ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者はポジティブに一歩踏み出すべき?~「車椅子で世界旅行」記事から

2018年09月17日 12時16分56秒 | 障害者の自立

 本記事は、中途頚椎損傷で車椅子生活を送る三代達也さんについて書かれた古川雅子さんのご記事「障がいがあっても、一歩踏み出す勇気を――車いすで世界を旅して分かったこと」に対する私見です。

 三代さんが中途障害者となられてからの再起とその後のチャレンジを、私は心から讃えます。また古川さんも、日本の障害者が置かれた状況への深いご理解と、三代さんのご活動への敬意を持って書かれたのだと拝察します。爽やかな読後感の、素晴らしい記事だと思います。

 しかし、どうしても言わざるを得ないことがあるのです。

 古川さんのお名前とともに「Yahoo!ニュース 特集編集部」とクレジットされた記事に物申すのは、正直なところ、吹けば飛ぶような一オーサーとしては怖いことなのですが、怖れをねじ伏せて書きます。

 読み終わった瞬間、「素晴らしい」と思いつつ、気持ちがざわざわしはじめました。

 時間が経つとともに、直接知る何人もの障害者のやるせない表情が思い浮かびました。

 そして「書かなくちゃ」と決意しました。

「輝く障害者」に傷つく人々

 どのような形でもかまいません。ある障害者のある側面がポジティブに紹介されるとき、あるいはポジティブに見られる活動をしているとき、傷つく障害者が必ずいます。その障害者たちのの心の中には、

「同じ障害なのに、あなたはなぜ、同じようにできないの? グズグズしてるの? 明るくないの?」

という声が響きます。それは本人が勝手に作り出したものではなく、幻聴でもなく、繰り返し繰り返し暗に陽にぶつけられているうちに、本人の中に内面化されてしまった「世の中」のモノサシです。

 私は、それほど注目や賞賛に値することはしていませんが、それでも

「あなたみたいな人がいるせいで、働いていない私が比較されて非難された」

「あなたは大学院まで行けて上場企業に勤務した経歴があったら出来るんだ、恵まれてるからって威張るな」

「あなたが文章を書くせいで、私のような、より恵まれない障害者の声が聞かれなくなる」

というようなことを言われることがあります。

 すべて、「はあ? 何? その言いがかり?」で済ませてかまわないはず。

 その障害者と私を比較して心ない言葉をぶつけた人は、私ではありません。

 私は確かに、同世代女性の中では恵まれた経歴を持っています。バリアを突破する努力はしてきましたが、同等以上の能力があっても努力してもバリアに潰された同世代女性も、多数見てきました。「運がよかっただけ」という思いがあります。でも、大学院修士課程を修了してから約30年後に不当利得であるかのように言われても困るだけです。そう言われても、過去をなかったことにはできませんし。

 書きたいのなら、自分の声を聞いてほしいのなら、手段はたくさんあります。困っている何かを変えたいのなら、誰かが読むところに文章を書くことより効率的な手段が数多くあります。

 ……その方のお気持ちは、そういう言葉で言い表せるようなものではないのだろうとは思います。しかし私は、そういう言葉をぶつけられたら、なるべく冷静に、上記のようなことをお答えします。最初は当惑しましたが、ここ数年は「よくあることだ」となりました。

 お答えする時、その方の顔に浮かび上がる悔しさや怒りが入り混じったような一瞬の表情、その次に広がる哀しみを見ることは、何度経験しても慣れません。しかし私は、そのように申し上げます。

 特に、私が女性障害者であることに「優しい」「温かい」「受け止めてもらえる」というような期待を結び付けている方には、そのジェンダー規範を背景とした期待にお応えせず裏切ることこそ、私の役割だと思っています。

パーソナルストーリーのパワーを考える

 たとえば、貧困地域の子どもの困難について訴えるとき、感情を揺さぶりやすいパーソナルストーリーを使う方法があります。

「A地域のBちゃん(5歳)は、2歳の弟を背負って洗濯や水運びをしています。1年前、歩いて3分のところに井戸ができました。その前は、歩いて10分かかる川まで水を汲みに行っていました。お母さんは弟が生まれる時に死んでしまいました。お父さんは朝から晩まで必死で低賃金労働に就いています」

 人の顔を見せず、データに語らせる方法もあります。

「A地域の一人あたり所得の中央値は2.5米ドル。絶対的貧困ラインより少し上ですが、A地域の医療・衛生の状況はよくありません。出産件数のうち3%で産婦が亡くなります。これでも、産婦の死亡率は5年前の6%に比べると向上しました。井戸の密度が増加して……」

