ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者情報バラエティー・バリバラの攻め

2014年12月14日 01時26分56秒 | 障害者の自立

攻めまくりの番組「障害者情報バラエティ・バリバラ」(Eテレ)。
統合失調症の青年を主人公としたドラマ「悪夢」でも相変わらず攻めまくっていました。

この番組を見ると障害者に対する思い込みが180度ひっくり返ってしまいます。

ごめんなさい、正直に言います。
障害を持っている方は表(外出という意味でなく)に出るのが苦手で、引っ込み思案で、内にこもっているという先入観を抱いていました。

よく考えてみれば、障害者健常者関係なく、積極的な人消極的な人、人目を気にする人気にしない人は、等しくいるわけです。~だから~、という思い込みはとんでもない。反省しきりです。

自分の身の周りに障害者はいなく、接する機会はほとんどありません。

だから、というわけでもないでしょうが、自分を振り返ると、街で目にするとき接するとき、「かわいそう」という感情があったのは確かです。

かつて駅のホームで杖をついた視覚障害の方が迷っているとき、声をかけ、目的地まで同乗していったことがありました。その帰り道も、家に帰ってからも、夜寝るときも、ああ今日オレっていいことしたな、の高揚した気持ちに包まれていました。その気持ちはしばらく続き、その後も鮮明に思い出せるほど、強い記憶として残っています。

いいことした。この自己納得感、ってなんだろう。

健常者でも道に迷うことはある。そんな時、どんなに困っている風でもおそらく声をかけるまではしないと思う。
あきらかに視覚障害だったから、その時は声を欠けた。この違いはなんだろう。やはり、「かわいそうだから」なんだろうか。
これはよく言う「偽善」ってやつなんでしょうか。

ずっと前に、「ここが変だよ健常者:健常者のNG」を特集していた。
健常者が良かれと思う行動が、障害者自身にとっては、それほど嬉しくない、という事例を(バラエティーだから面白おかしく)紹介していた。

親切心で車椅子を駅まで押していったが、着いたそこは階段しかない入口。
本当はエレベータのある入口に行きたかったが、「いいからいいから」と強引に車椅子を押されて「ここじゃないんです」と言い出せなかった。

やってあげようという気持ちが強すぎると、相手を思いやれなくなってしまうという、レベル1「ありがた迷惑型」。

多目的トイレの場所を尋ねたら、車椅子を押して案内してくれたはいいが、中にまで入ってきて、次なる介助(パンツを脱がして便座に座らせるとか)を頼まれるのをじっと待たれて困った。

障害があるとなにもできないと思い込んでしまう、レベル2「思い込み型」。

電車を待つ視覚障害者を車内に案内し、優先席に座っている人を強引にどかせて座らせようとする。

オレは弱者の味方だと悦に浸る、レベル3「勧善懲悪型」

他にも、視覚障害は、机の上のものを教えてもらう時、手をとって「これ」と運ばれるとホントは困るという。
いきなりそのモノに手を持っていかれると、机の大きさや距離感、他になにがあるのかなどが分からなくて逆にとまどうらしい。

口の動きを読む聴覚障害の人は、例えば、「りんごをください」だったら、「り」「ん」「ご」「を」「く」「だ」「さ」「い」のように、単語をひとつひとつ区切られると余計分からなくなるらしい。
区切るならば「りんごを」「ください」がありがたいと。

日頃障害者の方と接する人にとっては当たり前のことなのかもしれないが、自分にとってはけっこうショックな健常者NGだった。

番組内でも言及してたけど、
視覚障害の人を前にして、コトバで「手をあげて」「そのまま前へ」「もう少し右」「左」なんて教えている健常者の姿を見たら、おいおい手を持って示してやれよ、冷たいな、と見てしまうのではないだろうか。
実はそうではなかったのだ。

知らないってことはホントおそろしい。知るための努力なんてしてこなかったし、知ってもらうPRの機会にも接してこなかった。自分は助ける立場だ、という無思考で勝手な思い込みによる行動で、「いいことした」感に浸っていたことが恥ずかしい。

番組では最後に障害者の方々が一様に語っていた。

親切はありがたい。好意はうれしい。
でも、その場で断ったり、注文をつけたりすると、車椅子とか障害者に対する印象が悪くなってしまう。
自分が断ったあと、手助けを必要としている障害者とその人が出会うかもしれない。
その時、ヘルプをしてもらえなくなる。だから、健気な障害者を映じるときもある。

この問題は、健常者と障害者という図式に限った話ではないかもしれない。
健常者同士、大人と子供、男と女、日本人と外国人。人と人すべてに共通することなのかもしれない。
欠けているのは、コミュニケーション。と、番組では言っていた。

