ゴエモンのつぶやき

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毎日フォーラム・パラスポーツ  初瀬勇輔(視覚障害者柔道)

2018年06月09日 12時08分12秒 | 障害者の自立

障害者が普通に働ける社会を作りたい

 パラスポーツの体験会で、ほぼ必ず見かける柔道家がいる。滑らかな口調と、軽快なトークが人を引き寄せる。声の主は、2008年北京パラリンピック日本代表(視覚障害)の初瀬勇輔(37)だ。現役選手を続ける傍ら、多くの団体や企業の役員を務める初瀬の行動力の源には「障害者となり、エントリーシートを送った120社に面接を受けさせてもらえなかった」経験がある。

  長崎県佐世保市で生まれ、小学4年ごろから空手を始めた。進学した中高一貫校では空手部がなく、「道着が似ている」柔道部に入部。高校2年と3年の時、県で3位に入ったが、九州大会や全国大会には出場できず、不完全燃焼のまま一度は柔道から身を引いた。

 最初の転機は、浪人中の19歳。左目を閉じると、右目の視野が欠けていた。緑内障だった。弁護士を目指して中央大法学部に進学。だが、2年生だった23歳の時、今度は左目が緑内障に。現在は、中心視野がなく、正面にいる人の顔や姿は見えない状態だ。当時は幸い、学業支援のために後輩が2年間も付き添ってくれるなど、周囲が支えてくれた。

 大学4年だった05年夏、友人から視覚障害者柔道の存在を聞いた。日本視覚障害者柔道連盟に連絡すると、「11月に全日本大会がある。県で3位になったなら、出場しては?」と勧められ、7年ぶりに畳に上がった。中学・高校時代の友人らが一緒にけいこしてくれた。初出場の全日本大会の90キロ級で優勝。翌06年フランスでの世界選手権にも出場し、アジア・太平洋の障害者スポーツ大会・フェスピックでは金メダルを獲得した。

 就職活動期を迎え、柔道で日本王者になった初瀬は「就職はすぐに決まるだろう」と考えた。だが、その思いは、打ち砕かれる。障害者雇用制度のある国内企業約120社に応募したが、面接に進んだのは2社のみ。うち障害者が従業員の9割を占める人材紹介会社への就職が決まった。

 この経験を経て、11年には障害者雇用コンサルティング会社「ユニバーサルスタイル」(本社・東京都豊島区)を創業。いずれも柔道選手で、16年リオ大会に、夫婦選手で初めてパラリンピックの同一種目に同時出場した広瀬悠、順子夫妻(ともに伊藤忠丸紅鉄鋼)や、12年ロンドンで金、16年リオで銅メダルを獲得した正木健人(エイベックス)らの就職を橋渡しした。17年からは企業向け健康経営コンサルタント会社の社長も務め、現在は自分を書類だけで「落とした」会社との仕事も少なくないという。

 20年大会を前に、パラアスリートの雇用は増えた。だが、東京大会後の21年には「パラバブル」が弾けると言われる。初瀬は「僕が今、働けるのは幸運だったから。21年までに、障害者が普通に働けるように世の中のシステムを作りたい」。

 では、「選手・初瀬勇輔」の目標は? 16年リオ大会への日本代表選考会で「指導」一つの差で8年ぶり出場を逃した。東京大会への気持ちを尋ねると「出るだけではなく、メダルが取れる選手として出場したい」。東京で、表彰台の中央に立つ39歳の初瀬を、ぜひ見たい。=敬称略

(毎日新聞社オリンピック・パラリンピック室委員・山口一朗)


最多1693件 8年連続で更新 県内・昨年度

2018年06月09日 12時01分25秒 | 障害者の自立

障害者就職

 三重労働局は、県内のハローワークを通じた2017年度の障害者就職件数をまとめた。前年度比9・6%(148件)増の1693件で、8年連続で過去最高を更新した。

 求職する障害者のうち就職できた割合を示す就職率も同0・6ポイント増の56・2%だった。労働局は「障害者雇用への企業の理解が進み、行政の支援態勢も整ってきたため、障害者の求職も多く、就職件数は増加傾向が続いている」としている。

