昨日、読者の方からメールをいただいた。
「勝谷さんの日記を見ろ」ということなので、見てみたら、あの高橋クンが盗作をやった、ということらしい。
昨日の天声人語で「インドの独立運動家ラス・ビハリ・ボース」という人のことを取り上げているのだが、これが少し前に自分のところの女性記者の書いた記事をパクったものだ、というわけだ。
なるほど、このおっさんは「引用」だけかと思っていたら、パクリまでやるんだ。
でも考えてみれば、「引用」にしたって、人の書いたものを使うわけだから、パクリとそうたいした違いはないような気がする。
要するに、このおっさんには自分の文章というものがない、ということが明らかになっただけのこと。
で、今日の天声人語。
今日は元駐日大使のマンスフィールド氏を取り上げている。
しかし、これは間違いなくパクリなんかじゃないだろう。
なぜなら、いったい何を言いたいのかよくわからないからだ。
氏が来客に対して自らコーヒーを入れる、というエピソードを持ち出してきているが、単なる「いい話」というだけで、それ以上のものは何もない。
わざわざ『コーヒーの謎が解けた』などと書くものだから、何事かと思ってみれば、『当時はまだ一般的だった日本女性のお茶くみの慣習への抗議の意味が込められていたという。お茶くみは、それをさせられる人をおとしめると彼は考えた。「私がコーヒーを入れることで、彼女たちの立場を楽にしてあげたかった」と著者に語っている』だそうだ。
では、女性のお茶くみを批判するのかと思いきや、別にそうでもないらしい。
『下積みの長い前半生が、そんな配慮を生んだのかもしれない』などと、わけのわからない推測をしているが、下積みのない人たちは、他人に対して「配慮」なんかしない、とでも言いたいのか?
もしかして、自分が前にコーヒーを入れてもらったことがある、という自慢がしたいのかも知れない。
それにしては『97歳の同氏が、バランスを失いそうになりながらコーヒーを持ってくるのに恐縮したものだった』って、そんなじいさんにコーヒーを持ってこさせるなよ!
そして最後は『ちなみに、あのときとてもおいしく感じた大使の入れたコーヒーは、伝記を読むと、インスタントだったようだ』で結ぶ。
これって、オチなのか?
「勝谷さんの日記を見ろ」ということなので、見てみたら、あの高橋クンが盗作をやった、ということらしい。
昨日の天声人語で「インドの独立運動家ラス・ビハリ・ボース」という人のことを取り上げているのだが、これが少し前に自分のところの女性記者の書いた記事をパクったものだ、というわけだ。
なるほど、このおっさんは「引用」だけかと思っていたら、パクリまでやるんだ。
でも考えてみれば、「引用」にしたって、人の書いたものを使うわけだから、パクリとそうたいした違いはないような気がする。
要するに、このおっさんには自分の文章というものがない、ということが明らかになっただけのこと。
で、今日の天声人語。
今日は元駐日大使のマンスフィールド氏を取り上げている。
しかし、これは間違いなくパクリなんかじゃないだろう。
なぜなら、いったい何を言いたいのかよくわからないからだ。
氏が来客に対して自らコーヒーを入れる、というエピソードを持ち出してきているが、単なる「いい話」というだけで、それ以上のものは何もない。
わざわざ『コーヒーの謎が解けた』などと書くものだから、何事かと思ってみれば、『当時はまだ一般的だった日本女性のお茶くみの慣習への抗議の意味が込められていたという。お茶くみは、それをさせられる人をおとしめると彼は考えた。「私がコーヒーを入れることで、彼女たちの立場を楽にしてあげたかった」と著者に語っている』だそうだ。
では、女性のお茶くみを批判するのかと思いきや、別にそうでもないらしい。
『下積みの長い前半生が、そんな配慮を生んだのかもしれない』などと、わけのわからない推測をしているが、下積みのない人たちは、他人に対して「配慮」なんかしない、とでも言いたいのか?
もしかして、自分が前にコーヒーを入れてもらったことがある、という自慢がしたいのかも知れない。
それにしては『97歳の同氏が、バランスを失いそうになりながらコーヒーを持ってくるのに恐縮したものだった』って、そんなじいさんにコーヒーを持ってこさせるなよ!
そして最後は『ちなみに、あのときとてもおいしく感じた大使の入れたコーヒーは、伝記を読むと、インスタントだったようだ』で結ぶ。
これって、オチなのか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます