やっと天気にもなり、蒲団を干しておいての袋掛けだが、600袋掛けても終わらないのである。暑さもあるし、病み上がりでもあり、車に乗る気がしなく断念する。酢を薄めての散布と、草抜きもしつつ、ぐったり疲れてしまった。明日は、勤務に出ねばならない。食事作りもあるので休めない。
それにしても、生り年は分るが、初生りもあるためにか、600で足らないとは。100弱ほどは昨年を使ってもいる。加えて、残っていたのも含めてだが、大粒で大量の生り年になった。白枇杷が大量に生っていて、然も実が大きい。今年も佐藤さとるさんの、ご仏壇にお供えしてもらえるように。
林檎農家さんも、ドクダミと枇杷葉は既に用意してはいるが、上手く日にちが合うかどうかは未定。まあ、それはそれで、送ればいいことなので構わない。こちらも予定があるため難しい。無理なことにしてまで、上げる意味もないことで、本人が必要であれば来ればいいことだ。無理強いは否。
憲法記念日 憲法の9条を変えてまで、国の行く末を迷わせたいのか?と不安が込み上げる。戦争へと突っ走って、何も得るものも、いいこともないのに何故だろう。政権の実権を握ることには、責任も多大な意味が伴うし、事に当たるのも、いい加減では済まない。沖縄の辺野古埋め立て中止。
国民の誰もが、平等であり、生存を守られていなければならない。然し、今尚沖縄だけは、仇のように扱われ、アメリカへの言い成りにされている。こんな不平等が平然とあることに、誰も疑問を抱かないのか?わたくしは、戦争を知らずに育ったが、祖母から、亡くなった叔父の話は聴いている。
赤紙が来れば、強制的に出兵していかねば、非国民と呼ばれ、村八分にされる。何処の親が、好んで殺されに行け、と愛しい息子に言うだろう。叔父は、ロシアのシベリアの寒厳地域に強制労働で連れて行かれ、飢えと寒さで死んだようだが、遺髪さえなく、僅かな遺族年金だけが支給されていた。
戦争は、その命を奪うだけではない。地球のあらゆる場所を破壊し、歴史も何もかもを無にしてしまう。戦争している国々だけでなく、人類を混迷に巻き込む。戦争をすれば、国が潤うと言う輩もいるが、それは武器商人だけで、庶民には何ら利益はもたらせない。況してや、命と引き換えにして。
少し寒くなると、抱っこをせがんでくるすばる。まだ小さいので、甘えさせているが・・・