「なにが必要ですか」「手伝うことありますか」「大丈夫です」「ここまでで結構です」「あとはひとりでできます」
お互いに、相手を思いやる気持ちが強ければ強いほど、そんな簡単なコトバさえも、忘れてしまう。

ホント簡単なんだけど、簡単なことほど、難しいのが現実だから、なかなかうまくいかないんだよな。

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知的障害者によるパンクバンドを追った『パンク・シンドローム』

2014年12月14日 01時24分39秒 | 障害者の自立

めちゃくちゃ面白いひとたちだ。「精神科施設では豚のエサを食わされる」「グループホームは嫌いだ 施設には住みたくねぇ」と、閉塞感に満ちた生活と社会への不満をぶちまける自作の曲とライブも、異常に服の縫い目に執着してしまう癖も、プライドが高く喧嘩して罵り合ってばかりのところも、それをけっこう放っておくマネージャーとの距離感も。
フィンランドの知的障害者4人で結成されたパンクバンド、ペルッティ・クリカン・ニミパイヴァトの日々に密着したドキュメンタリー『パンク・シンドローム』は、音楽にも人生にもパンクに生きるおっさんたち(一部実家暮らしのアラサー男子)を、上から目線でもセンチメンタルなドキュメンタリー目線でも、過剰な愛情を持つでもなく、「中の人」的な平熱でとらえている。だからこそ彼らには笑えるし、やるせない気持ちになったりするけど、めんどくさっ!とも思ってしまう。彼らのことを伝えるのに、下手な作り手目線は不要なのだろう。来年1月17日(土)から、東京シアター・イメージフォーラム他にて公開。

2014.12.12 23:16       RO69


香るドレス、手話で祝福…障害者から全ての人を幸せにする挙式を

2014年12月14日 01時20分51秒 | 障害者の自立

 ホテル勤務や旅館の総支配人などを経て、障害者向けのウエディング事業を開始した川端教子さん(56)。接客業の経験を生かし、顧客の気持ちに寄り添った質の高いサービスを目指す。将来的には婚礼の分野にとどまらず、障害者や高齢者の生活を支援する事業を国内外に展開していく考えだ。

 --ホテル業界で長く働かれていたんですね

 29歳で大阪のコンピューター会社の秘書から当時、香港でオープンしたホテル日航に転職しました。VIP対応やクレーム処理などを担当していましたが、帰宅できない日もあるハードワーク。香港に来て約3カ月で体調を崩して入院してしまったほどです。それでも周囲の励ましのおかげでホテルの仕事を続けることができ、その後もヒルトンやハイアットといった外資系ホテルで働きました。

 --帰国後は一時期、京都・本能寺に隣接する旅館の総支配人を務められました

 トップとしてスタッフの潜在能力を引き出すことに力を注ぎましたが、このときにはすでに、自分の会社を立ち上げたい思いはありました。

 --ホテルを経営したくはなかったんですか

 ホテル業界に向けて新事業を提案するビジネスに興味がありました。実はホテルの勤務時代に障害者向けウエディングを提案したことがあるのですが、上層部は首を縦に振らなかった。時期が早すぎたんでしょうね。いまは東京五輪を控え、施設のバリアフリーの充実が注目されています。

 --今後の展開は

 歩行が難しい女性でも自然な立ち姿を演出できる電動車いす「Isco(イスコ)」事業は肢体障害者向けに国内外で展開します。同時に、目や耳が不自由な方々のためのプランも準備したいと思います。

 --具体的には

 たとえば視覚障害者の花嫁に、本人の好きな香りがついたペチコートをスカートの下にはいてバージンロードを歩いてもらいます。

ドレスに香りがつくことで自分の目で見られないウエディング姿を想像できます。また聴覚障害者には、列席者に手話で祝福の言葉をかけてもらう演出などを考えています。

 《ほかにも、イスコの座席シートや肘かけ、ウエディングドレスのインナーに肌に優しい医化学的繊維を使用している》

 --こだわりが細部に行き渡っていますね

 ささいなことでもお客さまに寄り添った丁寧な対応が大事。ホテル時代に学んだことですが、思いをこめたサービスは時間がたっても心に残ります。

 --結婚式以外のビジネスも考えていますか

 まずはイスコを活用したウエディングを実施してくださるホテルを国内で一つでも多く増やしたいです。またイスコは、上下運動や小回りが自由にできる利点を生かして、美術館や水族館でも活用が期待できます。高齢者の方が自宅で家事をするにも便利です。今後は婚礼ビジネスに限らず、すべての人を幸せにする事業を国内や海外に発信していきたいですね。

