はぶて虫のささやき

日々の出来事について、雑感を書いてます。
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(旧:はぶて日記)

「見直す」ということさえ認めない人たち

2013-04-12 | 日記
この夏の参院選は、「憲法改正」が争点になりそうだとのこと。

戦後60数年間、まったく変わることなく、まるで「聖書」のごとく扱われてきた日本国憲法が、ようやく根本から見直されようとしているわけだ。

ある意味当然の動きであり、結果がどうあれ、「今のままで一言一句も変える必要はない」というヤツの方がどう考えたっておかしい。

しかし、そうではないのがこういう連中。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130411/stt13041120450007-n1.htm

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1304100037/


まずは、いちおうは「必要悪」である共産党。

憲法改正を争点とした参院選について「受けて立つ」のだそうな。

うん、まあいい。

笑ったのは絶滅予定種の社民党。

福島党首も同じく「受けて立つ」とかコメントしているらしい。

いや、自民も維新の会も、あんたらなんか相手にしていないと思うぞ。

だいたい、主張している内容が理解できない。

自民党の改憲草案では、第13条の「公共の福祉に反しない限り」を「公益および公の秩序に反しない限り」に変えるとある。

公益(国益)あるいは秩序を前面に出す、という姿勢が感じられるが、その真意は説明を聞いてみないとわからない。

つまり「ん?どういう意味? どう違うの?」となるのが普通である。

しかし、この連中は違う。

いきなり「基本的人権を自由自在に制限し、戦争ができる国にしようともしている」と酷評したのだとか。

意味がわからん!

と言うか、頭がおかしいとしか思えない。

この人たちの頭の中では、憲法を変えよう、と言われた時点で「改悪」という言葉しか頭に思い浮かばないのだろう。


おそらく、その根本は第9条にあると思う。

彼らは、この9条さえ温存すれば、後の条文がいかに現実と乖離していようが、矛盾があろうが関係ないのだと思う。

だから、他の条文の内容や文言を変えようとしても、すべてを「戦争ができるようにしようとしている」に無理やり結び付けようとする。

聞いている方は「はあ?」としか思わないと思う。


憲法を変える、あるいは見直すことが、なぜいけないのか。

見直した上で、「この部分は変える必要がない」と思えば変えなければいいだけの話。

それを「見直すこと」自体をいけないと言っている連中の目的はいったい何なんだ?

少なくとも私には、彼らが言っていることはさっぱり理解できない。



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