 同じ地域について語っているとしても、印象は全く異なります。どちらの方法にも、利点と欠点があります。

 パーソナルストーリーは、人の感情に訴えかけて行動や思考を変化させる、大きなパワーを持っています。ところが、感情に訴えかけたのは一例、またはせいぜい数例です。感情を揺さぶられた人は、どこかでその例を「モデル」としてしまいます。そして、同様の状況にある別の実例、あるいは、その人にとって好ましくない側面を見た時、「こういう、同情や共感に値しない人たちのためなら、自分は動かなくていいんだ」というネガティブな感情を呼び起こしがちです。

 「そういうものなのだ」という読み手の理解、読み手のリテラシーがあれば、パーソナルストーリーは人を傷つけたり無視したりするパワーではなく、より多くの人とつながるパワーを発揮します。

不毛な「理想からの引き算」を止めよう

 これは、私自身が貧困を伝える時に常に注意していることですが、どれほど注意しても「充分」ということはありません。

 結果として「理想の貧困」「理想のコミュニティ」「理想のマイノリティ」「理想の障害者」「理想の生活保護制度利用者」といった非実在理想像を伝えてしまったことにならないように、「理想じゃないから社会から排除していいんだ」という反応をゼロにできないまでも最小限に出来るように、いつも苦慮しています。

 古川雅子さんは、このような問題を当然ご理解の上で、上記の記事を書かれたのでしょう。

 私は、三代達也さんと古川さんのご記事に感動された読者の皆さんにお伝えしたいのです。

「その感動が誰かを居心地悪くしないかどうか、少しだけ考えてみていただけませんか?」

と。

 障害を受容できない障害者もいます。

 そもそも障害者が「障害の受容」を迫られること自体に疑問を感じている障害者もいます。

 世間が怖くて外に出られない障害者もいます。

 働けないことその他のコンプレックスを、「生活保護で、皆さんの税金で楽しませてもらっています」という露悪的な表現でしか表現できない障害者もいます。

 どんな障害者がいても、いいじゃないですか。その人なりの背景があり、その人なりの判断があり、その人の今があるんです。

 まずは、「その人はその人なりの最善最良を尽くしたので、今があってその人なりの最善最良であり、たぶんその路線の未来があって最善最良である」と認めていただけないでしょうか。

 たとえ、どんなにツッコミどころだらけの過去と現在であっても。

障害発生後、生活の再構築に必要なものは?

 私がもう一つ気になったのは、障害者福祉制度の利用について、記事内で全く触れられていなかったことです。もちろん古川さんは、制度に精通していらっしゃることでしょう。

 三代さんは、障害基礎年金の対象になるはずです。介護給付(ヘルパー派遣)なども利用しておられるかもしれません。

 練馬区は、東京都の中でも障害者福祉が比較的利用しやすいことで知られています。多数の障害者が道を切り開き続けているからです。 代表的な方には、ALSで人工呼吸器を装着して介助を受けてロビイングや陳情に飛び回ってきた橋本みさおさん(Arsviより)がいます。

 もちろん、障害者だから障害者運動に参加しなくてはならないということはありません。「生きる」「暮らす」が切り開かれているところに、「外で活動する」「働く」「スポーツする」「踊る」「歌う」、その他もろもろ、選びたい選択肢で(選びたくない選択肢は選ばずに)自分の人生を充実させていくことは、そのまま、障害者と障害者「も」生きる社会を豊かにすることにつながります。

 しかし、障害者が全体として健常者より多くの資源を必要とする存在であることそのものは、変えようがありません。

優遇しろとは言いません、せめて平等を

 障害の発生した時点がいつであれ、障害者は生きるために、自分自身・家庭・地域社会・自治体福祉・年金システムなどから必要な資源を調達する必要があります。

 何がどの程度利用できるかは、人それぞれ事情が異なります。

 ここで考えてみていただきたいのは、「資源調達は本人の責任で行わなくてはならないのか?」ということです。「生きる」「暮らす」、すなわち生存に関わるコストを支払うために疲弊していたら、それ以上の活動はできません。

 そして障害者の相当数は、そのような状況に置かれているのです。健常者なら直面しなくてよい困難を乗り越えて「生きる」「暮らす」を可能にするところで、既に疲労消耗。あるいは、「生きる」「暮らす」でいっぱいいっぱいの状況に沈めてしまおうという謎の力に抗いながらアップアップ。

 これで「社会参加を」「就労を」と言われても困ります。私自身、その謎の力と戦いながら、生活と仕事や学業を必死で守る毎日を送っています。

一人の希望のストーリーを、みんなの希望にするには?

