ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

知らないことが障害 澪標 ―みおつくし―

2015年07月07日 01時00分36秒 | 障害者の自立

障害者に対して「障害を持った方」という言葉をよく聞きます。

 以前私もそのような言葉を使い、話していました。でも彼らは本当に障害を持っているのでしょうか? では、持っていると仮定するなら、障害者と位置付けられた方たちは、その障害というカバンを置くこと、つまりその手から離す事が可能なのでしょうか? 他にも「障害を持って生まれた」といいますが、好きで持って生まれたわけではありません。

 このように「障害を持つ」という言葉を使うと、障害がくっ付いて離れない人、大変な人、かわいそうな人などと健常者の世界から放して区別してしまうのです。ですから、障害者と比べて私はこの人たちとは違うなどと変な感情が生まれてしまうのではないでしょうか。

 前回のコラム「当たり前の幸せなこと」で障害がある両親のことを書かせていただきました。

 障害がある両親は私にとって障害者ではありません。なぜか、それは皆さんがよく使う「普通」だからです。皆さんから見ると私達親子の関係は不幸とまではいかなくても、複雑な思いになってしまうでしょう。耳が聞こえないということは、相当不便です。私の声(音)は両親には聞こえないのですから、多種多様な情報をきちんと理解してもらったり、伝えたりすることは難しいことですね。しかし聞こえない分、体で感じたり表現することができ、私たちが想像できないところでいろんな経験をしています。見方を変えれば「特別」なのかもしれませんね。

 普段私たちが騒がしい環境の中でコミュニケーションを取ろうとすると、騒がしいことが障害になりますよね。ガラスの向こうの人と話をするときもガラスが障害でしょう。このように普段、声で話をする方にとっては障害かもしれませんが、私達親子は手話というツールを使って、騒がしさや、ガラスといった障害をなくして、簡単にコミュニケーションが取れるのです。ですから、人によって障害はさまざまな変化をもたらすということです。

 これまで偉そうなことを言っていますが、以前の私も心のどこかで「この人たちと関わりたくない」「気持ち悪い」「かわいそうに」などと障害者に対しての偏見がありました。

 今は、そんな気持ちは無いのか? と聞かれると多少はあります。しかし、それはその人のことをよく知らないからです。知らないという世界は怖いものです。その怖さゆえに比べたり、裁いたりしてしまうのかもしれませんね。

 神様は「私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」と言っています。

 神様から見れば私たちに違いはなく、一人一人を比べることもありません。私たちを愛し、同じ評価で見てくださるのです。自分を大切に思う心と同じように相手のことを大切に思い理解すること、相手のことを自分よりも尊い存在だと思えば、障害はだんだん消えていきます。

 心や体がうまく働かないことも障害といえるかもしれませんが、障害とは人と人、人と社会との隙間のことではないでしょうか。

 (にしむら・けん、大阪市東淀川区)

2015年7月6日    大阪日日新聞


障害者と健常者一緒に音楽を 北九州芸術劇場で /福岡

2015年07月07日 00時55分22秒 | 障害者の自立

 障害者や健常者が一緒になって音楽を楽しむ「かがやけ!えがおのワンコインコンサート」が4日、小倉北区室町の北九州芸術劇場であった。

  高齢者や障害者に音楽を通してリハビリを行う百瀬ミュージックボランティアグループ(小倉南区)が主催し、今年で13回目。

 コンサートでは市内で活動するアーティストが合唱や演奏、日本舞踊などを披露した他、重度障害を持つ子どもたちがステージに登場し、グループのメンバーらと歌や踊りを楽しんだ。

〔北九州版〕  毎日新聞 2015年07月05日 地方版


障害はつくられる

2015年07月07日 00時46分44秒 | 障害者の自立

今年の7月1日は、いつもの年よりも1秒だけ、1日の時間が長いんですよね。貴重な1秒を、皆さんはどう使いましたか?

障害学という分野があります。これまでのような専門職からのアプローチではなく、当事者の視点から障害について理解を深めていこうという学問です。

障害学では、障害そのものを3つのカテゴリに分類しています。

  1. 器質的障害
  2. 能力的障害
  3. 社会的障害

僕自身を例に御説明しましょう。

僕は、脳性マヒという先天性の障害を持っています。もっと厳密に定義すれば(脳の傷害によって引き起こされる種々の運動機能障害)が脳性マヒ本来の症状であり、これが器質的障害にあたります。

器質的障害があるがために2次的に生じる障壁を(能力的障害)といいます。僕の場合でいえば、「脳性マヒによる不随意運動のために細かい作業が難しい」というようなことが挙げられます。あるいは、言語障害により他者とのコミュニケーションがとりにくいというハンディも、このカテゴリに入るかもしれません。

「障害があるために○○することが難しい」というような問題が生じた時、障害学ではこれを能力的障害ととらえるのです。

能力的障害が社会活動の制約に結びつくと、社会的障害と呼ばれるカテゴリになります。障害者という理由だけで就職ができなかったり、公共の交通機関を利用しにくかったりする例がこれにあたります。

