続いては「D」評価だった次の5本です。
「ゴジラ×コング 新たなる帝国」(D)
http://habute.blog74.fc2.com/blog-entry-1164.html
とにかく、この作品で何を描きたかったのかさっぱりわかりませんでしたし、展開も変でしたし、それぞれの怪獣たちの描写もムチャクチャでした。
映画評では「年末にもう一度振り返ってみたい」と書きましたが、わけのわからない展開は、何度考えたところで理解できるはずもないので、ここではやめておきます。
ただ、最近の「ゴジラ」「コング」の映画は、明らかに迷走している、と言ってもいいと思います。
「武士の家計簿」(D)
http://habute.blog74.fc2.com/blog-entry-1201.html
本作については、「何が面白いの?」の一言で終わります。
とにかく、日常のエピソードを淡々と描いているだけなので、まったく盛り上がりがありません。
盛り上がりに「欠ける」のではなく、盛り上がりが「まったくない」わけです。
史実に基づいた作品だとしても、もう少し盛り上げるだろう、というくらいに何もありません。
呆れてモノが言えないので、あえて「D」にしました。
「ブラック・ハット」(D)
http://habute.blog74.fc2.com/blog-entry-1253.html
本作のあらすじには「ネットワークに不法侵入する謎のハッカーを相手に繰り広げられる攻防戦を描いたサスペンスアクション」と書いてありましたので、ハッカー同士の頭脳戦と思っていましたが、全然違いました。
主人公ハサウェイを演じるクリス・ヘムズワースは、どちらかと言うと「脳筋」男なので、期待通りの肉弾戦が展開されます。
しかし、相手のハッカーも「何でそんなことするの?」というアホな連中なので、「錫の鉱山を破壊する」ために、予行演習として「原子炉を爆破する」という、トンデモない暴挙に出ます。
普通逆じゃないですかね?
わざわざセキュリティの高い原子炉を襲うリスクを考えたら、いきなり鉱山を爆破すればいいのに、と思ってしまいます。
連中の仲間も、街中でも平気で機関銃をぶっ放すという危ない連中ですし、知性の欠片も感じさせません。
展開も変ですが、登場人物の行動がアホすぎて、見ていて呆れてしまいました。
主人公なんて、ナイフ一つ持って、お腹に雑誌を巻きつけただけで、機関銃を持った敵陣に突進するのですから、こんなものシュワちゃんかランボー以外にはムリでしょうに。
とにかく呆れる映画でした。
「室井慎次 生き続ける者」(D)
http://habute.blog74.fc2.com/blog-entry-1271.html
主演の柳葉敏郎が「そろそろ『踊る大捜査線』を卒業したい」ということで作られた作品(その後編)のようですが、そんなこととは関係ないところでムチャクチャな映画でした。
そのすべては、脚本を担当した君塚良一にあると思います。
とにかく人物描写が紋切型で、すべての登場人物を「型」にはめた人物設定にしていました。
・年頃の男の子は、好きな女の子を家に呼ぼうと考えただけで、まだ誘いもしていないのに「ニヤニヤ」してしまう。
・年頃の女の子は、親から「あの子と付き合うな」と言われた次の日から、その子に対して冷たくあしらい、すぐに別の男の子と仲良くなってしまう。
・普段学校に行っていない小学生の男の子は、たまに学校に行くと同級生から暴力を振るわれる。
・小学生は、商店では「必ず」万引きをする。
・飼い犬は、知らない人から威嚇されると、家を飛び出してどこかに行ってしまう。(普通は、家の隅っこに隠れるか、助けを求めて家の人たちの方に逃げるはず)
・児童相談所の係員は、親から虐待を受けている子供であっても、「やっぱり子供は親のそばにいるのが一番」と思っている。
この君塚という人は、たぶん子供を育てたことも、ペットを飼ったこともない上に、そもそも社会人経験もないのではないかと思います。
そうでなければ、ああいう画一的な発想は出てこないと思うわけです。
さらに、今回の室井慎次の人物設定は、まるで「神様みたい」になっていて、彼が一言話せば、これまで彼を邪険に扱っていた人たちも、みんな「いい人」になるというところも、違和感バリバリすぎて、見ていて「何なんだ、こいつらは?」と思ってしまいました。
というか、そんな室井になぜ最初はみんなあんな態度を取ったのか、逆に不思議です。
・前述の同級生から暴力を振るわれた小学生リクは、室井から「次にやられたらオレに言え」と言われただけで勇気百倍となり、次の日にその同級生をボコボコにしてしまう。
・村のヤンキーたちは、お店の中で暴れ回り商品棚をズタズタにしていたのに、室井から「話をしよう」と言われただけで、すぐにいい子になってしまう。