 私は「三代さんに、困って苦しんでネガティブで楽しめない障害者になってほしい」などとは、全く思っていません。むしろ、ここまで獲得され蓄積されてきたものを活かして、もっともっと、ご自分の望む達成や充実を続ける姿を見せていただきたいと思っています。そのこと自体が、障害者たちに「自分も、あんなことができるかも」「あんなことをしたいと思っていいんだ」という新しい選択肢を与えます。またその周囲の人々にも、「障害者がああいうことをして悪いわけはないよね?」という可能性の拡大をもたらします。

 今は「生きる」「暮らす」がままならない障害者に対しても、同様です。もしかすると、その選択肢に気づいたことの表現は、まず「あの人は恵まれているから出来るんだ」という僻みったらしい言葉で行われるかもしれませんが。

 一人の希望がみんなの希望になるために必要なのは、「誰もが、実際に近づける希望である」ということです。

「自分もしてみたいなあ」「自分も出来る範囲で実現する」という思いや言葉や行動が、周辺のすべての人の「すべての人にその資格があり、あなたにもできる」という理解に支えられ、実現方法探しが「生活保護なのに?」などと妨げられずに応援されれば、一人の一つの希望は、実際に、みんなの希望の種になるでしょう。

 ……このように書きながら、私はどこかで「日本人だから、ここは日本だから、そんなことは無理だ」と思っています。

「2018年9月のあの日、日本には無理だと思ったけど、やればできたじゃないか」

と言える日がくることを望みつつ、本稿を締めくくります。

フリーランスライター(科学・技術・社会保障・福祉・高等教育)


障害者支援施設るりがくえん園長 三枝啓已さん

2018年09月17日 12時10分33秒 | 障害者の自立

健常者との垣根ない社会に 三枝啓已(さいぐさ・ひろみ)さん(75)

 県障害者スポーツ協会設立に尽力し、今は山口市鋳銭司の「障害者支援施設るりがくえん」で利用者の就労と生活の支援に取り組む。目指すゴールは「障害者と健常者の垣根のない社会」だ。

 山陽小野田市出身。大学卒業後、機能訓練の担当として勤めた防府市の支援学校で障害者スポーツと出会った。足に障害がある14歳の男子生徒の「車椅子バスケがしたい」との声に応え、未経験ながらチームを作り監督となった。

毎日新聞       2018年9月16日


積極的雇用、県が2事業所を表彰 /山梨

2018年09月17日 11時54分14秒 | 障害者の自立

中央省庁に加え山梨県でも雇用した障害者の人数を水増ししていたことが明らかになる中、県は14日、障害者の雇用に積極的な事業所などを表彰しました。

山梨県などは9月の「障害者雇用支援月間」に合わせて、障害者を積極的に採用している事業所や長年仕事に取り組んでいる障害者を表彰しています。
ことしは、「優良事業所」に甲斐市の社会福祉法人「ぎんが福祉会」と中央市の食品メーカーの「ASフーズ」の2つの事業所が、「優秀勤労障害者」に甲府市の饗場兼彦さんと甲府市の田中つか子さんの2人が選ばれました。
14日開かれた表彰式では、県産業労働部の渡邊和彦次長が「おめでとうございます。県としても引き続き関係機関と協力し、障害者の雇用を促進していきたい」と述べ、表彰状を手渡しました。
「ぎんが福祉会」の内藤和恵理事は「これからも障害者1人1人の能力を生かし、さらに活躍できる職場を作っていきたい」と話していました。
障害者の雇用をめぐっては、山梨県でも知事部局と教育委員会が障害者の人数を水増しして報告していて、法律で定められた雇用率を下回っていたことが明らかになっています。
しかし、14日の式典で県はこの問題について言及しませんでした。

毎日新聞        2018年9月16日


障害者枠「身体」に偏重 「精神」「知的」困難と敬遠

2018年09月17日 11時47分00秒 | 障害者の自立

 九州の7県3政令市で9県市、採用対象限る

 九州の7県と3政令市の正規職員採用試験について、「障害者枠」が設けられているにもかかわらず、福岡県を除く9県市が対象者を身体障害者に限定していることが分かった。身障者に比べ、精神や知的障害者は就労環境を整えるのが難しいと考える自治体が二の足を踏んでいるとみられ、障害の種類によって雇用機会に格差が生まれている現状が浮き彫りになった。

 障害者雇用は、身体障害者雇用促進法に基づき1976年に義務化された。当初は身体障害が対象だったが、その後、知的障害にも拡大。今年4月から精神障害(発達障害や高次脳機能障害を含む)も対象に加わった。