(障害は社会によってつくられる)

障害学の基本的な主張です。障害によってどうしても変えられない部分は本当にごくわずかで、ほとんどの障壁は周囲の理解と工夫によって充分に乗り越えられるのだと、障害学は言っているのです。

障害そのものを克服することは、確かに難しいかもしれません。しかし、便利な福祉機器やUD(ユニバーサルデザイン)を上手に活用すれば、障害によるハンディを感じずに生活することができます。

僕は脳性マヒのため自力での歩行はできませんが、電動車椅子に乗ることで移動面でのハンディキャップを解消しています。また、文字盤やトーキングエイドを使うことで、言語障害による不自由さを補うことも可能です。

能力面でのハンディを機械によって補填することができれば、それはもう障害ではなくなります。

  1. 言語障害があるため発話が難しい
  2. トーキングエイドを外出時に持ち歩く
  3. 人とのコミュニケーションが簡単に!

わかりやすいプロセスを御紹介しました。このような工夫がいくつも積み重なって、僕の日常は成り立っています。

決して特別なことではありません。視力の悪い人はメガネをかけます。それと同じことなんです。歩くことができないから、車椅子に乗る。自分でしゃべることが難しいから、トーキングエイドを使う。障害があるからできないと決めつけるのではなく、どうすればできるのかをまず考える。試行錯誤を重ねれば、アイディアは自然と浮かんでくるものです。

障害は、目に見えるものだけではありません。外見からではわかりにくい例として、識字障害が挙げられます。識字障害はLD(学習障害)の一種に分類され、文字の読み取りが難しいことが特徴です。ハリウッドの有名俳優がこの障害をカミングアウトするなど、世界的にも認知度が高まりつつあります。

識字障害によるハンディには、電子機器が有効です。たとえば授業中、先生の話をテープレコーダーに録音してあとで聴けるようにすれば、黒板の文字をその都度読み取る必要がないので授業に集中できます。また、公共施設などでも、文字による案内表示と音声ガイダンスを組み合わせれば、より広い障害特性の人をカバーすることができます。

けれど残念なことに、ハンディを特殊な工夫によって補うという発想に対して、日本は理解が遅れている面があります。

教育現場はとくに保守的なのか、(他の子も同じ条件なのだから)(本人がもっと努力するべきだ)などと、障害を持つその子のほうをまわりに合わせようとする傾向が強いのです。

識字障害の人たちが、日々どのような環境に置かれているかということへの想像力が欠けているのですね。学習障害の原因は決して本人の努力不足ではない。周囲のちょっとした理解と工夫で救われるのだということを、この機会にぜひ知ってください。

周囲の無理解と、偏見。

障害者の社会参加には、必ずといっていいほどこのふたつのハードルがつきまといます。

広汎性発達障害のために時間の管理が不得意な人がいます。そのせいでしばしば仕事にも遅刻してしまうのですが、こういう障害特性なんだといくら説明しても、まわりの理解は得られません。発達障害という単語はなんとなく頭に入っていても、時間管理は社会人として必須スキル、という固定観念があるため、上司や同僚には(ただただ時間にルーズな人)としか映らないのです。

こうした場合、単純に遅刻を許してほしいと訴えても問題の解決にはなりません。組織は一定の枠組みを必要としますから、それに沿った行動を社員に求めるのは当然です。

まずは、その枠組みが本当に合理的なものであるかを上司と本人で確認し、多少遅刻したとしても業務に支障が出ない部署に配属してもらうといった話し合いが必要になります。

障害は、当事者のみの問題ではありません。むしろ、(障害を持った個人を社会がどう見るか)ということのほうが重要なのであって、その延長線上にノーマライゼーションやインクルーシブの思想があります。

どんなに活動的で能力があっても、その人の障害をマイナスとしか見なさず、閉鎖的な環境に閉じ込めておくような社会なら、せっかくの才能も活かされずに終わってしまいます。逆に、障害をたんなる特性としてとらえ、そこからあらゆる可能性を見つけていけるような社会なら、どんなに重い障害があってもその人は充実した人生を過ごせるでしょう。

障害を社会で受け入れるモデルケースとなるのは、スウェーデンです。世界でもトップクラスの福祉先進国であるスウェーデンは、障害者が暮らしやすい国としても知られています。

スウェーデンの福祉システム(スウェーデン・モデルと呼ばれます)についての本を読むうちに、僕のなかでひとつのイメージが出来上がっていきました。

「障害者にきびしい国」

これが、僕にとってのスウェーデン像です(もちろん、いい意味で)。

第一に、よほどのことがないかぎり障害者とは呼ばれません。少しぐらい足が不自由でも、その人は(歩くのが多少苦手な健常者)と見なされ、就労などの機会は平等に与えられます。日本で障害者に認定されている人の7割以上がスウェーデンでは健常者と呼ばれるのではないかと、あるエッセイに書いてありました。障害者の定義が日本とはまるで違うのです。

