれ、十勝の障害者アスリートが競技を紹介。磯崎光瑠選手(幕別町)が電動車いすスラローム、千葉絵里菜選手(帯広市、札幌学院大)が電動車いすサッカーを実演して拍手を浴びた。同協議会の連絡先は、福祉車両・用具改造ショップのイフ(0155・38・8380、内藤さん)へ。

2014年12月16日       十勝毎日新聞


陸前高田/障害者の力生かせるまちを 事例示しシンポジウム

2014年12月17日 01時23分58秒 | 障害者の自立

 陸前高田市の一般社団法人生命環境産業振興協議会(理事長・清水健司岩手大教授)は14日、市役所で「誰にも居場所と出番のある陸前高田の復興まちづくりを考える」と題したシンポジウムを開いた。

 就労困難者の雇用創出に向け活動するアイエスエフネット(東京都)の渡辺幸義(ゆきよし)社長が講演。身体、知的、精神障害者が同じ業務に従事する形態やパソコンを使うIT業務での障害者雇用など同社の取り組みを紹介。「社内で彼らを重要な存在だと受け入れる態勢が必要」と説いた。

 渡辺社長ら有識者4人によるパネルディスカッションも行われ、気仙地域の資源、コミュニティーの強さなどを土台に、障害者らが能力を生かせるまちをどのように実現するかを議論した。

 シンポジウムは同市が掲げる「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちの実現」に基づき、就労困難者が生き生きと暮らせるまちづくりを目指す復興庁の事業「けせん匠(たくみ)のがっこう」のキックオフイベントとして開かれた。

(2014/12/15)     岩手日報


ニューヨーク市で、トランスジェンダーが転換手術せず性別の変更可能に

2014年12月17日 01時19分07秒 | 障害者の自立

これまでニューヨーク市では、トランスジェンダーの人が性別を変更するには、性転換手術の証明が必要だった。しかし今回、手術をしないでも出生証明書の性別を変えることができる、という法案が可決された。

この法案を10月に提出したのは、市評議会委員のコリー・ジョンソン氏。12月初旬に行われた投票において賛成39人、反対4人、棄権3人という結果となり、成立した。

性別を法的に変えられず多くの障害が

トランスジェンダーとは、生まれつきの身体の特徴と、自分が意識する性とが一致していない人を指すが、法律上性を変えられなかったことで、彼らは多くの障害に直面せざるを得なかった。

就職ができなかったり、詐欺として告訴されたり、嫌がらせや危害を加えられてきた。

ジョンソン氏は、NY Daily Newsの中で次のように語った。
「性は肉体的なものではない。つまり体が決めるのではない。本人がどのように自分を見るかによって決まるものだ」

すでに5つの州で変更が可能に

実はすでに、カリフォルニア州やアイオワ州、ヴァーモント州、ワシントン州において、手術の証明をせずに、出生証明書を書き換えることができる。また今年の初めには、ニューヨーク州でも同様の法案が可決されていた。

しかし、州とは異なった記録システムを持っていたニューヨーク市は、そこに加わっていなかった。

日本では家庭裁判所の判断が必要

日本では2003年7月に「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律(GID特例法)」が成立し、戸籍の性別変更の道が開かれた。しかし性を変えるには、家庭裁判所の審判を受けなければならない。

しかも請求できる条件とは、20歳以上、未婚、「子がいないこと」に加え、「生殖腺がない。または生殖腺の機能を永続的に欠く状態であること」「その身体について、他の性別に係る身体の性器に係る部分に、近似する外観を備えていること」という要件が必要とされている。

また請求の際には「同項の性同一障害者に係る前条の診断の結果、並びに治療の経過及び結果、その他厚生労働省で定める事項が記載された医師の診断書も提出しなければならない」としている。

しかし法律が定められている一方で、日本ではまだまだ性転換手術に関する医療体制が十分に整っておらず、トランスジェンダーの人々への差別意識も変わらず、就職事情も厳しい状況にあるという。

2014年12月16日        海外ニュース・国内ニュースで井戸端会議


発達障害の「診断」が、学校を「医療」の場にしている!?