 九州の自治体では、福岡県が82年に障害者枠を導入したのを皮切りに拡大。現在は7県3政令市すべてで導入されており、主に教養や作文の筆記試験と面接による選考が行われている。福岡県は制度改正に伴い、今年4月の採用から精神障害も対象に加えたが、同県以外は現在も対象を身体障害に限定。知的、精神障害者は、障害のない人と一律に受験することになっている。

 精神、知的障害者を枠外にしている自治体が理由として挙げるのは障害の特性。「身体」は職場のバリアフリー化などハード面の環境整備で受け入れの見通しが立つと考える自治体が多いのに対し、「精神」は働く能力があっても長時間の勤務が困難などの点から「仕事を用意したいが何を任せられるのか見定められない」(大分県)との声が多い。仕事内容や勤務時間の個別調整の可否がネックとなっている。「知的」についても「単純作業が想定されるが行財政改革で多くを外部委託しており、仕事がない」(熊本市)。福岡市などは1年契約の嘱託員として採用しているが、正規採用への道は開いていない。

 一方、福岡県は「重いストレスをかけないなど適切な配慮をすれば、通院しながらでも仕事の成果は出してもらえる」と判断し、今春から精神障害者1人を採用。外部との接触が少なく比較的自分のペースで進められる内部管理業務などを任せる予定だ。佐賀県は法定雇用率を下回っていることもあり、来年度実施の採用試験から精神障害者も対象に含める検討をしている。

 精神障害がある北九州市の男性(38)は同市での就労を希望しているが、求人枠がないことが機会の不平等を生んでいると指摘。「私たちは差別されていると思う。行政は民間の手本になれていない」と話している。

=2018/09/16付 西日本新聞朝刊=


社説:障害者雇用水増し 県の3機関、猛省必要だ

2018年09月17日 11時32分41秒 | 障害者の自立

 中央省庁や全国の地方自治体で障害者雇用の水増しが次々発覚した問題で、本県でも県の知事部局、県教育委員会、県警の3機関が本年度、計34人を水増ししていたことが明らかになった。

 厚生労働省のガイドラインは、障害者雇用率の算定に当たり、障害者かどうかは障害者手帳などで確認するよう求めている。本年度の障害者雇用者数について知事部局は73人、県教委は118人、県警は10人と報告していたが、このうち知事部局の6人、県教委の20人、県警の8人は障害者手帳を持っていないなど本来は障害者雇用率に算入してはならない職員だった。

 県と県教委は障害者手帳の確認を怠り、職員の申告のみに基づき算入していた。過去に1度障害を申告していれば、その後もよく確認せず、障害者としてカウントし続けたという。チェックが不十分だったと言わざるを得ない。

 県警の対応にはあきれた。裸眼の視力が0・1以下であるというのを理由に、障害者手帳のない8人を勝手に障害者とみなして雇用率に算入させていたというのだ。県警は「意図的と言われても仕方がない」と非を認めたが、それで済むような話ではない。あってはならないことであり、経緯や原因をしっかり調べ、公表するべきだ。

 水増し分を修正した障害者雇用率は知事部局2・46%、県教委2・11%、県警1・06%と、いずれも法定雇用率(知事部局と県警2・5%、県教委2・4%)を下回った。特に県警は、法定雇用率の半分にも満たなくなった。ガイドラインに基づく対応に改め、雇用率向上に努めるしかない。

 知事、県教育長、県警本部長は「認識が甘かった」などと謝罪した。水増しがまん延していたとはいえ、全てがガイドラインを踏み外したわけではない。障害者手帳の有無や等級を確認するなど、正しく対応していた自治体もある。障害者が仕事を通じて能力を発揮し、自立できるように促す「障害者雇用促進法」の理念に立ち返り、信頼回復を図らなければならない。

 一方、ガイドラインが各省庁や自治体に十分浸透しなかったことを厚労省は重く受け止める必要がある。伝え方が適切だったのかなど、十分な検証が求められる。

 これまでの調査で、中央省庁では国土交通省など27行政機関が3460人の雇用を水増ししていたことが判明。地方自治体では本県を含む37府県で水増しが確認され、厚労省は独立行政法人や国立大学法人も含め実態調査を進めている。政府は第三者の検証チームを発足させており、原因を究明する方針だ。

 水増しによって多くの障害者の雇用が奪われたことは罪深く、取り返しがつかない。いつから、どのようにして行われ、繰り返されてきたのか。徹底的に調べてもらいたい。

毎日新聞         2018年9月16日