話題の映画は、ジャンルに好き嫌いはあるものの、だいたい公開された週か翌週には見ている私だけど、今迷っているのはこれ。
「風立ちぬ」
ジブリ作品の中では、タイトルに「の」という文字が入っていればヒットする、と言われているが、この作品にはない。
ということが理由ではもちろんない。
今までと違って、ファンタジーではなく、実在の人物を題材としているから、というのも少しあるけど、一番の問題は・・・
主人公の声優が壊滅的な棒読みであること。
エヴァンゲリオンの監督である庵野秀明氏のことである。
宮崎駿氏が、いったいどのような考えで、こんな素人を使おうと思ったのかはわからないけど、もしかしてこのおじさん、作品が良ければ声優なんか関係ない、と思っているのだろうか。
その代表が「となりのトトロ」だ。
この作品でも、メイとさつきの父親役を素人の糸井重里がやっていた。
そして、今回の庵野氏ほどではないにしても、ほとんど棒読みだった。
しかし、作品そのものが面白かったので、それほど気にはならず、ネット等でもあまり話題にはなっていない。
それは、素人の方がいい、というのではなく、「声優なんか関係ないわい!」とでも言いたそうな感じ。
ただ、宮崎さんのこういうところは、いい意味での「芸術家肌」と言えると思うのだが、往々にしてこの手の人たちには、世間一般とかまわりのことをまったく知らない人が多いような気がする。
だから、こういう人たちは、本人は能動的に活動するつもりはないのだけど、人のいいのをいいことに、まわりの人間に利用されてしまうきらいがある。
彼の場合、「原発反対」らしいのだけど、見ていると、まわりに乗せられて、そういう運動に駆り出されているだけみたいだ。
そして、今度は彼の盟友であるプロデューサーの鈴木敏明氏も、そんな「脳内お花畑」であることがわかった。
曰く「日本には美しい森林もある。自分の国は自分で守るという考え方もあるでしょうが、平和憲法を持ち、森と水がきれいな国をね、みんな侵せますか。そこへ侵略する国があったら、世界の非難を受ける時代でしょ。現代って、一国の暴走に世論がブレーキをかける時代なんです」
<「痛いニュース」より>
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1769365.html
なぜか急に「平和憲法を持ち・・・」という言葉が出てくるけど、これはまあ枕詞みたいにものだから無視するとしても、「森と水がきれいな国をね、みんな侵せますか」というのは、意味がわからない。
「森と水を汚くしようとする」人はいない、というのならまだわかる。
そんな国を侵すような人はいない、という発想がよくわからない。
むしろ、そういう環境のいい所、水のきれいな所って、昔から水のない国から狙われていたんじゃないの?
しかも「現代って、一国の暴走に世論がブレーキをかける時代なんです」とは、このおっさんの頭の中では、シナはどのような国として認識されているんだろうか。
チベットやウイグルをぐちゃぐちゃにし、南シナ海に割って入り、そして今、日本の尖閣諸島を奪い取ろうとしている国。
そんな国が日本のすぐ隣にいる、ということをわかって言っているのだろうか。
たぶん、彼のような「脳内お花畑」連中は、そういう現実はあえて見ないようにしているのだと思う。
そして、ただ理想を語るだけ。
そこにシナ人やチョウセン人がいたら、おそらく黙ったままで何も言わないだろうと思う。
なぜなら、ケンカになるから。
彼らは争いごとがイヤだから、自分からケンカを吹っかけないのはいいけど、相手から吹っかけられても、見えないフリをする。
敵に襲われたら地面に頭を突っ込むダチョウと同じだ。
もうこの文章を読んでいるだけでも、頭がくらくらするのだが、元の文章を見てみると、もう卒倒しそうになる。
http://blogos.com/article/67038/
でも、一言だけ。
「9条を世界に広めよう」と言っている人は、自分から伝えようとはしない。
単に「広まればいいな」と思っているだけ。
例え言うとしても、その相手は日本人限定だ。
なぜなんだろう。
「風立ちぬ」
ジブリ作品の中では、タイトルに「の」という文字が入っていればヒットする、と言われているが、この作品にはない。
ということが理由ではもちろんない。
今までと違って、ファンタジーではなく、実在の人物を題材としているから、というのも少しあるけど、一番の問題は・・・