2014年12月17日 01時12分10秒 | 障害者の自立

 先日ある発達障害を扱った雑誌に、公立学校の先生が執筆された、「教育の医療化」というテーマのコラムを見つけました。現場教員を含めた教育関係者が、「医療の言葉と物さし」で子どもを見ていて、人としての子どもを見る視点が乏しくなっていることへの警鐘ともいえるような内容でした。発達障害という言葉と概念が学校現場に定着するにつれて、その傾向が強くなっているということです。昨年、精神保健福祉士の研修会で発達障害について講話をした際には、教員としての勤務歴のある参加者から、「知名さん、学校現場にこれだけ診断を広めた『犯人』はいったい誰なんですか?」と尋ねられました。

  私が本格的に発達障害の子どもたちの支援に関わり始めた2000年初め頃は、「発達障害」という言葉は教育の中ではほとんど知られておらず、「学級崩壊」という言葉が流行語大賞に選ばれた頃でした。教室では、「とにかく難しい子どもたち」「手に負えない子どもたち」が増えていて、その対応に追われているという現状があったように記憶しています。それと比例するように、2000年あたりからうつ病など精神疾患で休職する教職員数が急増しています。「どう理解・対応していいかわからない」ような子どもたちが増える状況で、「診断」に象徴される医療の視点が、当時の教育にそれまでとは違った子どものとらえ方を提供したのだと思っています。それが先ほどの方が尋ねられた「犯人」に相当することなのだろうと思うのです。

  「診断」というのは本来困っていることや問題(症状に相当する)を整理して、それに名前をつけたものです。その「名前」(=診断名)をもった人や子どもの「特徴」の把握がしやすくなり、「見通し」を持った対応が組み立てやすくなるというものです。日常的に発達障害の子ども達と接する学校では、「診断」が出ることで彼らの迷惑行為や問題行動を客観的に見ることができ、感情的にならず冷静に対応できるようになるわけです。

  発達障害のことが学校現場に浸透していない頃の話です。小学校2年生にしては体格のいいツトム君(以下、名前はすべて仮名)は、「ジャイアン」を思わせる学校では有名な「乱暴者」でした。いつも、「おい、お前○○○しろ」とか「あいつの○○○使わせろ」なんていうのを大きな声で言うので、同級生からは怖がられ、彼のことをよく知らない子ども達とはトラブルになり、時には先生ともトラブルになることさえありました。担任の先生や学校全体が彼の行動には困っていました。もしやと思い、お母さんにお願いして心理検査を受けに行ってもらうと、言葉の能力を示す値がかなり低いことがわかりました。全体的な知能指数の低さからすると軽度の知的障害と判断されてもいい境界ライン。言葉の能力だけが著しく劣っているところからすると学習障害の疑いがありました。

  彼の行動に困っていた担任のたか子先生とそのことを共有しました。その後先生は、なるべくツトム君と雑談をするようにすると、ツトム君が他の子ども達を「あいつ」とか「こいつ」と呼ぶのに気づいたのです。子ども達の名前を尋ねてみると驚いたことに、彼はクラスの子ども達の名前をほとんどわかっていなかったのです。そのかわり、「サッカーうまいやつ」とか「カードたくさん持ってるやつ」とか「ダンスやってるやつ」とかっていう伝え方をしてきたのです。たか子先生は、「確かに、言葉の問題あるかもしれない。国語ができないのは、授業中落ち着いてないからではなくて、国語の授業がわからないから落ち着いてないのかもしれない」と、これまでの考え方を逆さまにしてとらえるようにすると、ツトム君のことがわかりやすくなったということでした。これは当時の教育現場ではあまり見られなかった「視点の転換」でした。たか子先生も「心理検査で子どものいろんなヒントがもらえるんですね」と話していたのを覚えています。

  たか子先生はもうひとつツトム君についての発見がありました。ツトム君は、だいすけ君のことを「サッカーがうまいやつ」、かなみちゃんのことを「ダンスできるやつ」という彼なりの名前でしかお友達を覚えていません。たか子先生がツトム君の発する名前を注意深くきいていると、みんなのプラスの特徴を名前にしたものだったのです。たか子先生はツトム君が、だいすけ君のことを「サッカー」、かなみちゃんのことは「ダンス」のように、みんなの「いいところ」をニックネームにするのが得意だということをクラスの子どもたちと共有しました。するとそれぞれのいいところをニックネームにするのが、このクラスの文化になっていったのです。それはツトム君にとってはとても嬉しいことでした。彼の言っていることがみんなに通じるようになるし、自分のやり方が他の人のやり方になるし、親分気質の強い彼の自己評価をあげてくれるものでした。これまで怖がって近寄らなかった子ども達も、少しずつツトム君との接触が増えてきました。

