ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

被災障害者支えて20年 大阪の「ゆめ風基金」

2015年07月27日 01時41分26秒 | 障害者の自立

 阪神・淡路大震災での被災障害者支援を機に設立されたNPO法人「ゆめ風基金」(大阪市、牧口一二代表理事)が6月、発足20年を迎えた。この間、寄付金を基に国内外34の災害被災地に届けた救援金は3億4387万円に上る。生活の復興と自立を目指す障害者に寄り添ってきた。20年の活動で「災害弱者」を取り巻く環境は改善が進んだ一方、課題もなお多い。

 1995年1月17日の震災では、多くの障害者事業所が被災。大阪を拠点に全国の仲間が次々と被災地入りし、安否確認に回り、物資を届けた。

 「本格復興には時間がかかる」。救援活動を経て、障害者の生活再建を息長く支援しようと、同年6月にゆめ風基金が発足。被災地では支援されるだけでなく、自ら地域住民に救援物資を配ったり、炊き出しを振る舞ったりした障害者もおり、助け合いの思いが活動の原点にもなった。10億円の基金づくりを目標に、ミュージシャンの小室等さんや永六輔さんら著名人が呼びかけ人に名を連ねた。

 当初は10年計画だったが、その後も国内外で災害が続発。スタッフはそのたび、厳しい環境に追いやられる障害者を見てきた。過酷な生活で体調を崩して亡くなる「関連死」も繰り返された。

 活動は続き、新潟・中越、能登半島、中国四川省、トルコ、ハイチ、兵庫県佐用町など計34の被災地に救援金を届け、障害者への物資提供や事業所再建などを支援。障害者団体の設備・運転資金向け低利融資制度も創設し、59団体に総額2億3千万円を貸した。

 「全国約50の障害者団体とネットワークをつくり、いざというときに備えている」と事務局長の橘高(きったか)千秋さん(63)。4年前の東日本大震災ではこのつながりが生き、直後にスタッフを派遣。岩手、宮城、福島各県で障害者の生活相談や自立支援をする拠点づくりにつなげた。

 一方、福島の原発事故では多くの住民が避難する中、障害者は取り残され、支援が届かなかったケースも。東北の被災地ではヘルパーら障害者の生活を支える人材が不足しているという。

 ゆめ風基金は、日ごろの防災支援にも力を入れる。橘高さんは「障害者施設での災害対応や避難の在り方などをさらに研究し、提言していきたい」と話す。

  【災害弱者】 災害時に弱い立場に立たされる障害者や高齢者ら。避難できずに支援から取り残されたり、バリアフリーでない避難所での共同生活が難しかったりする。阪神・淡路大震災を踏まえ、国は生活しやすい「福祉避難所」の設置を促す。従来の避難所に「福祉スペース」を設ける動きもある。災害時の避難で支援が必要な人の名簿をあらかじめ作る取り組みも広がる。

 

20年記念コンサートの準備を進める(左から)「ゆめ風基金」副代表理事の河野秀忠さん、スタッフの福本千夏さん、

事務局長の橘高さん、理事の八幡隆司さん

2015/7/26      神戸新聞


世界水泳選手権大会開幕! 障害者になってイチから始める水泳

2015年07月27日 01時33分48秒 | 障害者の自立

 7月25日より「FINA世界水泳選手権大会」が始まった。

 競泳、シンクロナイズドスイミング、飛込、ハイダイビング、水球、オープンウォータースイミングの6競技75種目。世界186の国と地域から約2500名の選手が参加する。オリンピックを超える規模で2年に1度行われていて、今回もリオデジャネイロオリンピックの出場内定をかけての競技会でもある。

 こう見えてボクも小学生のときから水泳を始め、平泳ぎで県で優秀な成績を収めた。広島の中学に進学したとき、それを知っていた監督から水球部にスカウトされて、それからはずっと毎日毎日練習漬けの日々だった。正月も元旦だけを除いて、氷の張っているプールでも練習した。

 何であんなに一生懸命になれていたのか自分でも不思議だけれど、朝から晩まで水球をしていた。苦しいという言葉では言い表せない。

 自分を追い詰めて奮い立たせる。これでもかこれでもかとランニングし、泳ぎに泳いだ。どんどん自分の身体が自分でないぐらいに鍛えられていくのも、若いボクにとっては面白かった。

