ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

視覚障害者への理解と配慮を啓発するポスター

2016年09月11日 02時47分43秒 | 障害者の自立

徳島の盲導犬を育てる会が、視覚障害者への理解と配慮を啓発するポスターを作成し、9日、県に贈呈しました。この啓発ポスターは去年10月視覚障害がある山橋衛二さんがバックしてきたトラックにひかれ盲導犬とともに亡くなった事故を受けて、徳島の盲導犬を育てる会が作成しました。徳島の盲導犬を育てる会の竹内安彦理事長らがきょう県庁を訪れ、県保健福祉部の吉田英一郎部長に啓発ポスターを贈呈しました。ポスターは生前の山橋さんの写真に講演会などで山橋さんが残した言葉を載せたものなど12種類が1セットとなっていて、県にはあわせて47セットが贈られました。県は全国に先駆けて、警報装置の義務化を条例で定めています。県ではこのポスターをイベントなどで掲示し啓発に努めると共に他県の県庁などにも送って、警報装置義務化を全国に広げていきたいとしています。

[ 9/9 18:39 四国放送]

68歳、バタフライ舞う…日本選手団最年長

2016年09月11日 02時28分01秒 | 障害者の自立

 【リオデジャネイロ飯山太郎】障害者卓球の「レジェンド」の挑戦が始まる。9日午後(日本時間10日午前)、卓球女子シングルス(車いす5)の別所キミヱ(68)=兵庫県障害者スポーツ交流館=が1次リーグを戦う。今大会の日本選手団最年長は「一つ一つ勝っていくことを大事に」と、4大会連続の晴れ舞台に挑む。

  茶色く染めた髪を編み込み、毛先にはチョウの髪飾り。海外勢に「バタフライ・マダム」とも称される試合時のいでたちだ。髪を編み込む理由は「対戦相手の気を自分に編み込むというか、取り込みたいという思いがあって」。髪や車いすに施す華やかなチョウのデコレーションは、協力を受ける卓球用具会社「バタフライ」に配慮している。身なりには別所なりのさまざまな思いが詰まっている。

 広島県出身の別所は結婚を機に兵庫県明石市に移り住んだ。42歳の時に骨盤の一部にがんが見つかり、両脚がまひするなどの障害が残った。発病の数年前には夫勇さん(当時44歳)を病気で亡くしていた。息子2人を育てねばならず「悪いことは何もしていないのに、なぜ自分だけ。神様はいたずらやな」と運命を呪った。

 車いす生活となって間もなく、親友から「できないことを嘆くより、できることを喜ぼう」という言葉をかけられた。合計で約60時間にも及ぶ大手術を経て取り留めた命。病の再発の恐怖もあったが、与えられた時間を懸命に生きることを考えるようになった。

 新聞で障害者スポーツの記事を読んだのをきっかけに45歳で卓球を始めた。2年後には障害者スポーツ大会に出場し成績も徐々に向上。パラリンピックは2004年アテネ大会から出場し、08年北京大会と12年ロンドン大会では5位入賞した。

 パラリンピックのレベルの高さや厳しさをよく知るだけに「簡単にメダルを取るなんて言ってはいけない」と語る。とはいえロンドン大会後、車いす選手が取りづらい相手コートのネット際に落ち、そこから真横に変化しながら弾む球など新たな技術の習得にも取り組んできた。

 72歳で迎える20年東京大会については「リオが終わってみないと分からない」と豪快に笑う。別所はリオ入り後、「持てるものを出して勝てなかったら相手が上だったということ」と完全燃焼を誓った。試合では自ら「鬼の形相」と言う勝負師の顔で、まずは自身過去最高の4強入りを目指す。

毎日新聞   2016年9月9日


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2016年09月11日 02時16分53秒 | 障害者の自立

 リオの感動を再び―。リオデジャネイロ・パラリンピックが幕を開け、県内の障害者スポーツ関係者らは8日、熱戦への期待を込めるとともに、出場選手たちに熱いエールを送った。また、注目競技や注目選手などについて語った。

 車いすバスケットボール女子日本代表としてアトランタから北京まで、パラリンピックに4回連続出場し、2009(平成21)年、みんゆう県民大賞を受賞した増子恵美さん(46)=県障がい者スポーツ協会=にリオデジャネイロ・パラリンピックの見どころや注目競技を聞いた。

 ―県勢3選手については。
 「震災で練習拠点を移すなどしたが、3選手とも地元の競技団体と交流を続けていて、多くの仲間が応援している。男子の車いすバスケは、豊島英(あきら)選手=WOWOW、いわき市出身=らジュニア育成世代が力をつけた」

 ―県勢以外の注目選手や競技は。
 「2大会ぶりに出場する競泳女子の成田真由美選手。通算15個の金メダルを獲得し、同じ年齢の選手なので応援している。(目標玉にボールを投げるなどして近づける)『ボッチャ』など重い障害の選手たちの競技、喜多方市で強化合宿したボート競技も注目したい」

 ―競技内での注目点は。
 「車いすや義手など選手が使う用具も見てほしい。車いす一つとっても障害の程度やポジションで違うものを使っている。用具の工夫や技術が磨かれていて、パラリンピック競技の世界は広がっている」