プロフィル 昭和33年生まれ。ホテル日航をはじめ、ヒルトン、ハイアット、二期倶楽部など国内外のホテルで22年間勤務した。そのうち12年間を香港やグアムで過ごす。

現在は、自ら起業した「スマイル エッセンス合同会社」の最高経営責任者(CEO)を務め、障害者に寄り添ったウエディングなどを提供する事業を展開している。

2014.12.13 07:00      産経ニュース


農福連携が加速 東大阪に水耕栽培・販売拠点

2014年12月14日 01時14分27秒 | 障害者の自立

 障害者の働く場の拡大につなげる「農福連携」。全国的な動きになる中、大阪府内でも社会福祉法人「大阪手をつなぐ育成会」が野菜を水耕栽培、販売する「支援センターつなぐの」(東大阪市)を立ち上げた。栽培した作物に対する市場の評価は高く、働く場の参考として障害者の保護者が見学に訪れるほどだ。

11月に開設した「アグリガーデンしゅんとくみち」=東大阪市

 農福連携の目的は、障害者の就労促進や工賃アップに加え、農家の高齢化を背景にした後継者不足の課題解決もある。全国各地で取り組まれているが、黒字経営の事例はまだ少なく、手探りの状況が続いている。

■「生産量増やして」

 こうした状況の中、支援センターつなぐのは、近くを走るJRおおさか東線の高架下に「就労継続支援B型」施設として水耕栽培用ハウス「アグリガーデンしゅんとくみち」を建設。農業従事者とその支援者を育成し、就労を促進する農水省のモデル事業として11月1日に運営を開始した。

 現在は農業に従事する障害者1人につき支援者2人が付き添い、葉物野菜のサンチュ、ベリーリーフ、レッドマスタードなど5品目を栽培している。

 最大の課題である収入の安定に向け、収穫物を周囲の焼き肉店やレストランなどに卸している。取引先からの評判は上々で、特に国産の市場規模が小さいサンチュについては肉厚でやわらかく「生産量を増やして」との要望があるほど。スタートして間もないが、今月10日までに企業、団体関係者など計134人がハウスを見学。評判を聞き、障害者の保護者も訪れた。

■ブランド化目指す

 水耕栽培の作業は、種まき、植え替え、包装など多岐にわたる。アグリガーデンしゅんとくみちでは、障害者の得手、不得手に合わせて作業を分担することにしている。

 「作物が育つ過程から売られるまでを一貫して見られるのは、働くモチベーションにつながる」と話すのは支援センターつなぐの相談員の藤井義久さんだ。

 支援センターつなぐのは、地元の近畿大の学生と一緒に規格外作物の有効活用策を検討し、大学側との障害者教育の連携も進める意向。藤井さんは「企業ともタイアップして、アグリガーデンをブランド化できれば」と期待を寄せている。

 【農福連携】障害福祉サービス事業所への仕事の発注が減っている経済環境を背景に、障害者の就労、工賃アップのため、農業分野に職域を拡大する取り組み。全国各地で広がり、特産品の収穫作業の受託、6次産業化などさまざまな方法で進められている。

2014年12月13日      大阪日日新聞


県内政党・候補おおむね前向き 「手話言語法」で回答

2014年12月14日 01時12分08秒 | 障害者の自立

 衆院選の投開票(14日)を前に、鳥取県内の聴覚障害者団体が県内の政党・候補者に送付した手話言語法などに関する公開質問状の回答が出そろい、12日までに県聴覚障害者協会のホームページで公開した。各政党・候補者とも手話によるコミュニケーション手段の保障に前向きな姿勢を示したが、法制定について明確な言及を避ける政党もあり、姿勢に違いが見られた。

 昨年10月に県が全国初の手話言語条例を制定して以降、法制定を求める声が高まっているが、国会では具体的な動きがない。

 県内8団体でつくる「聴覚障害者制度改革推進県本部」が鳥取1、2区の候補者と県内政党に対し、法制定への見解や通訳者の身分保障などを問う質問状を送付。民主、共産両党は候補者名、自民、公明、社民の3党は政党として回答した。

 自民党は政権公約を抜粋し「手話その他のコミュニケーション支援の在り方について、必要な法整備等を含めて検討する」とし、民主党候補は「法が整備されるまでの間、しっかりと他県にも呼び掛け(条例を)普及させたい」との考えを示した。

 公明党は「障害者の情報アクセスやコミュニケーション保障の法整備が必要」、共産党の2候補も「手話を誰でも学び使用できる環境を整えることは重要」といずれも法制定に取り組む姿勢。社民党は「必要に応じて自由に手話が交わせる社会環境づくり」を推進するとした。

2014年12月13日     日本海新聞