 新規求職の申込件数は同8・3%増の3015件となり、初めて3000件を超えた。

 障害種別の就職件数は、精神障害者が同11・2%増の777件で全体の45・9%を占めた。知的障害者は同16・7%増の350件。発達障害や難病などの「その他の障害者」も同52・1%増の108件と増えた。一方、身体障害者は458件と知的障害者を上回ったものの同3・6%減となった。

 産業別の就職状況は、医療・福祉が692件(40・9%)と最多。次いで、製造業283件(16・7%)、卸売業・小売業135件(8・0%)、サービス業133件(7・9%)などとなっている。

毎日新聞   2018年6月8日 


川崎のNPO、中途視覚障害者へ手引き 自立生活に役立つ情報掲載 

2018年06月09日 11時55分41秒 | 障害者の自立

記念誌

 川崎市視覚障害者福祉協会が、創立70周年記念誌を発行した。人生半ばで目が不自由になった中途視覚障害者のため、暮らしの手引きをまとめている。

  同協会は視覚障害者の有志の会として1948年に発足。2009年にNPO法人になった。視覚障害者の自立と社会参加を目指して活動を続けている。

 記念誌はA4判61ページ。活動や沿革をまとめたほか、身体障害者手帳の取得の方法から、自立生活のための訓練、行政の用具補助などを紹介している。「炊飯の水加減は、米に手のひらを置いたときに中指の付け根あたりに水がくるくらいにする」など、暮らしに役立つ情報も載せている。

 編集を担当した船橋光俊副会長は、自身も中途視覚障害者で「支援策などは、どうしても部分的にしか知らない人が多いので、アウトラインをまとめた。広く市民にPRしたい」と説明した。

 川崎市民向けの内容だが、希望者には無料で配りたいという。今後、録音CD版も製作する。視覚障害者のためのサピエ図書館にデータを保存してもらう調整もしている。問い合わせは同協会(044・222・1611)。

毎日新聞   2018年6月8日


強制不妊手術 真相究明を 障害者3人体験談

2018年06月09日 11時37分19秒 | 障害者の自立

 出産に反対/説明なく注射 富山で勉強会

 旧優生保護法下で強制不妊手術が繰り返された問題で、障害者の自立支援活動を行うNPO法人「文福」(富山市五福、八木勝自理事長)は連続学習会「障害者の立場から『強制不妊手術』を考える-優生思想を軸に」をスタートした。5月にあった初回は、障害を理由に子宮摘出や中絶手術を勧められた3人の障害者が体験を語り、真相究明を訴えた。 

 ■福田文恵さん(57)=富山市、文福副理事長

 生後間もなく脳性マヒを患い、小中高は養護学校に通った。中学時代、看護師に「生理の始末はできるのか」と不妊手術を受けるよう強要された。親が主治医に相談すると、体力的に手術は無理との診断で、始末できるよう訓練した。高校生で初潮を迎えてうれしかったのに「おめでとう」を言ってくれたのは主治医だけ。看護師には「喜んでいる場合ではない」と言われた。

 40代前半で子宮内膜症になり、女性医師から卵巣も子宮も全摘出するよう言われたが、セカンドオピニオンで子宮に異常はなく、手術を免れた。「日本社会はまだまだ障害者を受け入れていない」。

 ■中村薫さん(60)=富山市

 8歳から他県の障害者施設で暮らし、10代で初潮を迎えた。女性職員から「どうせ子どもなんて産めない」と繰り返し言われ、22歳の時、子宮摘出手術を受けることを自ら決断。その後、障害があっても出産や育児を経験した人がいることを知り、後悔の念にさいなまれることになった。

