はぶて虫のささやき

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(旧:はぶて日記)

犬の真実!? Part2

2011-12-05 | 日記
テレビ番組などで、タレントが自分の自慢の(?)ペットは「こんな芸ができるんです」みたいな企画があるが、そのほとんどが「それの、どこが芸なんだ?」というものだったりする。

一昨日の「天才!志村どうぶつ園」でも、女性タレントが「うちの犬は『コロン』ができるんです」などとアホ面をさらして、連れてきた犬にスタジオでやらそうとしていた。
当然のことながら、犬はやらない。

スタジオにいた他のタレント連中が「ホントにできるのか?」みたいなことを言っていたが、あんなの当たり前だろう。

まわりに知らない人がたくさんいる中では、犬は「普通」芸をやらない。

お猿の次郎みたいに、人前でもやるように訓練(調教?)されているのならともかく、まわりが知らない人ばかりで緊張している犬に、芸をやらせようとしている時点で、動物のことなんか何にもわかっちゃいない、ということがよくわかる。

そういう輩に限って、ペットのことを「家族の一員だ」みたいな言い方をする。
確かに、わが家にいた犬が死んだ時も、私にとって「初めての家族の死」だったことは間違いない。
だけど、そんな輩に限って、「家族」のことをあまりにも知らなさすぎる。

要は、家庭で普通にやっていることを、アンタは大勢の人の前でもできますか?ということだ。

人間だって、まわりに知らない人がたくさんいれば、普段おしゃべりな人でも、なかなか人前では話せない。
たとえば、ジャダレが湯水のように思いつくという芸(?)をもった人がいたとして、それがスタジオとかいう広い空間で、しかもまわりに大勢の人がいる前で「さあ、ダジャレを言ってください」と言われて、普段通りに言える人が、いったいどれほどいると思っているのか。

これに限らず、犬に関しては、「かわいい」というイメージだけを前面に出して、後は無視するという傾向が強いのは、何だか気に入らない。


今やっているドラマ「南極物語」もそう。

人間の都合で、昭和基地に置き去りにされた犬たちは、ただただ「かわいそう」と言うしかない。
それが、たまたま1年後に来た時に、2匹(タロとジロ)だけが生き残っていた、ということで、まるで美談のように仕立ててはいるが、何だか違和感がある。

当時は、「犬はただの道具にすぎなかった」という人もいるようだが、そういう意味の違和感ではない。
それを美談に仕立て上げても平気、という鈍感さと言うか、犬を虐待しているくせに、「それでも、オレは犬が好きだよ」と言っているかのような嫌らしさがイヤなのだ。


ソフトバンクのCMにも、「初の宇宙飛行は犬だった」という話が出てくる。

たぶん、その犬(ライカ犬)が宇宙飛行をして無事に帰ってきて、「いやあ、ご苦労さん。大変だったね」という場面を想像している人が多いと思う。

でも、実際には犬は「生きて」帰ってはこなかった。
と言うか、ロケット発射直後には「ストレスで死んでしまった」という説もあるくらいだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AB_(%E7%8A%AC)

いずれにしても、初の宇宙飛行犬は、単に実験用に使われただけ。
決して美談なんかではない。

「宇宙は大変だったろうね」どころの騒ぎではない。
無重力、高熱、狭い室内に縛り付けられたこと等によるストレスは、相当なものだったと思う。

モルモットみたいに、単に実験用として使っただけだと割り切るのなら、まだいい。
こちらの方がまだ「人間らしさ」が残っている。

競走馬を見て「一生懸命走っている姿がかわいい」と言う人がいる。
これも理解できない。

競走馬として育てるのに、いったいどれだけの調教をしてきたことか。


いや、もうやめておこう。

考えるだけで、何だかむなしくなってくる。


だから、最後に「南極大陸」を簡単にまとめたジョークでお口直し!?


<3秒でわかる南極大陸>(一部改竄)

犬「おうちもごはんもあって幸せ~♪」
キムタク「南極いくから来いよ」
犬「ちょ、待てよ」
キムタク「おい、ソリ引けよ」
犬「ちょ、待てよ」
キムタク「すぐ戻ってくるからな。そこで待ってろよ」
犬「ちょ、待てよ」
キムタク「ごめんな・・・戻れない。自分たちだけで生きろよな」
犬「ちょ、待てよおおおお!」


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