はぶて虫のささやき

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(旧:はぶて日記)

「赤穂事件」に思うこと

2024-12-13 | 日記
昨日テレ朝で放映していた「謎解き伝説のミステリー 忠臣蔵に隠された7つの謎」を見た。

たいていの場合、このように「謎を解き明かしたぞ!」的な煽りをする番組は面白くはない。

「今夜、その謎が解き明かされる」みたいな進行で、延々と引っ張った挙句に、すでに知られているような事実を、さも「新発見!」のような伝え方をするので、がっかりすることが多いからだ。

ところが、今回はちょっと違った。

まず、タイトルにもある「7つの謎」とは以下のものだ。

1. なぜ斬った? 刀傷事件の謎
2. 吉良邸を探れ! スパイ作戦の謎
3. なぜ勝てた? 装備の謎
4. なぜ勝てた? 戦術の謎
5. 消えた浪士は? 大石の密命の謎
6. 歴史が変わる? 墓儀式の謎
7. 黒幕がいた? 吉良町の謎

実は「なぜ斬った? 刀傷事件の謎」の部分で、この番組を最後まで見るかどうかを決めようと思っていた。

なぜなら、これまでは「吉良上野介が接待の作法についてウソを教える等により浅野内匠頭をいじめたから、それを恨んだ浅野内匠頭が殿中で刀傷事件に及んだ」という流れで伝えられていて、それに基づいた映画やドラマが作られていたのだけど、当時から「そんなことあるか?」と疑問を持っていたからだ。

接待などという重要な行事で恥をかかせたとなると、当然のことながら指南役である吉良上野介にも責任が及ぶどころか、幕府自体の恥にもなることは見えているのに、あえてそんなことをするはずがない、と思っていた。

仮に、言い方がキツい等の問題はあったにしても、それを恨んで、しかも「ここで刀を抜いたらお家断絶」だとわかっている場所で、吉良に斬りつけるなど、どう考えてもあり得ないとも思っていたのである。

だから、その後いろんな本を読んでいくうちに、「浅野内匠頭は以前にも接待役をしたことがある」ということを知ったので、少なくとも「ウソを教えられた」的な事実はあり得ない、ということが分かった。
さらに「実は浅野内匠頭は短気(統合失調症的な?)だった」という説を知り、「なるほど、それなら我も忘れて斬りつける、ということはあるかも知れないな」と思うようになったわけだ。

実際この番組でも、「実は浅野内匠頭は以前にも接待役を仰せつかったことがある」ということをちゃんと伝えていたし、「病気持ち」の件も、付け足し的ではあったものの、触れてはいた。

その上で、浅野が吉良に対して恨みを抱いていたのは、「前回接待役をした時にかかった費用の3倍もの費用を要求されたからだ」という事実は、今回初めて知った。

とは言え、いくら何でも、それだけの理由で「お家断絶を覚悟の上」で刀傷事件に及んだと考えるのは、やはり無理があるので、その辺の番組進行についてはちょっと不満だった。

次の謎のうち2~6については、細かく触れるつもりはない。

新たに知った事実もあるのだが、ここまでの番組進行について疑問に思ったのは「完全に赤穂側の立場でしか伝えておらず、吉良側の視点がまったくない」ということだった。

討ち入りが成功したのは、番組でも紹介されていた通り、周到な準備と戦術によるものだ、というのはあっただろうけど、そもそもの問題として「吉良側が、まさか討ち入ってくるとは思わなかった」というのもあると思う。

つまり、完全に「不意打ち」だったわけで、だからこそ赤穂浪士側にまったく死者が出ず、完勝に終わった、とことはあると思う。

「吉良側の護衛武士が、大半はアルバイトみたいな者ばかりだった」というのも、そういう背景があったからだ、とは言えないだろうか。

あと、大石内蔵助が書き残した文書が公開されて、「我々はこのような理由で討ち入りをしたのです」という内容が書かれていることが紹介されたけど、彼がそう書いたからと言って、「なるほど、そういうわけだったのか」とすぐに納得するのはどうかと思う。

これこそ「資料絶対主義」というのか、「資料があるから、それは事実なんだ」とか「そんな資料はどこにもないから、その説はおかしい」とかいう理論になってしまうわけだけど、そもそも人は一言一句ウソ偽りのない文章を残す、という前提がおかしいと思う。

