ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

北九州フューチャーズ連覇

2012年05月31日 02時19分41秒 | 障害者の自立
 北九州市を拠点に活動する身体障害者の野球チーム「北九州フューチャーズ」が、「障害者の甲子園」と呼ばれる第20回全国身体障害者野球大会(19、20日・神戸市)で優勝し、連覇を果たした。決勝はチーム発足から積み重ねた99回目の公式戦勝利で、選手らはあと1勝に迫った100勝に向け、意気込んでいる。(愛野翔太郎)

 フューチャーズは2001年に発足。北九州市を中心に県内外から10~70歳代の選手とスタッフの約35人が参加し、毎月2回、同市門司区の公園で練習を重ね、若松区の軟式野球リーグなどで健常者のチームなどを相手に、年約20試合の公式戦をこなしている。

 昨年の第19回大会の決勝では、15連覇を目指していた「神戸コスモス」と対戦。阪神大震災や雨天で中止になった4度の大会を除くすべての年に優勝した強豪に打ち勝ち、初優勝を果たした。しかし、その年の秋の全日本選手権大会決勝では、コスモスに2―3で破れた。

 今大会も、決勝の相手はコスモス。決勝はその日の3試合目で、選手たちには疲れがあったが、初回の相手の攻撃を無失点で抑えたことでリズムに乗れたという。大会MVPに輝いた黒塚智幸投手(33)が完投し、3―2で勝った。

 骨肉腫で左足を切断し、義足を装着している黒塚投手は、「連覇という目標を掲げて冬場から筋力トレーニングを積み、上半身を鍛えてきた。その成果だと思う」と喜んでいる。

 チーム発足以来の公式戦の戦績は、今回の優勝で99勝47敗8分になった。一塁手兼監督の三宅繁嘉さん(50)は「できれば優勝で100勝目を飾りたかった。今後は、障害者野球の代表としての自負を持って試合に臨みたい」と話し、気を引き締めていた。早ければ6月のリーグで、100勝を達成する。


大会で優勝を決めて喜ぶ選手たち(北九州フューチャーズ提供)

(2012年5月30日 読売新聞)

被災障害者の家庭に「花とまごころと音楽」を届ける【宮城・石巻発】

2012年05月31日 02時08分16秒 | 障害者の自立
母の日に、色とりどりの花と香りがお出迎え

難民を助ける会では、東日本大震災の復興支援活動の一環として、「被災地に花とまごころをとどけよう」キャンペーンを行っています。津波ですべてを流され、彩りのない被災地に少しでも多くの花を届けようという趣旨 に、日本全国の方々がご賛同くださいました。2012年5月13日、宮城県石巻市にある被災障害者20+ 件のための仮設福祉ハウス「小国の郷」の入居者50世帯 に、花の苗と日本全国から寄せられた応援メッセージをお届けしました。

今回お届けした花は、ガーベラとミニバラです。購入先の女川コンテナハウス商店街にある生花店・ふらわ~しょっぷ花友(はなゆう)に着くと、色とりどりの花と、ミニバラの良い香りが出迎えてくれました。鉢植えは、ふらわ~しょっぷ花友の鈴木行雄さんと妻の美智子さんが一つひとつ心を込めてラッピングしてくださいました。

ふらわ~しょっぷ花友は、震災前は海岸沿いに店を構えていましたが、津波で流されてしまいました。ご家族は命からがら高台に逃げ、避難所生活を経て、2011年7月に難民を助ける会が支援したコンテハウス商店街で店舗を再開されました。鈴木行雄さんは、「店の売り上げは震災前の半分だけれど、こうして店を再開できるだけでもありがたい」と語ります。今回のキャンペーンのために日本全国から寄せられたメッセージカード を、鈴木さんは「涙が出るねぇ」と言いながら、一枚ずつ読み入っていました。


お届けした花は被災した女川コンテナハウス商店街の生花店・ふらわ~しょっぷ花友から購入しました。花友の鈴木行雄・美智子さんご夫妻、近所の子どもたちと。(右は東京事務局の伊藤美洋 2012年5月13日 宮城県牡鹿郡女川町)

【J-CASTニュース - 宮城・石巻発】2012/5/30 17:15

【視覚障害者柔道】ロンドンパラリンピック代表内定〜半谷静香を強くした「東日本大震災」

2012年05月31日 01時58分34秒 | 障害者の自立
 勢いが違った。”始め!”の合図がかかる度に、彼女は気勢を揚げる。この試合は勝てば宿願だったロンドンパラリンピックへの出場が内定する試合だった。

 小川道場に所属する半谷(はんがい)静香は昨年行なわれた全日本選手権で、自分よりも階級が上の選手をも押しのけて優勝している。いわば現在の視覚障害者柔道において日本女子最強とも言える選手である。弱視のため、明るい場所は苦手で、色の判別はほとんどできない。