 北京パラリンピック陸上女子200メートル(車いす)銀メダリストの八巻智美さん(45)=郡山市=は「パラリンピックは各選手が4年間、仕事をし、費用や時間を使いながら頑張って出られるかどうかという舞台。出場したくて出場できるものではない」と大会に出場するまでの難しさを語る。

 その上で「メダル獲得という結果が出せれば、頑張ったご褒美となり、幸せなことだと思う。選手村での生活や現地の雰囲気も楽しんでほしい」と出場選手に声援を送る。

 県勢では、豊島英(27)をはじめ、柔道(視覚障害)女子48キロ級の半谷静香(28)=エイベックス、東日大昌平高卒、車いす卓球男子の吉田信一(50)=情報通信研究機構、須賀川市出身=の3選手が大会に出場。車いすバスケチーム「チームアース」の安藤翔治さん(34)=須賀川市=は、「豊島選手を応援している。スピードと細かい動きが持ち味。巧みな車いすさばきに注目してほしい」と期待感を言葉にした。

パラリンピックの見どころを紹介する増子さん
 
2016年09月09日    福島民友

義足に車いす…何でも直します 6度目「参戦」のすご腕修理人、月城慶一さん

2016年09月11日 02時08分10秒 | 障害者の自立

 7日(日本時間8日)に開幕したリオデジャネイロ・パラリンピック。義肢や装具、車いすが手放せない障害者アスリートを支えるのが、これらのメンテナンスを一手に担う現地の「リペアセンター」だ。義肢装具士で、広島国際大総合リハビリテーション学部の月城慶一教授(51)は、修理スタッフとして6度目のパラリンピック参戦。「4年ぶりに選手の皆さんに会えるのが楽しみ」と胸躍らせている。

 同センターを運営するのはドイツに本社を置く義肢装具のパーツメーカー、オットーボック社。義肢や装具、溶接、車いすについて高度なスキルを備えた技術者が、午前7時半から午後11時までの2交代制で作業に当たる。選手村の食堂内に設けられた同センターに加え、14の競技会場にもブースを設営。車いすのパンク修理から義肢装具作製にいたるまで、あらゆる注文に対応する。

 月城教授は京都市出身。ドイツのマイスター資格を持ち、1998年長野冬季大会で初めてスタッフに加わった。2000年シドニー大会以降はすべての夏季パラリンピックに参加しており、リオに集まった精鋭の中でも指折りの古株だ。

 一口に障害者アスリートと言っても、個々の競技環境には大きな差がある。企業から手厚いサポートを受ける一握りの選手については「そもそも完璧な状態に仕上げているので、われわれの出番はさほどありません」。 

一方で、ブレーキが壊れたままの車いすを使っている選手も少なくない。

 一筋縄ではいかない代物が持ち込まれれば、修理スタッフの腕が鳴る。「あまりにもひどい状態なら、直すより一から作った方が早い」と約1万5千個のスペアパーツを駆使し、難しい要望に応えてみせる。「断ることはまずないですね。そこは一種のチャレンジなので」。世界31カ国から約100人が集まった同センター。技術者たちのプライドがぶつかり合う。

 無報酬の激務だが、メダリストがお礼の報告に来てくれることもしばしば。新たな出会いも大会中に得られる喜びの一つだ。

 「競技者にとって、義肢装具や車いすはなくてはならないもの。彼らがいいパフォーマンスを出せるように気合を入れて臨みたい」

修理スタッフとして障害者アスリートを支える月城慶一さん

修理スタッフとして障害者アスリートを支える月城慶一さん

産経ニュース

 


パラリンピックでベトナム史上初の金メダル、世界新記録も

2016年09月11日 02時01分27秒 | 障害者の自立

 リオ2016パラリンピック競技大会(第15回夏季大会)開幕2日目の8日、パワーリフティング男子49kg級(運動機能障害)でベトナムのレ・バン・コン(Le Van Cong)選手(32歳)がベトナム史上初のパラリンピック金メダルを獲得した。この日、パラリンピックの表彰式で初めてベトナムの国歌が流れた。

 コン選手は181kgを上げて金メダルを獲得。更に順位が決まった後、183kgに成功し、自身が持つ世界記録を1kg更新、パラリンピック新記録及び世界新記録を樹立した。

 コン選手は北中部地方ハティン省出身。母親が妊娠中にデング熱にかかったため、コン選手は両足が未発達のまま生まれた。19歳の時にホーチミン市へ移り、障害者向けの職業指導クラブに参加。ここでスポーツトレーニングクラブに入り、パワーリフティングと出会った。

 パワーリフティングを始めた年に参加した全国障害者スポーツ大会では銀メダルを獲得。初の国際大会参加となった2007年のASEANパラゲームズ(ASEAN Para Games)では、152.5kgを上げて金メダルの栄光を手にした。

 今回、金メダルを獲得したコン選手は、まず妻に電話で報告した。ブラジルに発つ前、妻は「メダル獲得は重要ではない。何よりも体に気を付けて」と言ってコン選手を送り出したという。コン選手は、「この金メダルが、ベトナムの障害者の動力になれば」と喜びを語った。

 金メダル獲得の瞬間はVNエクスプレス紙の電子版で視聴できる。

2016/09/09   日刊ベトナムニュース