  「発見」は先生だけのものでもありませんでした。ある日の休み時間クラスメートのよっちゃんに、「宿題書け、宿題書け」と言っているツトム君の前を、たか子先生が通りかかりました。身体の小さいよっちゃんに脅しをかけていると思った先生は、「ツトム君、そういう命令しちゃいけないでしょ」と言いました。すると、よっちゃんが、「先生、ツトム君、宿題教えてって言ってるんだよ」と。「書け」というのは「教えて」という意味で、「使わせろ」は「貸してください」などと、さまざまな「ツトム語」があることを、子ども達は彼との接触からわかっていたようです。もちろんその後、たか子先生はツトム君の日本語矯正に乗り出したわけです。あれから10年ほどたちますが、ツトム君は今年高校を卒業して大学生になっています。

  ツトム君にとってのいい循環は〝診断もどき〟から始まりました。先生がツトム君を客観的に見ることで過度に感情的にならず、そして視点を変えてみることで、彼を再発見し、それが彼の対応の発見へと結びついた例です。診断が、「子どものとらえ方の変化」→「試行錯誤」→「対応の試行」→「新たなる発見」→「あらたなる対応」という循環を作りだしていました。このプラスの循環は、問題を抱えた子ども(のケース)では、改善に向かうための理想的な循環だと思います。しかし、この循環は「診断」がないと作られないものなのでしょうか? このエッセーの冒頭に紹介した「教育の医療化」への批判の一つが、このような疑問なのだと思うのです。

  私たちは「診断」というと「高血圧」とか「高血糖」という医学的診断・説明を連想します。「高血圧」とか「高血糖」と言われた際には、専門の先生に「どうすればいいんでしょう?」と尋ねますよね。内科の問題っていうのは、「診断」と対応・対処がセットになっていることが多く、その答えを専門家である医師や看護師、栄養士などが教えてくれるという構造でやりとりしていきます。ところが、発達障害の診断は内科疾患の診断とはそういう点で大きく違います。診断でおおまかな特徴は把握できても、「この子(個)」の特徴に多様性がありすぎて、診断だけでは対応を一概に判断できないのです。診断や(心理)検査はせいぜい「仮説」を提供するくらいのものです。その子どもの特徴については、結局先生や保護者の試行錯誤と発見に委ねるしかないのです(「試して発見」と呼んでます)。上の例のたか子先生がいい例だと思います。

  にもかかわらず、多くの現場の先生が「アスペルガーと診断された子どもの対応を教えてください」という質問を、多くの「専門家」と呼ばれる先生方に尋ね歩く現状があるわけです。「診断」という医療の営みが、学校の先生の「考え・試して・発見する」機会を奪っている(思考・試行停止)状態を招いているとも考えられる状況です。診断も検査も結局は「仮説」くらいなものだと考えると、最終的には自分で試して、自分で発見するしかないのです。「教育の医療化」への批判には、そういう教育現場を振り返ろうという見方が含まれているのだと思います。

  • 知名孝(ちなたかし)
  • NPO法人ぺあ・さぽーと理事長/沖縄国際大学人間福祉学科准教授。

1962年那覇市生まれ。1986年日本福祉大学社会福祉学部(Ⅰ部)卒業。1990年沖縄県人材育成財団米国長期留学生としてスミス大学ソーシャルワーク研究科(1992年修了)。その後いくつかのアメリカの(児童思春期・成人)の精神保健福祉施設にて勤務。1998年より、いずみ病院(精神科病院)相談室、ファミリーメンタルクリニック(児童思春期心療内科)にて相談業務・地域支援業務を行う。そのかたわら、発達障害児の児童デイサービス・ショートステイを運営するNPO法人ぺあ・さぽーと設立。発達障害児をかかえる保護者のためのペアレント・トレーニング、教育・保育関係者のためのティーチャーズ・トレーニング、成人アスペルガーの会「スカイ」、ひきこもり青年をかかえる親のサポートグループ「つどい」の設立・運営に関わる。

2014年12月16日      沖縄タイムス