 だが、半谷はいわゆる幼少時からのスポーツエリートとは程遠かった。スポーツ経験はほとんどなく、小・中・高校と盲学校ではなく普通校に通っていたため、”できることだけやれ”と言われていた体育の授業もほとんど参加できなかった。一つの転機は、中学校で部活に入らなければいけないことだった。

「帰宅部っていうのはイヤだったので。でも仲のいい友達はみんな卓球部とテニス部に入って、”卓球とテニスはちょっと無理だな”って。それで合唱部とか吹奏楽部も考えて、最終的に美術部に入ろうかなって思っていたときに、兄が柔道部だったので一度見に行ったのがきっかけでした。私の同学年も5人くらいいて多かったので、柔道部でいいや、柔道ならなんとかなるかなって」

 中・高校と所属した柔道部では、「いつも部内でビリを争うくらいのレベル」だった。

「勝つことももちろん目標にしていましたけど」と、半谷は言う。

「私は柔道ができていること自体が自分じゃないみたいな。ちゃんと練習についていけていたかは分からないですけど、過去を振り返ればスポーツなんてできなかったので、高校のとき山道を走れるようになったことすらも嬉しくて。だからみんなとの価値観が違ったというか、みんなは勝つためにやっていましたが、私は自信をつけるためにやっているという感じだったんです」

 故にパラリンピックのことなど、全く考えたこともなかった。そもそも、半谷は視覚障害者柔道の存在を大学に入るまで知らなかった。

 その後、半谷は大学で視覚障害者柔道の世界に入るとすぐに全日本で優勝。だが元来の性分で、このときも「たまたま落ちてきたものを掴んじゃった」という感覚しかなく、自分のイメージと実際の立ち位置のギャップに戸惑うことのほうが多かった。

まず全日本選手権に出場が決まると

「えっ!全日本?」

そして初めての全日本で優勝

「全国1位!?エエッ??」

そのまま北京パラリンピック内定

「いきなり北京!?」(後にIBSAの障害認定検査を受けてないという理由で内定は取り消された)

代表合宿が行なわれるとなると

「あの筑波大学に行けるの!? 山口香さんに会える!」

 いちいち自分の身に起こる出来事に驚いた。

 その中で最も大きな出来事は、やはり小川道場に来たことだった。奇しくもきっかけは、2011年3月11日。東日本大震災である。

 福島県いわき市に実家がある半谷は当時筑波技術大学で、卒業を目前に控えていた。ところが震災の影響で、春から予定していた地元での就職の話が消え、4月以降の居場所がなくなった。しかも地震から2日後に初めて家族と連絡が取れたときに、実家も地震の被害を受けて避難することになったと聞き、帰ることもできない。4月にはトルコで世界選手権が控えていたが、練習もできず、帰る場所すらないのにそれどころではないということで辞退せざるを得なかった。

 だがそれでもロンドンパラリンピックを諦めようとは思わなかった。一番優先したいことは、すでに決まっていたのだ。

 そこでまず大学の先生に相談した。就職先もなくなり、帰る家もない。家族も頼りたいけど頼ることができない。だがロンドンのために柔道は続けたい。そして紹介されたのが、あの小川直也が道場長を務める小川道場だった。これほどまでの専門家に指導を受けるのは、半谷にとって初めてのことである。だからこそ思う。

「震災は本当に多くの人にとってはよい出来事ではなかったかもしれないですけど、私にはチャンスにもなった出来事でした」

 無論、当初は焦りや困惑、不安があった。だがひとつの確信を得た。

“なんでも自分から動き出さなきゃダメだ”

 半谷にはかつてなかった自立心が芽生えていた。

 かつて半谷は練習好きではなく、柔道は日々辞めたいと思っていた。中学の時も高校の時も、卒業したら辞めると決めていた。さらに北京が内定取り消しになったときも、もうやらないと決めた。それでも毎度のように、いつの間にか続けていた。

「自分には元々何もなかったんです。得意なものもなかったですし、勉強だって得意じゃない。コミュニケーションも得意じゃない。自分に自信もなかったです。でもやっぱり柔道で何もなかったところから色々得ることができたんです」

「確かに今は勝つとか負けるということを、すごく意識しています。でもどっちかというと柔道を通して成長できる伸び幅だったりとか、人との出会いだったり、そっちのほうが嬉しいから私は柔道を続けられているのかなって思います」

 とにかく自分に対する負い目にも似た感情を抱いていた半谷だが、柔道はそれを払拭するための手段でもあった。

 今、心掛けていることがある。

“柔道をやるのは自分のため”