・イカれた殺人鬼である日向真奈美の娘である杏は、母親から洗脳され、室井の住んでいる家の隣にある小屋に放火してしまうが、室井から怒られたわけでもなく、ただ猟銃の撃ち方を教えてもらっただけで、すぐにいい子になってしまう。
・殺人を犯した日向真奈美の狂信者は、逮捕された後警察では頑として口を割らなかったのに、室井とちょっと話をしただけで、すぐに自供をし始めてしまう。
こうやって書いているだけでも、「室井は超能力者か?」と思えるほどの超人ぶりです。
前編では、あれだけ村の人たちからいわれのないイヤガラセを受けていたのに、この豹変ぶりは見ていて気持ちが悪かったです。
このように、君塚の描く世界が異常すぎて、物語そのものに気持ちが入っていけませんでした。
ホントに、二度と脚本を手掛けてほしくないです。
「悪魔が来りて笛を吹く」(D)
http://habute.blog74.fc2.com/blog-entry-1279.html
横溝正史原作の推理小説を映画化したものですが、監督がこれをグチャグチャにした結果、トンデモないモノになってしまったという作品です。
横溝正史の作品は、おどろおどろしいものが多く、推理を楽しむというよりは、そういう雰囲気を楽しむために作られたような感じがします。
しかも、主人公である金田一耕助は、「これまでに事件を未然に解決したことが一度もない」という稀代の迷探偵で、「犯人がわかる前に、主要人物はすべて殺されている」ことが大半だし、しかも「犯人がわかるのは犯人が死んだ後」あるいは「犯人を前に『あなたが犯人だ』と指摘しても、犯人はすべて自殺してしまう」というものすごい探偵です。
ところが、本作ではその金田一探偵もほとんど役に立ちません。
というか、原作にある「重要な事実」というものがほとんど省略されているので、見終わった後で、「あの事件はいったい何だったんだ?」という感想しか残らない、という迷作となっています。
・まず、タイトルにもなっている「悪魔が来りて笛を吹く」というのは、冒頭に出てくる登場人物である椿子爵がフルート奏者なのですが、その彼が作った曲の名前です。
・後で知ったことですが、この曲は二本の指を失った男(これが実は犯人)でも弾けるように作った曲なのですが、このことに一切触れられていないので、殺人が行われた時にバックに流れてくるのは、いったい何を暗示しているのか、原作を知らない者にはまったくわかりません。
・しかも、犯人は指が二本欠けているという描写も一切ないので、最後の最後に犯人たち(恋人同士だけど、実は異母兄妹)が心中した時に、犯人がフルートを吹くシーンがありますが、これの意味もさっぱりわかりません。
曲名だけ知らされても「邸内には悪魔がいる」という描写としか思えないので、もしかしてそれを狙ったミスリードなのかも知れませんが、よくそんな発想ができたな、としか思いませんでした。
・さらに言うと、犯人たちが実は兄妹だったということがわかるのも、二人には共通する痣があるからなのですが、この痣は一族に共通する痣なので、母親とその兄には同じ痣があるという描写はありましたが、この兄妹に痣があるという描写も一切ありません。
製作当時もこの点について指摘があり、「犯人が金田一と彼に調査を依頼したと椿子爵の娘とともに神戸・須磨に行った時、犯人は金田一から風呂に行こうと言われて、これを断っているのだけど、それは風呂場で自分の背中にある痣を見られるのが嫌だったからだが、事前にその描写がないので、何のことやらさっぱりわからない」と散々な批評がされたそうです。
・実は、この事実を金田一耕助は終盤で突き止めて、椿警部に対して「犯人が分かった」と伝えたものの、「誰なんですか」という質問には答えないので、見ている私たちにも当然わかりません。
結局のところ、最後に犯人である兄妹が心中した時に思ったことは、「冒頭に出てくる宝石店での殺人事件はいったい何だったんだ?」ということや「あのフルートの曲はいったい何だったの?」ということであり、犯行とまったく関係がないようにしか思えませんでした。
ついでに言うと、横溝作品と言えば、登場人物を見ればだいたい犯人はわかる(役者の格上の者がたいてい犯人)のに、今作ではまったく想像もしない人が犯人だったので、逆に驚きました。
テレビの2時間ドラマでよく言われる「最後の最後に『犯人はあの時ちらっと映った人だった』という展開が多すぎる」というのに似ている感じです。
腹が立ったというよりは、まったく意味のわからない作品でした。
以上、本来であれば汚い言葉で罵ってやりたいところを、あえて丁寧に書いてみました。
前段で「基本的にはテレビ・CSで見たものにはDやEはつけない」と書きましたが、今回は6本中テレビ・CS作品が3本ありました。
それでもDをつけたほどヒドかった、ということです。
そのせいか、映画評で書いた時よりも長くなってしまいました。
「ゴジラ×コング 新たなる帝国」(D)
