ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

東京リハビリ協会 上 障害者の自立めざし奮闘

2015年07月19日 02時53分21秒 | 障害者の自立

 障害は重くとも同じ年齢の市民と同等な暮らしを(国連障害者の権利宣言、1975年)−当事者や家族の思いを受け、授産事業に汗を流す社会福祉法人は多い。「東京リハビリ協会」(東京都立川市)も障害者の自立に向けて先進的に取り組む一つである。

  多摩川に近い法人本部ビルに変わった看板が目につく。「熱帯魚 海水魚 販売・リース」。法人の就労移行支援事業・就労継続支援B型事業を展開する「ワークステーション立川」(知的障害者50人。以下、人数は定員)がメーンのランドリー事業とともに力を注ぐ観賞魚ビジネスだ。ミニ水族館もある。

  「近隣にある老人保健施設のお年寄りが訪れ、水槽を泳ぐ魚を何時間も眺めています。〝憩いの場〟でしょうか」と緑川清美理事長(54)は歓迎する。5代目の責任者として法人の舵取りを任されたのは昨年の12月。創立50周年の年だった。

  その創業のルーツは北海道にある。

  1964(昭和39)年。日本中がアジア初の東京オリンピック・パラリンピックで沸いていた。そのころ首都圏の身体障害者授産施設は数えるほど。「クリーニング作業所を」。小樽市で実績を持つ社会福祉法人北海道宏栄社は、やがて協会の2代目理事長になる斎藤公生理事(77)ら2人を送り込んだ。準備に奔走、東京オリンピック開幕のファンファーレが国立競技場(代々木)に鳴り渡る25日前の9月15日、東京都稲城市の電気部品会社跡地で身体障害者入所施設「三恵中央センター」は船出した。ただし無認可の民間作業所として。

 雌伏の12年間

  実は設立計画時に予定した助成金が出ず、施設の法定基準を満たせなかったという。とはいえ、機械をセットした作業場、利用者約40人の寮を備えた管理棟は建ち、借金とともに目の前にある。債権者に返済を延ばしてもらい、リネンサプライ商戦へ。

  代々木のオリンピック・パラリンピック選手村などのリネンサプライ、クリーニングを落札、業界を驚かせ幸先はよいと見えた。主な得意先は病院や高齢者施設。首都圏のほか伊豆半島(静岡県)の病院などまで足を伸ばしたこともある。だが、経営は苦しく、破綻して債権者管理に置かれた時期も。それでも歯をくいしばり、営業専門の別会社を立ち上げ、羽毛ふとん採用による基準寝具(レンタル)の高級化やテレビ通販への進出、当時昼しか動かない業界の発想を逆転、夜の注文集めに駆け回った。

  そのころの話。ある年の夏休み前、聖心女子学院(港区)の寮の門をくぐった。「洗濯ものを出してくれませんか。夜取りに来ますので」。間もなく連絡をもらい、玄関に受付台を置いた。なんと約2000点も。「料金を安くしたとはいえ、当時で400万円、4㌧トラック1台分。上等な服が多かった。うれしかったですね」。斎藤理事は昨日のことのように思い出す。

  深夜、店がはねるのを待って新宿のキャバレーにも。衣装の多くは女性たちの一張羅。仕上がり期限は翌日の夕方。「彼女たちも苦労していると感じました」(斎藤理事)。すぐ三恵中央センターへ取って返し、夜の作業スタートだ。

  こうした苦労は次第に実り、1970年代の右肩上がり経済にも支えられ、3億5000万円の借金を完済。1976(昭和51)年、念願の社会福祉法人に認可され、東京リハビリ協会(施設名を稲城リハビリに改称)の名で再スタートした。12年の歳月が流れていた。

 目標は年収200万円

  努力の先にある夢、それは利用者の自立だ。訓練し、職を与え、所得保障をして自活。障害を機械化でカバーできるクリーニング、障害者の手を介さないリース業はうってつけ。戦前、孤児院や感化院で機械式「西洋洗濯部」を設け、受注したのと似ている。

  観賞魚リース事業を1991(平成3)年に始めたのも、価格競争に巻き込まれまいとする斎藤理事の知恵だった。熱帯魚を米国や東南アジアから仕入れ、水槽ごとレンタル。利用者は魚を世話し、メンテナンスに病院、介護施設、保育園などレンタル先を歩く。いま1400台に広がっている。