 旧優生保護法の問題がクローズアップされてから、取材を積極的に受けているが、心ない言葉を受けるようにもなり、「今は何も言いたくない」。

 ■河上千鶴子さん(65)=富山市

 3回妊娠した。最初は24歳。妊娠が分かると、産婦人科医が何の説明もなく注射を打とうとした。怖くなり逃げ帰ったが、親きょうだいも交際相手も出産に反対。県内での出産を諦め県外に移ったが、流産。自殺まで思い詰めた。

 その後、夫の四十物(あいもの)和雄さん(66)と出会い、2度目の妊娠。帝王切開の必要から大きな病院を紹介されたが、再び注射を打たれそうに。ちょうど別のお産が始まり、その間に逃げ帰った。その子は36歳になった。

 最後の時も医師に「中絶するなら早いほうがいい」と言われた。普通は妊娠すると「おめでとう」と言われるのに、1回も言われなかった。障害者は子どもを産む存在ではないと思われていたから。脳性マヒは旧優生保護法の対象外だったが、健常者にとっては私たちも対象という考えがあったはずだ。

 次回は7月13日午後7時から文福事務所。「障害者の立場から問題を明らかにする」とのテーマで、不妊手術の影響や障害者の性的自己決定権と支援体制などについて考える。3回目は11月10日、富山市安住町の県総合福祉会館サンシップとやま(時間未定)。立命館大生存学研究センターの利光惠子・客員研究員の講演「優生思想と現代(仮)」。詳細は同事務所(076・441・6106)。

 

 自らの体験を語る(左から)福田文恵さん、中村薫さん、河上千鶴子さんと夫の四十物和雄さん

視覚障害者と読める絵本850冊 神奈川に私設図書館

2018年06月09日 11時27分47秒 | 障害者の自立

 視覚障害のある人もない人も一緒に読める「ユニバーサルデザイン」の絵本を手作りし、貸し出す私設図書館が、神奈川県葉山町にあります。視覚障害のある娘がいる女性が2008年に始め、蔵書は約850冊。協力の輪も広がっています。

 壁一面の本棚には絵本。点字プリンターや製本機もある「ユニバーサル絵本ライブラリー UniLeaf(ユニリーフ)」は、代表の大下利栄子さん(58)の自宅の一室にある。大下さんはここで毎日、「ユニリーフ・ブックス」と名付けた絵本作りに取り組む。市販の絵本のページを切り離し、絵本と同じ大きさに切った透明シートに点字を打ったものを、各ページに挟んで再び製本する。絵本は大下さんが選び、県などからの助成金や寄付金で購入している。

 大下さんには、幼い頃に視力を失った次女(21)がいる。教育相談にのってもらった国立特別支援教育総合研究所(神奈川県横須賀市)の研究員から10年ほど前、英国のユニバーサルデザインの絵本を紹介された。何かボランティアを始めたいと考えていた大下さんは絵本を取り寄せ、試行錯誤しながら作ってみた。何冊か出来上がり、視覚障害者の子がいた次女の母校の公立小学校に貸し出したところ、「見える子も一緒に読んでいる」と好評だった。

 大下さんは「視覚障害のある子が教室で点字だけの本を読んでいると、周囲の子は、知らない世界にいるように感じてしまう。ユニリーフの絵本なら、イメージを皆で共有できる」。同研究所の星祐子上席総括研究員は「同様の絵本をこれだけ多く作っているところは日本ではほかにない」と話す。

 25人ほどの定期利用者に毎月、大下さんがそれぞれ5冊ずつを選んで郵送で貸し出している。「きょうだいで一緒に読めてうれしい」「子どもの本への興味が広がった」などの感想が寄せられる。

 学校や学生ボランティアにも貸し出しており、視覚障害者の学生が目の見える子の読み聞かせに使うこともある。県立逗子高校の生徒も授業や部活動で絵本作りに取り組む。逗子市内の公共施設でも月に1度、有志のボランティアが絵本作りに協力する。ユニリーフの詳細はウェブサイト(http://unileaf.org/別ウインドウで開きます)、問い合わせはメール(info@unileaf.org)。

 写真・図版

点字を打ったシートを挟んだユニリーフの絵本

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