障害者にきびしいといっても、決して冷たく扱うわけではありません。実際はその逆で、必要なサポートは惜しみなく提供します。

電動車椅子でバスに乗るのは当たり前。リフト付きタクシーがごく普通に街中を走っている……こんな住みやすい国なら、僕も移り住みたいです。障害を社会全体で受け入れる土壌がしっかり育っているから、当事者の立場になっても自分ひとりで悩まずにすむ。日本もこの視点を学んでいくべきです。

(障害をつくるのが社会なら、障害を受け入れるのも社会の役割である)

障害学を通して得た結論です。   立石芳樹 (たていし・よしき)

 2015年7月 6日     朝日新聞


差別解消へ理解を 障害テーマ意見交換 仙台

2015年07月07日 00時39分15秒 | 障害者の自立

 仙台市は、施行を予定する障害者差別解消条例(仮称)の議論に生かそうと、市民向けワークショップ「ココロン・カフェ」を開催している。昨年10月から8回を重ねたが、障害のある当事者以外の参加者が少ない。差別の解消には市民の理解と関心の高まりが欠かせず、市は参加を呼び掛けている。

 カフェはほぼ月1回開催、毎回60人前後が集まる。カフェで出た意見は、条例案を検討する市障害者施策推進協議会に報告される。
 6月10日の第7回カフェは泉区役所であり、障害者や支援者を中心に43人が参加。5、6人ずつに分かれ、差別解消に向けたアイデアを話し合った。
 外見からは分かりにくい内部障害があるという女性は、バス乗車時の体験を話した。「つえをついて立っていたらバランスを崩して倒れ、運転士や乗客から心ない言葉を掛けられた。恥ずかしくて悔しかった」と目に涙を浮かべ訴えた。
 意見交換の場で、女性の体験には「すぐに相談できる窓口があるといいのに」「そうした事例があることを広めるべきだ」との声が上がった。
 カフェではコーヒーや菓子が用意され、リラックスした雰囲気で話ができる。参加した泉区身体障害者福祉協会会長の我孫子経広さんは「障害に関して自由に発言できる場は貴重だ」と話した。
 市障害企画課の高橋洋子課長は「障害への理解がないことが差別に結び付くことがある。一般の人もカフェに参加してもらい、知識を得るきっかけにしてほしい」と呼び掛ける。
 差別解消条例は来年4月施行の予定。第9回のカフェは6日午後2時から、青葉区の市福祉プラザで開かれる。手話通訳や要約筆記もある。参加無料。連絡先は市障害企画課022(214)8163。ファクス022(223)3573。電子メールfuk005330@city.sendai.jp

グループで話し合う参加者ら

2015年07月06日     河北新報


室蘭市内のホテル、盲導犬同伴者の受け入れ進む

2015年07月07日 00時34分34秒 | 障害者の自立

 視覚障害者向けの卓球、サウンドテーブルテニス(STT)の練習会(室蘭視力障害者ガイドヘルパーの会主催)が4日、室蘭市東町の市障害者福祉総合センターで開かれた。胆振以外から参加の盲導犬同伴の視覚障害者2人が市内中島町のホテルサンルート室蘭(柳谷純二支配人)に宿泊。室蘭でも盲導犬への理解、受け入れが徐々に進んでいる。 

 身体障害者補助犬法では、公共施設に盲導犬受け入れを義務付けている。しかし、5月に市内で開催予定だったSTT交流会が、盲導犬同伴で宿泊できるホテルが見つからずに中止となり問題になっていた。市は6月、市内の宿泊施設10カ所を訪問し、同法の趣旨を説明し、宿泊を拒まぬよう要請していた。

 この日の練習会には札幌、函館、壮瞥から各1人、市内から2人の計5人が参加。音を頼りにボールを打つSTTの練習試合を楽しんだ。このうち、札幌、函館から参加した2人が前日の3日、盲導犬同伴で同ホテルに宿泊した。

 函館在住の宮武祐子さんは「従業員の方がバスルームのシャンプー、リンス、ボディーシャンプーの位置を教えてくださり、朝食バイキングでは料理を運ぶのをサポートしていただきました。とても親切な対応でした。ありがとうございます」と感謝の思いを口にする。

 室蘭視力障害者ガイドヘルパーの会の小林与志美会長は「受け入れていただいたホテルの勇気に感謝します。参加者に室蘭市民の優しさが伝わったのではないでしょうか。要請を行っていただいた市にも感謝します。これを機に視覚障害者と盲導犬への理解が進むと期待します」と話していた。

 ホテルサンルート室蘭は過去にも盲導犬同伴の視覚障者者の宿泊を受け入れている。柳谷支配人は「お客さまに当然の対応をしました。障害者やお年寄り、体の不自由な方に配慮していきたい」と話し、今後も受け入れる意向だ。

室蘭民報    2015年7月5日