 転機は1992年に迎えた。この年、立川市提供の現在地に「立川リハビリ」(身体障害者40人)と、「ワークステーション立川」の両通所施設を開設。その5年後、老朽化した稲城リハビリ閉鎖に伴い、東京都日の出町に23億円を投じ、「日の出リハビリ」(身体障害者55人)、「ワークスタディ日の出」(知的障害者50人)の両通所施設、それに福祉ホーム(14人)と現状の体制を整えた。機械の近代化・大型化などに沿った流れであった。

  利用者の工賃(月額)を就労継続支援B型事業で比べてみよう。2013年度、都内673事業所平均で1万4587円。日の出リハビリは5万9018円(4位)、ワークステーション立川は4万7295円(10位)。利用者の障害重度化、重複化で思うようにならないものの、「それでも安い。障害基礎年金(1人100万円前後)を含め年間200万円は欲しい」と自身も小児マヒで車いすに乗る斎藤理事はいう。仕事を探し、協会へつなげる株式会社サポートジャパン(新宿区)の取締役だ。

  そして日の出事業所開設にはもう一つの挑戦があった。わが国初の脱施設化(寮の廃止)である。

 

2015年0717日    福祉新聞編集部


別府富士通エフサス太陽創立20周年 特殊技術に障害者の力

2015年07月19日 02時45分30秒 | 障害者の自立

 太陽の家と富士通エフサス(本社・川崎市)の共同出資会社「富士通エフサス太陽」(別府市内竈)が創立20周年を迎えた。製造業中心だった障害者の仕事を、現金自動預払機(ATM)のリペア(修理)など特殊技術が必要な分野に広げながら発展している。17日に記念式典がある。

 現在は社員60人(うち身体障害者26人、精神障害者4人)と太陽の家の訓練生7人が、ATMやパソコン、プリンターの修理業務、ITシステムの運用管理などの仕事に当たる。
 職場内では、障害者がスムーズに仕事ができるような環境を整えている。車椅子の社員が仕事をしやすいよう部品を回転させる装置や、片手だけで作業できる道具もある。「適切な配慮はするが、仕事で遠慮はしない」をモットーに障害者雇用を進めている。
 太陽の家の共同出資会社8社の中で最も新しい。1992年に発足した太陽の家の機器科が前身で、95年7月3日に設立した。太陽の家の創設者、中村裕博士(故人)の理念に共鳴し、障害者の社会参加と自立を支援した。2014年度は売上高2億8900万円・経常利益2千万円で、堅調に推移している。
 能沢晴雄取締役工場長は「障害者と健常者が共に働く会社として安定成長を目指し、事業領域の拡大を図りたい。精神障害者の雇用にも力を入れる」としている。

障害者と健常者が共に働いている共同出資会社「富士通エフサス太陽」

障害者と健常者が共に働いている共同出資会社「富士通エフサス太陽」

この記事は、7月17日大分合同新聞朝刊17ページに掲載されています。


家庭用ロボット開発でトヨタが新組織 障害者や高齢者助ける「HSR」

2015年07月19日 02時30分08秒 | 障害者の自立

 トヨタ自動車は16日、障害者や高齢者らの生活を支援する家庭用ロボットの早期実用化を目指し、9月に新組織を立ち上げると発表した。

 組織に参加する大学などの研究機関にロボットを貸し出し、研究成果を共有して開発を促進させる。

 トヨタの生活支援ロボットは「HSR」。本体は円筒形で、高さ最大135センチ、重さ約37キロ。搭載したアームで床の上の物を拾ったり、棚から物を取ったりできる。

 新組織の名称は「HSR開発コミュニティ」。発足時に数機関が参加する予定で、来年4月以降、さらに10機関程度の参加を見込んでいる。

トヨタ自動車が開発する生活支援ロボット飲料などを取ってくることができる

2015.7.16     産経ニュース


知的障害者判定交付台帳を紛失 - 石川障害者職業センター

2015年07月19日 02時27分54秒 | 障害者の自立

高齢・障害・求職者雇用支援機構石川支部石川障害者職業センターは、個人情報が記載された台帳を紛失したと発表した。誤廃棄した可能性が高いとしている。

所在がわからなくなっているのは、1988年度から1994年度までの「知的障害者・重度知的障害者判定交付台帳」。3月に知的障害者判定書の再交付請求があり、判定書を作成するため判定交付台帳を確認したところ、一部台帳の所在が確認できなかった。

紛失した台帳には、知的障害者判定を受けた対象者の氏名や性別、判定年月日、判定結果、交付年月日などが記載されていた。同センターでは、台帳の保管期間を30年としており、期限前に不要文書とともに誤ってシュレッダーによる裁断処理を行い、廃棄した可能性があるとしている。

(Security NEXT - 2015/07/17 )


視覚障害マラソン 道下美里さん 夢へ 伴走者と心一つ

2015年07月19日 02時21分43秒 | 障害者の自立

 視覚障害女子マラソンの選手として世界で活躍する道下美里さん(38)=福岡県太宰府市。このほど出版した初の著書「いっしょに走ろう」(芸術新聞社、1620円)には、困難を共に乗り越えた仲間への感謝があふれている。視覚障害者のマラソンでは、練習や試合で伴走を務める人の存在が欠かせない。福岡市・大濠公園の練習におじゃまし、伴走を務める2人にも話を聞いた。 

 道下さんは週6日、午前を中心に2時間以上練習する。「距離を決めて走ったり、1キロを4分15秒と決めて走ったりします」。輪にしたロープを、伴走者と握り合って走る。身長144センチと小柄な道下さんの腕の位置に合わせ、伴走者も腕を振る。

 昨年12月、2時間59分21秒で日本記録を更新した。来年のリオデジャネイロ・パラリンピックの視覚障害女子マラソンでは、日本代表推薦順位1位が内定している。

 道下さんは中学2年で右目を失明した。短大を卒業して調理師としてレストランで働いていたころ、今度は左目の視力も失われていった。角膜の下にタンパク質が沈着して視力が低下する病気だった。

 25歳で視力が0・01以下になり、山口県立盲学校(現県立下関南総合支援学校、同県下関市)に入学した。諦めてばかりの自分と比べ、学校の友達は「私が目が見えないとできないと思っていたことをできていた」。自分が甘えていただけだと気付いた。

 学校の課外活動として陸上競技を始めると、頭角を現す。2007年には中距離走で世界選手権に出場。しかし、800メートル走では予選落ちし、1500メートル走では5位。優勝という目標の遠さに走る気力を失った。

 スランプに陥り練習から離れていたころ、地元で下関海響マラソンが初開催されると知った。当時の監督から「長距離の方が向いているのでは」と言われたこともあり、マラソンへの挑戦を決めた。

 マラソンでは競技場より危険な一般道を走る。距離も圧倒的に長い。心境は変わっていく。「人を信じないと走れない状況に直面してやっと、障害を受け入れることができた」。それまでは「危ないから白杖を使ったら」「伴走しようか」など思いやりの言葉に、素直になれない自分がいた。一人ではできないことを認めるのが悔しかったのだ。

 伴走者を心から信じると、仲間が増え、「走る」という自分の役割もはっきり見えてきた。

 サインには「絆を信じて」という言葉を添える。「ランナーと伴走者をつなぐロープを絆とも呼ぶ。そのロープを信じ、人を信じ、走り続けたい」

 ●道路状態やタイム伝達 試合や練習支える2人

 視覚障害者のマラソンでは、伴走者は道路の状態やタイムを選手に伝えたり、給水所で水を渡したりする。

 マラソンが趣味の会社員、堀内規生(のりたか)さん(34)は週末、道下さんと一緒に練習する。道下さんとの共通の知人から「伴走者を探している」と打診され、1年半ほど前から試合でも伴走している。「支援という思いではなく、好きだからやっている。他の伴走者もそうじゃないかな」

 公務員の縣(あがた)博夫さん(49)は、火曜日の練習で伴走を務めるほか、道下さんが講演するときに必要な資料作りを手伝うこともある。「みっちゃんがいるから僕らも伴走者という役割を見つけられた」。11月の福岡マラソンでは、視覚と聴覚に障害がある選手と走る予定という。「給水やトイレのタイミングなど、どうやってコミュニケーションを取ろうか。楽しみです」と笑顔を見せる。

 視覚障害マラソン競技では、伴走者は2人まで。選手より走力がないと務まらず、練習時も含め、伴走者を探すのは難しい。日本盲人マラソン協会(東京)は伴走者の養成研修会を東京で年に1回、各地で年に2~3回開いている。だが「視覚障害者ランナーが走りたいときにいつでも伴走者を見つけられる環境は整っていない」という。

 道下さんは所属する大濠公園ブラインドランナーズクラブ(福岡市)の仲間を中心に、現在10人近くが伴走者として走ってくれる。「試合になると、伴走者も1週間ほど仕事を休まなくてはならない。ありがたいです」と語った。

輪になったロープを手に走る道下美里さん(左)と堀内規生さん=福岡市の大濠公園

=2015/07/16付 西日本新聞朝刊=