今回の騒動に関して言えば、そもそも問題を起こしたのは浅野内匠頭であり、どういう背景があったにせよ、殿中で吉良上野介に対して斬りつける行為に正当性はない。

これを「喧嘩」というにはかなり無理があるわけで、だからこそ「喧嘩両成敗」という理屈は成り立たない。

当然のことながら、当時城代家老だった大石内蔵助はある程度の事情は知っていたはずだ。

とは言え、残された家来たちの面倒を見る必要もあり、そこで彼は相当悩んだと思う。

念のため「お家再興」のお伺いを立ててはみたものの、状況を考えたらそれが通るわけもない。

番組では「浅野内匠頭は名君だった」みたいな説明もあったけど、当然「病気持ちであるという事実も知られていたはず。

だとしたら、家来の中にも「なぜ殿だけが切腹で、吉良には何のお咎めもないのか」と思う連中もいる一方で、「だいたい殿中で斬りつけるなんて、うちのバカ殿はどうしようもない」と思う連中もいたはずだ。

そういう家来たちを前に大石はどう考えたのか。

「このままどうやって生きていっていいのかわからない。だったらいっそ殿の無念を晴らしたい」と思う家来もいるだろうから、下手をすると暴走する危険性だってある。

そうなると、他の浪士たちにも悪影響が出るかも知れないし、自分としても、できれば殿の無念は晴らしたい。

あくまでも私の個人的な考えではあるが、今回見つかった数々の文献に記された内容は、大石内蔵助の一世一代の大芝居であった可能性もあると思う。

言い方は悪いが、幕府や世間に対する「言い訳」みたいなことを書き記したのかも知れない。

今回の番組に限らず、赤穂事件を取り扱う番組やドラマで圧倒的に欠けているのが、「吉良側の言い分」だと思っている。

吉良上野介が浅野内匠頭に対して、何を言ったのか、何をしたのかはわからない。

だけど、少なくとも殿中でいきなり襲われるなどということは、想像もしていなかっただろうし、実際彼は斬りつけられただけで、浅野に対して反撃したわけでも何でもない。

自分の屋敷に帰って、家来たちに事情を説明した際も、そのように伝えたはずだから、その後「浅野家が断絶した」という報告を受けたとしても、「もしかしたら浅野の残党たちが襲ってくるかも」などと考える家来はほとんどいないと思うわけだ。

だからこそ、47士が襲ってきた時も、当然油断していただろうし、ほとんどわけもわからないまま戦って殺された家来もいたに違いない。

番組でも「討ち入りが成功した理由の一つに、敵に対して常に3人で対峙したからだ」という説明があったが、これもよく考えたらおかしい。

いわゆる「アルバイト武士」が長屋に閉じ込められて身動きできなかったとしても、屋敷にいる自由に動ける吉良の家来は約50人だと言っていた。

赤穂浪士とほぼ同人数だ。

これと対峙する時に、必ず「3対1」の形になるわけがない。

場合によっては、「10対10」になる可能性だってあるはずだ。

にもかかわらず、赤穂側の圧勝に終わったのは、これが「不意打ち」だったからだろう、と思う理由である。

それともう一つ、最後の謎である「黒幕がいた? 吉良町の謎」のところで明らかになった、幕府の陰謀も大きな要因だろうと思う。

刀傷事件後に吉良家の屋敷が江戸城から離れたところに移されたこと、まわりの大名たちに「もし赤穂の残党が討ち入ったとしても、何もするな」という指示が出されていたこと等を踏まえると、幕府が当時「高家」であった吉良家が邪魔だったので、赤穂の残党を利用して、これを排除したと考えるのも「あり」かなと思うわけだ。

だからこそ、騒動後に庶民によって人形浄瑠璃などで「忠臣蔵」として演じられることを禁止しなかったのではなかろうか。
(いちおう、登場人物の名前を変えてはいるが、内容はどう考えても「討ち入り」の話だからだ)

そう考えてみると、この赤穂事件の一番の被害者は吉良家であり、同時にバカ殿の愚かな行為によって藩を潰された家来たちも同様に被害者だから、得をしたのは幕府だけ、ということになりそうな気がする。

以前は年末になると、必ずと言っていいほどテレビで「忠臣蔵」を放映していたが、今はほぼないのは、単に「時代劇が衰退したから」という理由だけでなく、「赤穂浪士が善で、吉良は悪」という図式はどう考えてもおかしい、ということもあるのではなかろうか。

吉良家の末裔の方々も相当苦労したと思うのだが、そういうウソが解消されるのに実に300年もかかったとは、ホント「デマ」って迷惑だと思う。


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