 腕力も脚力も、いままでの自分のものではなくなっている。挫折を何度も経験し、その壁の向こうをみるぞ、と必死にもがいた。

 高校生でインターハイ、国体にも出場して大学でも水球を続けていた。オリンピックを夢見ていたこともあった。

 自分の道はここにあると信じて疑わなかった。肩を壊すまでは……。

 最大の挫折だった。生きていく価値も見いだせず、大学にこのまま残る意味さえわからなくなっていた。実家にも帰れず、さまよっていた。

 その頃、ちょうど悪友の勧めでスポーツ新聞にコラムを書かないかと言われたのだった。大学生が交代で新聞の文化面を埋めていくのだ。

 幸いボクは書くことが好きだった。予備校時代からミニコミ誌に書かせてもらっていたのだ。それがボクのドン底を救ってくれた神の手であったし、今の生業にもなっているのだから、人生わからないものだ。

 そしてボクは4年前、またまたピンチを迎えたのだ。くも膜下出血。もう助からないと言われて、家族も絶望の淵にたっていたらしい。ボクは1年の入院生活を経て、自宅に帰ってきた。

 左半身麻痺、短期記憶障害、言葉もうまくは出てこない。それでも4年経って、ここまで回復したのはウソのようだが、実は自分でも今もよくわからないのだ。昨日会った人のことも、行ったところも、覚えていないこともある。書いた原稿すら覚えていないことだってあるぐらいだ。

「〇〇覚えている?」と家族に聞かれるのが、怖いときがある。自分が何をしたいと言ったのか。何をしていたのか覚えていないのだから。

 きっとその怖さは健常な人たちにはわからないだろう。

 自分が何かわからなくなる。

 ボクは家族と友人に「泳ぎたい」と言ったらしい。それも覚えていなかったが、家族と仲間たちはボクがやりたいと思ったことを実現させてくれる努力を惜しまない。それが今のボクの回復の源になっているんだと思う。「ダメでもともとやってみる」。そう妻はいつも言う。

 車椅子のまま入水できるプールを探してきてくれた家族。プールに行きたいといったことも忘れちゃっているボクだったけど、「ちょっと頑張ってやってみようかな」と自分を奮い立たせる。

 もちろん、身体は動かないのだから蛙が伸びたみたいに浮いているだけだ。息継ぎもできない。

 ボクは自分が麻痺していることも忘れて、泳げると思い込み、プールに飛びこんだのだ。「あれ? 動かない……顔も上げられない……ブクブクブク……」。すぐに家族が引き上げてくれたが、死ぬかと思った。

 本当に死ぬかと思った。

 それで、「じゃ、最初に息継ぎの練習だけをしてみよう。息継ぎできなきゃ死んでしまうからね」と家族が言うので、プールのヘリにつかまって、息継ぎの練習をした。その光景をずっとハラハラして見ていたに違いない女性の監視員さんが声をかけてきた。

「水泳選手か何かだったんですか? その息継ぎちょっと違いますもんね」

 家族もボクもプールサイドを見上げその監視員さんを見つめた。

 ボクのなかで新しい何かが始まった。

 身体が動かず、寝返りも打てないボク。大木が首の下にくっついているだけの身体と、諦めかけていたボクだったけれど、ちょっと泳いでみようかなと思っている。

 そんなとき、ちょうど世界水泳選手権大会。

 昔のボクは、本気で目指していたんじゃないか……。

 思い出したのだ。

 あんなに過酷な毎日も、一歩一歩の練習から可能になったんじゃないか……。

 ちょっと夢を追ってみたくなった。


kohtari10

〈プロフィール〉
神足裕司(こうたり・ゆうじ) ●1957年8月10日、広島県広島市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代からライター活動を始め、1984年、渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』がベストセラーに。コラムニストとして『恨ミシュラン』(週刊朝日)や『これは事件だ!』(週刊SPA!)などの人気連載を抱えながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開。復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていくための食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)がある。Twitterアカウントは@kohtari

2015年07月25日(土)    週刊女性PRIME [シュージョプライム]


ペシャル五輪、米で開幕へ 日本から選手ら118人

2015年07月27日 01時25分52秒 | 障害者の自立

 知的障害のある人たちの4年に1度のスポーツの祭典「スペシャルオリンピックス夏季世界大会」が米ロサンゼルスで25日(日本時間26日)、開幕する。世界165カ国から選手6500人が集い、日本からは選手77人を含む118人の選手団が参加し、11競技に出場する。

