ドリフターズのリーダーいかりや長介が亡くなった。
そして、いつものように追悼番組が放映され、「いや~、やはりドリフのコントは面白いですねえ」という雰囲気一色となっている。
と、ここまでくれば「またまた文句か」と思われそうだが、今回はそうではない。
実際私の小さい頃、それこそ小学生の頃からドリフのコントは見ていたし、毎週毎週そのコントとともに、ゲストに誰が出るのか楽しみにしていた。
だからと言って、「ドリフのコントは今見ても面白い」などと言うつもりもない。
いかりやが、リーダーとしてすごいと思うのである。
ドリフのコントは、すべて彼が考え出していると言う。
全体の流れからギャグの出しどころまで、すべてあらかじめ決められているそうだ。
そして、リハーサルを何回も行い、アドリブはまったくないらしい。
まあ、開始直後に突如停電となったり、舞台のセットから小火が出たりすることもあったが、そういうのは臨機応援に切り抜け、とにかく最初から最後まで緻密に考えられたコントであるとのこと。
それらのいったいどこがすごいのか。
ドリフターズのメンバーを考えてみればいい。
加藤茶・志村けんという天才肌のコメディアンはともかく、残りの仲本工事・高木ブーの二人は、素人以下である。
昨日の番組でも、仲本工事がわざわざ北海道からコメントを出していたが、とてもコメディアンとは思えないくらいつまらない。
この素人以下であるメンバーを抱えながら、きちんとコントを作り上げ、しかも人気のある(笑われる?)のは、いつも他のメンバーであり、いかりやを好きだという人はほとんどいない。これはやはり、すごいと言うべきではないだろうか。
ちょっと褒めすぎか?
あまり褒めすぎるのも胃に悪いので、ちょっと本音を。
俳優としても「踊る大捜査線」などに出演し、性格俳優として好評を博し、「すばらしい演技だ」と絶賛する人がいるが、演技としてはそれほどでもないと思う。
ただ存在感はあった。
石原裕次郎や渡哲也などのように、存在感は相当なものだが、あまりセリフを言わせない方がいい俳優というのがいるが、それと同じだと思う。
某映画監督のように「年を取れば、あれぐらいの演技なんか誰でもできるわ!」と悪態をつくほどではないにしても、何でもかんでも誉める、というのも見ていて気持ちのいいものではない。
とは言え、やはり存在感のあった彼に合掌!
そして、いつものように追悼番組が放映され、「いや~、やはりドリフのコントは面白いですねえ」という雰囲気一色となっている。
と、ここまでくれば「またまた文句か」と思われそうだが、今回はそうではない。
実際私の小さい頃、それこそ小学生の頃からドリフのコントは見ていたし、毎週毎週そのコントとともに、ゲストに誰が出るのか楽しみにしていた。
だからと言って、「ドリフのコントは今見ても面白い」などと言うつもりもない。
いかりやが、リーダーとしてすごいと思うのである。
ドリフのコントは、すべて彼が考え出していると言う。
全体の流れからギャグの出しどころまで、すべてあらかじめ決められているそうだ。
そして、リハーサルを何回も行い、アドリブはまったくないらしい。
まあ、開始直後に突如停電となったり、舞台のセットから小火が出たりすることもあったが、そういうのは臨機応援に切り抜け、とにかく最初から最後まで緻密に考えられたコントであるとのこと。
それらのいったいどこがすごいのか。
ドリフターズのメンバーを考えてみればいい。
加藤茶・志村けんという天才肌のコメディアンはともかく、残りの仲本工事・高木ブーの二人は、素人以下である。
昨日の番組でも、仲本工事がわざわざ北海道からコメントを出していたが、とてもコメディアンとは思えないくらいつまらない。
この素人以下であるメンバーを抱えながら、きちんとコントを作り上げ、しかも人気のある(笑われる?)のは、いつも他のメンバーであり、いかりやを好きだという人はほとんどいない。これはやはり、すごいと言うべきではないだろうか。
ちょっと褒めすぎか?
あまり褒めすぎるのも胃に悪いので、ちょっと本音を。
俳優としても「踊る大捜査線」などに出演し、性格俳優として好評を博し、「すばらしい演技だ」と絶賛する人がいるが、演技としてはそれほどでもないと思う。
ただ存在感はあった。
石原裕次郎や渡哲也などのように、存在感は相当なものだが、あまりセリフを言わせない方がいい俳優というのがいるが、それと同じだと思う。
某映画監督のように「年を取れば、あれぐらいの演技なんか誰でもできるわ!」と悪態をつくほどではないにしても、何でもかんでも誉める、というのも見ていて気持ちのいいものではない。
とは言え、やはり存在感のあった彼に合掌!
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