カシオペアと鉄道-。特急電車の名前ではない。人気フュージョンバンド「カシオペア」の元キーボード奏者、向谷実さん(59)は鉄道オタク(鉄ちゃん)の間では知る人ぞ知る存在だ。二百駅以上の列車の発車メロディー(駅メロ)などを作曲したほか、運転士養成や各地の博物館に置かれる鉄道各社の運転シミュレーターを開発。ついにはホームドアまで作ってしまった。来月、還暦を迎える現役ミュージシャンの“鉄道愛”が止まらない。 (立尾良二)
東京・二子玉川に生まれた向谷さんは、全国で鉄道整備が進んだ高度経済成長期、カメラとソニー製録音機「デンスケ」を手にSLや電車を追いかける少年だった。当時を「子どもの目に飛び込んできた一番のハイテクが鉄道車両だった」と振り返る。
一九七九年にカシオペアでメジャーデビューし、人気になっても鉄道愛は冷めず、ほかのメンバーが次のコンサート会場へ新幹線や特急で移動する際も、チケットを勝手に在来線に換えて一人で夜行列車で向かった。「マネジャーから見れば最低のメンバーだね。でも鉄道に詳しいから開演に遅れない自信があった」
バンド活動を記録しようと、八五年に録音スタジオや機材をレンタルする会社「音楽館」を設立。そのころ出合ったのが、日本ではまだ珍しいマッキントッシュのコンピューターだった。「一般に普及する十年くらい前で、映像と音を自在に編集できるようになった」という。
「電車の運転士目線でソフトを作ったら鉄道ファンにはたまらないな」と、運転席の後ろの窓から実際の風景を撮影した運転シミュレーションゲームを開発。九五年に発売したパソコン向けの「トレインシミュレータ」は大ヒットし、続けて家庭用ゲーム機向けも売り出された。
このゲームに注目した私鉄やJR各社、海外の鉄道会社が向谷さんに業務用の運転士訓練シミュレーターの開発を依頼。モニターに実写映像が流れるのが売りで、各地の鉄道博物館に置かれ、人気となっている。
「鉄道会社が面白いのは最初は規制でハードルが高いが、いざ作るとなると『あの会社より良いものをうちに作って』と、こちらの要望が何でも通るようになること」だとか。「防護無線(緊急停止)装置を発報(作動)したり、踏切に人を入れたり、急病人を発生させるなど緊急事態を勝手にCGで起こすと、会社側もノリノリになった」
今や家庭用ゲームソフトとしては山手線から新幹線まで三十種類以上、計百万本以上を売り上げる。鉄道会社は映像撮影に協力するため、向谷さん専用の列車まで走らせるほどだ。
次に手掛けた駅メロは、これまでにJR九州、京成電鉄、東急電鉄、東京メトロ、西武鉄道など二百カ所以上の駅で採用された。向谷さんは視覚障害者団体の意見も取り入れて、上りと下りのメロディーを分けるなど工夫している。
会社の業績について「鉄道事業と音楽事業の割合は99対1かな」と向谷さんは笑う。安全対策まで気になるのは「鉄道が大好きだから。音楽も役に立つのが最大のモチベーション。音楽と鉄道、自分の中では何となくバランスがとれているしね」。向谷さんの鉄路はどこまでも続きそうだ。
◆重量、費用従来の1/3 JR九州が採用検討
今年八月、東京メトロ銀座線の青山一丁目駅で視覚障害者が駅ホームから転落して死亡した事故に、向谷さんは胸を痛める。
「ホームドアがあれば防げることがたくさんある」。以前からホームドアの必要性を訴えてきた向谷さんだが、現在の主要なホームドアは板状で重量が約四百~五百キロにもなり、一駅の設置費用は数億円から十数億円かかるとされ、設置は遅々として進まない。
向谷さんは昨年初め、JR九州の青柳俊彦社長と懇談中に四、五本のバーが横へ伸びる「軽量型バー式」を思いつく。従来より重量も費用も三分の一ほどで済み、特許も取得。日本信号(東京都)と共同で実証実験を続けており、JR九州筑肥線の九大学研都市駅での設置が具体化している。
JR九州広報室は「向谷さんは鉄道に詳しく、アイデアに優れ、うちの社長も『ぜひやってみよう』と意気投合した」と話す。向谷さんは銀座線の事故後、国土交通省の会合に呼ばれ、鉄道会社からも助言を求められている。「各社とアイデアのいいとこ取りをして改良し迅速に普及させたい」と抱負を語る。
<むかいや・みのる> 1956年10月20日生まれ。4歳からオルガン、ピアノ、電子オルガンを習う。大学受験に失敗してネム音楽院(現ヤマハ音楽院)に入学。77年にカシオペアに加入、メジャーデビュー後は日本のみならず世界で人気を博した。2012年に脱退したが、ミュージシャンとして今も精力的に活動している。
<向谷実ライブ「EAST meets WEST」> 11月6日午後1時30分、東京ビッグサイト(江東区有明3)。開催中の「楽器フェア」のスペシャルイベント。出演はほかに、米国の人気ミュージシャンのドン・グルーシン、リー・リトナー、ネイザン・イーストに加え、神保彰、エリック・ミヤシロら。入場料5000円(フェアチケット代含む)。問い合わせはヤマハミュージックジャパン=(電)03(5488)1674。
<新刊「向谷実の青春60切符♪」> 音楽之友社から10月20日に発売。ミュージシャン、プロデューサー、社長として奮闘する半生を振り返る。発売を記念してトーク&ライブイベントが同月17日午後7時、新宿区神楽坂6の音楽の友ホールで開かれる。希望者は9月30日必着ではがきかメールで音楽之友社へ。応募多数の場合は抽選。詳しくは同社=(電)03(3235)2124。
2016年9月25日 東京新聞