また一人、昭和の象徴(?)が亡くなった。
阪急・近鉄などの監督を勤めた西本幸雄氏だ。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/26/kiji/K20111126002110870.html
選手としての実績も少しはあるのだろうが、やはりイメージは「悲運の名将」
弱小球団だった阪急(5回)・近鉄(2回)を優勝に導いた名監督だけど、結局1度も日本一になることができなかった。
阪急時代は、5回優勝したものの、相手が全盛期(V9時代)の巨人だったこともあり、ほとんどいいところなく敗れた。
そして、近鉄時代には2回優勝したものの、全盛期(?)の広島カープにいずれも3勝4敗と破れ、あと一歩及ばなかった。
特に、1979年のシリーズでは、「江夏の21球」でも有名な第7戦での死闘により、まさに優勝まで「ほんの少し」足りなかったシーズンだった。
実は、私は阪急時代の西本監督に魅せられ、一時阪急ファンだったことがある。
先にも触れたように、当時は巨人のV9の真っ最中であり、当然のことながら、セリーグには巨人に対抗できるチームはなかった。
(唯一1973年つまりV9の最後の年は、阪神が巨人をギリギリまで追いつめたのだが、マジックナンバー1としながら、残り3試合を全敗するというだらしなさのために、V9を達成されてしまったのだが・・・)
しかも、わが広島カープは、まだ「お荷物球団」と言われていた時代で、応援していても、毎年「鯉の季節」が終わると、もう話題にのぼらなくなってしまうようなチームだったため、余計に「どこか、巨人を倒すチームはいないのか」と思っていた。
そんな時、当時「ヤング・ブレーブス」を率いていた西本監督は、とても新鮮に映ったし、「何とか巨人を倒してくれ」と期待していた。
結局歯が立たなかったのだが、いつのシリーズだったかは忘れたけど、巨人が王手をかけた試合で、すでに勝利(つまり優勝)を目前とした時に、ベンチ前に立つ西本監督の雄姿がとても印象的だったので、一気にファンになってしまった。
その後、西本さんから上田監督に代わってから、ようやく憎っくき巨人を破るようになったのだが、一方の西本さんは、今度は近鉄を常勝球団に育てていた。
そして2度の優勝を果たし、日本一を争ったのが、2度とも広島カープ。
私としては、贔屓の広島カープを応援しつつも、西本さんにも悲願を達成させてあげたかったという気持ちがちょっとあったという微妙なシーズンでもあった。
そんな西本さんの野望(悲願?)を打ち砕いたうちの一人が、江夏だった。
だから、第7戦の無死満塁からの壮絶な攻防戦は、今でもよく覚えている。
そういう意味でも、西本さんは忘れることのできない監督の一人だ。
ご冥福をお祈りします。
阪急・近鉄などの監督を勤めた西本幸雄氏だ。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/26/kiji/K20111126002110870.html
選手としての実績も少しはあるのだろうが、やはりイメージは「悲運の名将」
弱小球団だった阪急(5回)・近鉄(2回)を優勝に導いた名監督だけど、結局1度も日本一になることができなかった。
阪急時代は、5回優勝したものの、相手が全盛期(V9時代)の巨人だったこともあり、ほとんどいいところなく敗れた。
そして、近鉄時代には2回優勝したものの、全盛期(?)の広島カープにいずれも3勝4敗と破れ、あと一歩及ばなかった。
特に、1979年のシリーズでは、「江夏の21球」でも有名な第7戦での死闘により、まさに優勝まで「ほんの少し」足りなかったシーズンだった。
実は、私は阪急時代の西本監督に魅せられ、一時阪急ファンだったことがある。
先にも触れたように、当時は巨人のV9の真っ最中であり、当然のことながら、セリーグには巨人に対抗できるチームはなかった。
(唯一1973年つまりV9の最後の年は、阪神が巨人をギリギリまで追いつめたのだが、マジックナンバー1としながら、残り3試合を全敗するというだらしなさのために、V9を達成されてしまったのだが・・・)
しかも、わが広島カープは、まだ「お荷物球団」と言われていた時代で、応援していても、毎年「鯉の季節」が終わると、もう話題にのぼらなくなってしまうようなチームだったため、余計に「どこか、巨人を倒すチームはいないのか」と思っていた。
そんな時、当時「ヤング・ブレーブス」を率いていた西本監督は、とても新鮮に映ったし、「何とか巨人を倒してくれ」と期待していた。
結局歯が立たなかったのだが、いつのシリーズだったかは忘れたけど、巨人が王手をかけた試合で、すでに勝利(つまり優勝)を目前とした時に、ベンチ前に立つ西本監督の雄姿がとても印象的だったので、一気にファンになってしまった。
その後、西本さんから上田監督に代わってから、ようやく憎っくき巨人を破るようになったのだが、一方の西本さんは、今度は近鉄を常勝球団に育てていた。
そして2度の優勝を果たし、日本一を争ったのが、2度とも広島カープ。
私としては、贔屓の広島カープを応援しつつも、西本さんにも悲願を達成させてあげたかったという気持ちがちょっとあったという微妙なシーズンでもあった。
そんな西本さんの野望(悲願?)を打ち砕いたうちの一人が、江夏だった。
だから、第7戦の無死満塁からの壮絶な攻防戦は、今でもよく覚えている。
そういう意味でも、西本さんは忘れることのできない監督の一人だ。
ご冥福をお祈りします。
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