主人公の声優が壊滅的な棒読みであること。
エヴァンゲリオンの監督である庵野秀明氏のことである。
宮崎駿氏が、いったいどのような考えで、こんな素人を使おうと思ったのかはわからないけど、もしかしてこのおじさん、作品が良ければ声優なんか関係ない、と思っているのだろうか。
その代表が「となりのトトロ」だ。
この作品でも、メイとさつきの父親役を素人の糸井重里がやっていた。
そして、今回の庵野氏ほどではないにしても、ほとんど棒読みだった。
しかし、作品そのものが面白かったので、それほど気にはならず、ネット等でもあまり話題にはなっていない。
それは、素人の方がいい、というのではなく、「声優なんか関係ないわい!」とでも言いたそうな感じ。
ただ、宮崎さんのこういうところは、いい意味での「芸術家肌」と言えると思うのだが、往々にしてこの手の人たちには、世間一般とかまわりのことをまったく知らない人が多いような気がする。
だから、こういう人たちは、本人は能動的に活動するつもりはないのだけど、人のいいのをいいことに、まわりの人間に利用されてしまうきらいがある。
彼の場合、「原発反対」らしいのだけど、見ていると、まわりに乗せられて、そういう運動に駆り出されているだけみたいだ。
そして、今度は彼の盟友であるプロデューサーの鈴木敏明氏も、そんな「脳内お花畑」であることがわかった。
曰く「日本には美しい森林もある。自分の国は自分で守るという考え方もあるでしょうが、平和憲法を持ち、森と水がきれいな国をね、みんな侵せますか。そこへ侵略する国があったら、世界の非難を受ける時代でしょ。現代って、一国の暴走に世論がブレーキをかける時代なんです」
<「痛いニュース」より>
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1769365.html
なぜか急に「平和憲法を持ち・・・」という言葉が出てくるけど、これはまあ枕詞みたいにものだから無視するとしても、「森と水がきれいな国をね、みんな侵せますか」というのは、意味がわからない。
「森と水を汚くしようとする」人はいない、というのならまだわかる。
そんな国を侵すような人はいない、という発想がよくわからない。
むしろ、そういう環境のいい所、水のきれいな所って、昔から水のない国から狙われていたんじゃないの?
しかも「現代って、一国の暴走に世論がブレーキをかける時代なんです」とは、このおっさんの頭の中では、シナはどのような国として認識されているんだろうか。
チベットやウイグルをぐちゃぐちゃにし、南シナ海に割って入り、そして今、日本の尖閣諸島を奪い取ろうとしている国。
そんな国が日本のすぐ隣にいる、ということをわかって言っているのだろうか。
たぶん、彼のような「脳内お花畑」連中は、そういう現実はあえて見ないようにしているのだと思う。
そして、ただ理想を語るだけ。
そこにシナ人やチョウセン人がいたら、おそらく黙ったままで何も言わないだろうと思う。
なぜなら、ケンカになるから。
彼らは争いごとがイヤだから、自分からケンカを吹っかけないのはいいけど、相手から吹っかけられても、見えないフリをする。
敵に襲われたら地面に頭を突っ込むダチョウと同じだ。
もうこの文章を読んでいるだけでも、頭がくらくらするのだが、元の文章を見てみると、もう卒倒しそうになる。
http://blogos.com/article/67038/
でも、一言だけ。
「9条を世界に広めよう」と言っている人は、自分から伝えようとはしない。
単に「広まればいいな」と思っているだけ。
例え言うとしても、その相手は日本人限定だ。
なぜなんだろう。
会社の同僚がこの映画を見たのですが、「これは子供向けではない」と言っておりました。
子供には難しいジブリって、確かに存在意義がないような気がしますね。
あと・・・
原発の問題はホント難しいと思います。
ただ、後先考えずに「反対!」と叫ぶ連中は、少なくとも信用できません。
モンペの親達が、
「ジブリなのに子供向けじゃない!」
とか言ってるのが印象的ですね(笑)
内容はわかりません^q^
原発の問題って難しいんだよなぁ。
いろいろな情報があって訳わかんなくなってしまった。
(`八´)憲法9条は大事アル。みんなに知って欲しいヨロシ。そして世界が平和になってほしいアル。