 東京都内で21日にあった選手団の結団式では、バドミントン代表の赤井里帆さん(18)が「精いっぱい力を出してメダルをとりたい」と決意表明した。スペシャルオリンピックス日本理事長で元マラソン選手の有森裕子さん(48)は「頑張る選手が見せる表情は、障害に関係なく人間には無限の可能性があると教えてくれる」と話した。

 スペシャルオリンピックスは、スポーツを通じて知的障害者たちの自立と社会参加を促すことを目的に、第1回大会が1968年に開かれた。競技は競泳、陸上、ボウリング、ゴルフなど全25競技。試合は選手やチームの技術レベルによってクラス分けされ、順位はつくが、表彰台には全選手が上がり、最後までやり遂げられたことがたたえられる。

 日本選手の試合結果などは、スペシャルオリンピックス日本のフェイスブックhttps://www.facebook.com/so.nippon別ウインドウで開きます)で見ることができる。

 〈スペシャルオリンピックス〉 1962年、故ケネディ米大統領の妹ユニス・ケネディ・シュライバー氏が自宅の庭を開放して開いたデイキャンプが始まり。4年に1度、2年ごとに夏季・冬季の大会がある。日本は95年の米・コネティカット大会から参加している。

■人前に出ることに積極的に

 「ドリブルとシュートが得意。いい試合ができそう」。5人制サッカー代表の千葉県成田市の松山広樹さん(19)は初の大会参加に期待を膨らませている。

 知的障害を伴った自閉症があるが、小学1年からサッカーを始めて、人と関わることや人前に出ることに積極的になれたという。高校を卒業した昨年春からは、国際便の機内食を作るANAケータリングサービス(本社・東京)に勤めながら練習に励んでいる。

 松山さんが担当する前菜の盛りつけは、細かい作業だ。上司の金子康宏課長は「仕事はきっちりし、あいさつは一番大きな声で人気者。職場のみんなが『まっちゃん、頑張って』と応援しています」と話す。

 父兼泰さん(53)は「サッカーで応援してもらい、認めてもらえたから息子は成長でき、いまにつながった。頑張る環境があることに感謝したい」と話した。

写真・図版

結団式を終えてハイタッチで送り出される日本選手団の選手やコーチたち=東京都港区

2015年7月26日   朝日新聞


東京オリンピック・パラリンピックまであと5年。東京をどんなまちにするのか?

2015年07月27日 01時16分25秒 | 障害者の自立

7月24日。5年後のこの日に、東京オリンピック・パラリンピックの開会式が行われます。新国立競技場の問題など、見えている課題は山ほどありますが、そうした課題を改めて考えるためにも、今一度、私たちはこの東京をこれからどんな街にしていきたいのかという「ビジョン」に関する議論をするべきだと思います。

東京は、「都市の感性」世界一

3月に一般社団法人森記念財団都市戦略研究所が行った調査によると、都市空間に備わる人間の感性に訴える力、すなわち「アーバン・インタンジブル・バリュー“Urban Intangible Values (UIV)”:都市の感性価値」の指標において、東京は主要21都市中1位になったということです。21都市に在住・在勤している人で自国以外の3か国以上に訪問経験がある人を対象に、「効率(都市機能・情報の蓄積、アクセシビリティ)」「正確・迅速」「安全・安心」「多様(生活、空間)」「ホスピタリティ(サービス、おもてなし)」「新陳代謝(成長、新規性)」の6項目についてアンケートを取ったそうです。

 

東京は「ホスピタリティ」などの項目で上位になった一方、「居住者の多様性」や「創造的活動の形成」などで測られる「多様」や「新陳代謝」の項目では、他の都市に劣る結果となりました。

多様性が国際都市の魅力を形成する重要な要素として認識されている世界では、障害者やLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)、外国人などの方々の住みやすさを向上することを目指すのは当然であり、近年ではそれに加え、彼らが活躍しやすい社会づくりに向けて様々な法律が次々と生まれている状況です。

先日、渋谷区で「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」が制定されました。同区では、同性カップルを「結婚に相当する関係」と認める「パートナーシップ証明書」を発行するということです。また今後は、多様な人々が混ざり合い、にぎわいのあるまちづくりを目指す「ピープルデザイン」の考え方も積極的に取り入れていくようです。