http://habute.blog74.fc2.com/blog-entry-1164.html
とにかく、この作品で何を描きたかったのかさっぱりわかりませんでしたし、展開も変でしたし、それぞれの怪獣たちの描写もムチャクチャでした。
映画評では「年末にもう一度振り返ってみたい」と書きましたが、わけのわからない展開は、何度考えたところで理解できるはずもないので、ここではやめておきます。
ただ、最近の「ゴジラ」「コング」の映画は、明らかに迷走している、と言ってもいいと思います。
「武士の家計簿」(D)
http://habute.blog74.fc2.com/blog-entry-1201.html
本作については、「何が面白いの?」の一言で終わります。
とにかく、日常のエピソードを淡々と描いているだけなので、まったく盛り上がりがありません。
盛り上がりに「欠ける」のではなく、盛り上がりが「まったくない」わけです。
史実に基づいた作品だとしても、もう少し盛り上げるだろう、というくらいに何もありません。
呆れてモノが言えないので、あえて「D」にしました。
「ブラック・ハット」(D)
http://habute.blog74.fc2.com/blog-entry-1253.html
本作のあらすじには「ネットワークに不法侵入する謎のハッカーを相手に繰り広げられる攻防戦を描いたサスペンスアクション」と書いてありましたので、ハッカー同士の頭脳戦と思っていましたが、全然違いました。
主人公ハサウェイを演じるクリス・ヘムズワースは、どちらかと言うと「脳筋」男なので、期待通りの肉弾戦が展開されます。
しかし、相手のハッカーも「何でそんなことするの?」というアホな連中なので、「錫の鉱山を破壊する」ために、予行演習として「原子炉を爆破する」という、トンデモない暴挙に出ます。
普通逆じゃないですかね?
わざわざセキュリティの高い原子炉を襲うリスクを考えたら、いきなり鉱山を爆破すればいいのに、と思ってしまいます。
連中の仲間も、街中でも平気で機関銃をぶっ放すという危ない連中ですし、知性の欠片も感じさせません。
展開も変ですが、登場人物の行動がアホすぎて、見ていて呆れてしまいました。
主人公なんて、ナイフ一つ持って、お腹に雑誌を巻きつけただけで、機関銃を持った敵陣に突進するのですから、こんなものシュワちゃんかランボー以外にはムリでしょうに。
とにかく呆れる映画でした。
「室井慎次 生き続ける者」(D)
http://habute.blog74.fc2.com/blog-entry-1271.html
主演の柳葉敏郎が「そろそろ『踊る大捜査線』を卒業したい」ということで作られた作品(その後編)のようですが、そんなこととは関係ないところでムチャクチャな映画でした。
そのすべては、脚本を担当した君塚良一にあると思います。
とにかく人物描写が紋切型で、すべての登場人物を「型」にはめた人物設定にしていました。
・年頃の男の子は、好きな女の子を家に呼ぼうと考えただけで、まだ誘いもしていないのに「ニヤニヤ」してしまう。
・年頃の女の子は、親から「あの子と付き合うな」と言われた次の日から、その子に対して冷たくあしらい、すぐに別の男の子と仲良くなってしまう。
・普段学校に行っていない小学生の男の子は、たまに学校に行くと同級生から暴力を振るわれる。
・小学生は、商店では「必ず」万引きをする。
・飼い犬は、知らない人から威嚇されると、家を飛び出してどこかに行ってしまう。(普通は、家の隅っこに隠れるか、助けを求めて家の人たちの方に逃げるはず)
・児童相談所の係員は、親から虐待を受けている子供であっても、「やっぱり子供は親のそばにいるのが一番」と思っている。
この君塚という人は、たぶん子供を育てたことも、ペットを飼ったこともない上に、そもそも社会人経験もないのではないかと思います。
そうでなければ、ああいう画一的な発想は出てこないと思うわけです。
さらに、今回の室井慎次の人物設定は、まるで「神様みたい」になっていて、彼が一言話せば、これまで彼を邪険に扱っていた人たちも、みんな「いい人」になるというところも、違和感バリバリすぎて、見ていて「何なんだ、こいつらは?」と思ってしまいました。
というか、そんな室井になぜ最初はみんなあんな態度を取ったのか、逆に不思議です。
・前述の同級生から暴力を振るわれた小学生リクは、室井から「次にやられたらオレに言え」と言われただけで勇気百倍となり、次の日にその同級生をボコボコにしてしまう。
・村のヤンキーたちは、お店の中で暴れ回り商品棚をズタズタにしていたのに、室井から「話をしよう」と言われただけで、すぐにいい子になってしまう。
・イカれた殺人鬼である日向真奈美の娘である杏は、母親から洗脳され、室井の住んでいる家の隣にある小屋に放火してしまうが、室井から怒られたわけでもなく、ただ猟銃の撃ち方を教えてもらっただけで、すぐにいい子になってしまう。
