八月中旬のお昼前、名古屋市西区の弁当店。「包丁で野菜をうまく切りそろえられないのですが…」
心配顔で申し出たのは、アルツハイマー型認知症を患う山田真由美さん(56)。職業訓練を受けるために、この日初めて店を訪れた。「多少の切り損じはカバーできますよ」。店長の言葉に表情が和らいだ。
二十二年前から、市内の小学校で給食調理員として勤めてきた。短時間に千食を作るため戦場のような忙しさで、材料は素早く同じ大きさに切る。だが「症状が進んで、時間に追われる作業ができなくなり、包丁への恐れも出てきた。同僚の助けはあったが、休職するしかなかった」。
今は毎日、一人暮らしの自宅で過ごす。職場に復帰したい、でも前のような仕事は無理かもしれない-。気持ちは揺れ動いていた。
そんな思いを知り、手を差し伸べたのが、名古屋市認知症相談支援センターで、若年性認知症の人への支援を担っている鬼頭史樹(ふみき)さん(35)だ。障害者の就労継続支援事業所で、若年性認知症の人も通っているこの弁当店を、鬼頭さんに紹介してもらった。
「週二回の訪問リハビリで、忘れてしまいがちな包丁の使い方を教えてもらうこともできる。弁当店での実践とリハビリを組み合わせる機会になりますね」。鬼頭さんにこう励まされ、好きな料理の仕事を今後の目標として持ち続ける気になった。
鬼頭さんと知り合ったのは二〇一三年十一月。センターが開いている若年性認知症の人と家族の交流会「あゆみの会」の場だった。
認知症と分かった当初、病気について知られたくないという思いが強かった。一年半後、同じ症状を持つ女性と出会い、前向きになっていった。「交流会では最初のうちは積極的に話さず、壁をつくっている感じだったのに、話して共感し合う関係になれたのは女性ならでは」。鬼頭さんは、当事者との出会いが新たなパワーを生む瞬間を目の当たりにして、感心したという。
山田さんと共鳴し合った女性は昨冬、大阪に転居していった。でも、手を差し伸べてくれる人が多いことを実感した山田さんは、月一度の例会などの催しに積極的に参加し続けている。
八月にセンターであった勉強会には、認知症で一人での外出に不安を抱える五十代の女性を誘った。待ち合わせの場所を忘れていた女性と合流するのに時間はかかったが、女性は「山田さんは私の介護福祉士みたいな存在」とほほ笑む。山田さんも「着替えが難しい私を、彼女が手伝ってくれるんです」と、助け合う関係をうれしそうに話す。
山田さんが気にかかるのは、若年性認知症の人たちが閉じこもりがちになってしまうこと。若いのに仕事ができなくなって一人で家にいると、存在価値がなくなったようで落ち込んでしまうから。「私のように、勇気を出し外へ一歩踏み出せば、助けてくれる人がたくさんいる」。鬼頭さんの勧めで、そんな気持ちをさまざまな場で語り始めた。
八月に名古屋市内であった市民講座。「認知症の人たちが住みやすい社会にするため、頑張らなくっちゃ」「認知症になっても心配ないと伝えたい」。一般市民六十人にこう決意を語ると、最近明るくなった表情が、さらに輝いた。
交流会の例会で、認知症相談支援センターの鬼頭史樹さん(左)らと談笑する山田真由美さん
2016年9月22日 東京新聞