「自分に自信がなかったから、柔道やってるのも自分のためって言い切ることがなかなかできなかったんです。家族はもちろん、小・中・高校の恩師とか小川先生、筑波大の関係者とか、周りの人たちのために頑張りたいっていうのはもちろんあります。でも、それでは最後に逃げちゃうんじゃないかと思って。自分のためって言えば最後に苦しいのは自分だから。それに私がそういう姿を見せなければ、周りも感動することができないじゃないですか。シドニーで高橋尚子さんがゴールしたときも、笑顔だったからみんな感動できたんじゃないかと思うんです。だから私も自分のために頑張って、自分が柔道を楽しんで勝つ姿を見せられたら、みんなも自然と私の感謝の気持ちを感じてくれると思うんです」

 代表選考試合、日頃から意識していた背負い投げも決まり、最後は優勢勝ちで半谷のロンドン出場が内定した。今度こそパラリンピックの舞台に立つことができるのだ。これでやっと自分に自信はついたのだろうか。

「まだです。成長を感じることはできたけど、まだ試合の内容にも満足できないし、なかなかそうはいきません(笑)」

 半谷がいつか絶対の自信を持つ日が来るとするなら、それは彼女がパラリンピックの舞台で最も輝いた色のメダルを手にすることを意味する。まずは今年、ロンドンでその舞台に挑戦する。今も自分に対する確たる自信を持ちきれないという彼女だが、意外とそんな自分の姿を実は信じていたりするのだ。


「何も考えずに、ただ頂点を目指してやってほしい」と、小川直也道場長(左)

sportiva.shueisha - [2012年05月30日(水)]

障害者施設をリニューアル/さぬき市で記念式典

2012年05月31日 01時55分07秒 | 障害者の自立
 香川県さぬき市長尾西の精神障害者通所施設「みなとの家」(香川始施設長)で29日、改修記念式典があり、出席者は利用者に就労の機会を提供する支援拠点のリニューアルを祝った。

 同施設は市有の旧保育所施設を活用し、2006年10月に小規模作業所として開所。現在はNPO法人ASAの会が運営しており、今年4月に障害者自立支援法に基づく、非雇用型の就労継続支援B型事業の認可を受け、通所者13人が利用している。

 主な支援内容は、段ボールの仕切り板の製作作業や利用者から寄せられる生活、健康面の相談対応など。県からの助成金約2千万円を改修費に充て、作業スペースを広げたほか、休憩所やレクリエーションスペースを設け、作業効率化や利用環境の向上を図った。

 式典には利用者と行政関係者ら約40人が出席。香川施設長は「利用者の人格、人権を尊重し、一体感を目指していくことを基本に努力を重ね、業務に励んでいきたい」とあいさつした。

四国新聞 - 2012/05/30 09:35

知事「ぶん殴るのが処分」

2012年05月31日 01時46分03秒 | 障害者の自立
◇ミス見過ごし巡り発言

 「本当にバットでぶん殴るのが処分だ」――。心身障害者扶養共済制度をめぐる住民監査請求で県職員のミスが指摘された問題で、佐竹敬久知事は28日の記者会見で職員の処分について問われ、こう述べ、否定的な考えを示した。「形式的な処分は無意味で、なんでも処分すればいいのではない」との趣旨だが、住民監査請求をした市民団体は発言にあきれている。


 □□□

 共済制度をめぐっては、担当の歴代障害福祉課長が約9年間にわたりミスを見過ごした結果、県に50万円余りの損害を与えたと県監査委員が認定。歴代課長には地方自治法上の「重大な過失があった」と指摘している。

 知事は28日の会見で、職員と退職者がお金を出し合って損害を穴埋めしようとしているほか、当時の課長はほとんど退職しているなどとして、職員の処分を見送る考えを強調した。

 その理由として、自らも県の課長職を務めたことがあることを引き合いに「(膨大な)書類を全部読むかというと無理です」と発言。損害が穴埋めされるなら「重大な過失を捉えた形での措置はいらないだろう」とした。

 一連のミスは2009年末に庁内で見つかったが、県は公表しなかった。知事は公にしなかったことについて「非常にまずかった」と語る一方、「なんでもかんでも処分だと知事は3日で辞めなければならない」などと主張。冒頭の「バット処分発言」に続けて、「処分することを楽しみません、私は」と述べた。

 監査請求をした「県生活と健康を守る会連合会」(県生連)の鈴木正和会長は「(職員らによる穴埋めは)非常にあいまいな責任の取り方だ。監査委員に重大な過失と指摘されたのに(ミスをおかした当時を)振り返らない知事の姿勢は問題だ」と話した。


佐竹敬久知事=県庁

朝日新聞-2012年05月30日