・殺人を犯した日向真奈美の狂信者は、逮捕された後警察では頑として口を割らなかったのに、室井とちょっと話をしただけで、すぐに自供をし始めてしまう。
こうやって書いているだけでも、「室井は超能力者か?」と思えるほどの超人ぶりです。
前編では、あれだけ村の人たちからいわれのないイヤガラセを受けていたのに、この豹変ぶりは見ていて気持ちが悪かったです。
このように、君塚の描く世界が異常すぎて、物語そのものに気持ちが入っていけませんでした。
ホントに、二度と脚本を手掛けてほしくないです。
「悪魔が来りて笛を吹く」(D)
http://habute.blog74.fc2.com/blog-entry-1279.html
横溝正史原作の推理小説を映画化したものですが、監督がこれをグチャグチャにした結果、トンデモないモノになってしまったという作品です。
横溝正史の作品は、おどろおどろしいものが多く、推理を楽しむというよりは、そういう雰囲気を楽しむために作られたような感じがします。
しかも、主人公である金田一耕助は、「これまでに事件を未然に解決したことが一度もない」という稀代の迷探偵で、「犯人がわかる前に、主要人物はすべて殺されている」ことが大半だし、しかも「犯人がわかるのは犯人が死んだ後」あるいは「犯人を前に『あなたが犯人だ』と指摘しても、犯人はすべて自殺してしまう」というものすごい探偵です。
ところが、本作ではその金田一探偵もほとんど役に立ちません。
というか、原作にある「重要な事実」というものがほとんど省略されているので、見終わった後で、「あの事件はいったい何だったんだ?」という感想しか残らない、という迷作となっています。
・まず、タイトルにもなっている「悪魔が来りて笛を吹く」というのは、冒頭に出てくる登場人物である椿子爵がフルート奏者なのですが、その彼が作った曲の名前です。
・後で知ったことですが、この曲は二本の指を失った男(これが実は犯人)でも弾けるように作った曲なのですが、このことに一切触れられていないので、殺人が行われた時にバックに流れてくるのは、いったい何を暗示しているのか、原作を知らない者にはまったくわかりません。
・しかも、犯人は指が二本欠けているという描写も一切ないので、最後の最後に犯人たち(恋人同士だけど、実は異母兄妹)が心中した時に、犯人がフルートを吹くシーンがありますが、これの意味もさっぱりわかりません。
曲名だけ知らされても「邸内には悪魔がいる」という描写としか思えないので、もしかしてそれを狙ったミスリードなのかも知れませんが、よくそんな発想ができたな、としか思いませんでした。
・さらに言うと、犯人たちが実は兄妹だったということがわかるのも、二人には共通する痣があるからなのですが、この痣は一族に共通する痣なので、母親とその兄には同じ痣があるという描写はありましたが、この兄妹に痣があるという描写も一切ありません。
製作当時もこの点について指摘があり、「犯人が金田一と彼に調査を依頼したと椿子爵の娘とともに神戸・須磨に行った時、犯人は金田一から風呂に行こうと言われて、これを断っているのだけど、それは風呂場で自分の背中にある痣を見られるのが嫌だったからだが、事前にその描写がないので、何のことやらさっぱりわからない」と散々な批評がされたそうです。
・実は、この事実を金田一耕助は終盤で突き止めて、椿警部に対して「犯人が分かった」と伝えたものの、「誰なんですか」という質問には答えないので、見ている私たちにも当然わかりません。
結局のところ、最後に犯人である兄妹が心中した時に思ったことは、「冒頭に出てくる宝石店での殺人事件はいったい何だったんだ?」ということや「あのフルートの曲はいったい何だったの?」ということであり、犯行とまったく関係がないようにしか思えませんでした。
ついでに言うと、横溝作品と言えば、登場人物を見ればだいたい犯人はわかる(役者の格上の者がたいてい犯人)のに、今作ではまったく想像もしない人が犯人だったので、逆に驚きました。
テレビの2時間ドラマでよく言われる「最後の最後に『犯人はあの時ちらっと映った人だった』という展開が多すぎる」というのに似ている感じです。
腹が立ったというよりは、まったく意味のわからない作品でした。
以上、本来であれば汚い言葉で罵ってやりたいところを、あえて丁寧に書いてみました。
前段で「基本的にはテレビ・CSで見たものにはDやEはつけない」と書きましたが、今回は6本中テレビ・CS作品が3本ありました。
それでもDをつけたほどヒドかった、ということです。
そのせいか、映画評で書いた時よりも長くなってしまいました。
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