私は、常々、政治は普通の人が当たり前のように「できる」ことが「できない」、また、それを言いづらい環境にある人たちの生きやすさをつくるためにあるのだと思っています。そしてそれが、これからの都市の感性価値(快適さや安らぎ、そして興奮などを生み出す源)を高めることにもつながるのです。まずは東京の中心・港区が世界の水準に追いつくこと、そしてさらに率先してマイノリティへの支援と彼らの力の活用を行うよう働きかける必要があります。

多様な人が活躍できる環境づくりを

ところで、新聞などの調査によると、東京オリンピック・パラリンピックについて4人に1人が「ボランティアに参加したい」と答えているそうです。

ボランティアについては、一般に官と民の協働が未だ発展途上の領域であり、介護サービスや障害者福祉サービス、日常生活の軽微なサポートなど、公的制度で補えない潜在的なニーズが多く存在しています。少子高齢化の時代にあって、社会が抱える課題は複雑化してきており、地域のつながりも希薄化する中で、ボランティア活動のニーズはますます増加しています。

そこで、東京・港区としてもこれを機に広範囲な「市民ボランティア」を募集し、活動の担い手を育成するべきだと思います。地域に潜在するボランティア活動の担い手を発掘し、彼らに登録していただいた上で、制度の隙間の支援を必要とする障害者等のサポートができる人材を各地域に育成します。多様な人が、もっと外に出て活躍できる環境を、みんなでつくっていくのです。

講演会・シンポジウムの運営やシーンボイスガイドのような、障害者自身ができるボランティア活動もたくさんあります。体制を整え、充実させることで、これまで積極的に参加してこなかった方の参加も可能になります。

2020年に東京で開催されるオリンピック・パラリンピックに向けて、今、生活者のボランティア活動に向けた機運は非常に高まってきていると感じます。これを機に、またその先の未来を見据えて、障害者、LGBT、外国人に配慮したまちづくりを多様な企業やNPOなどが一体となって行うこと。さらにボランティア文化を充実させることによって、彼らのニーズをすくいつつ、彼らの活躍の場をつくることが大切です。

これまで生きづらさを感じていた人たちが生きやすくなる社会は、きっとみんなにとって、もっと生きやすい社会になります。彼らの視点を活かしてまちをもう一度見直せば、東京はもっとクリエイティブで魅力的な街になると信じています。

2015年07月26日     BLOGOS


米でSO夏季世界大会 県内から3選手挑む

2015年07月27日 01時10分41秒 | 障害者の自立

 知的障害者のスポーツの祭典「スペシャルオリンピックス(SO)夏季世界大会」が米・ロサンゼルスで25日~8月2日(現地時間)に行われる。県内からは3人が参加。前回アテネ夏季大会のテニス女子シングルスで銀メダルを獲得した小原愛美あいみ選手(23)(柴田町)がシングルスで初の頂点を目指す。

 SOは知的障害者の社会参加を促そうと、1962年に米国で始まった。スポーツを通じて自立心を培うのが目的で、全ての選手が表彰される。世界大会は夏季と冬季がそれぞれ4年ごとに開催され、今回は177の国・地域から約7000人の選手が出場。日本選手団は選手やコーチら118人が参加する。

 小原選手は中学生の頃、姉の影響で軟式テニス部に入り、県立支援学校に通い始めてから硬式に転向。ラリーが得意で、1メートル47と小柄ながら力強いストロークを繰り出す。「うまい人に勝てると楽しい」と魅力を語る。

 震災で自宅が壊れ、練習場所だった名取市のテニスコートは津波にのまれた。十分な練習ができず、初出場した2011年のアテネ大会は惜しくも銀メダルに終わった。

 「頑張れば勝てる相手だった」。悔しさから休日の練習に熱が入り、介護施設での仕事がある日の夜も、ランニングや筋トレを重ねてきた。小原選手は「世界大会では自分らしいプレーをしたい」と語る。

 一方、体操競技の斎藤七恵選手(30)(仙台市泉区)と、陸上競技(1500メートル、5000メートル)の佐々木玲選手(17)(同)は14日、村井知事を表敬訪問。「どんな時も笑顔で頑張りたい」(斎藤選手)、「出られなかった選手の分まで走りたい」(佐々木選手)と抱負を語り、村井知事は「すばらしい結果を出して被災者も元気にしてほしい」と激励した。

村井知事を表敬訪問した斎藤選手(右)と佐々木選手(左)=14日、県庁で

村井知事を表敬訪問した斎藤選手(右)と佐々木選手(左)=14日、県庁で

2015年07月26日 Copyright © The Yomiuri Shimbun