老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

なかなか 句 ができない。

2016-07-02 08:03:04 | 俳句
    🐢    いつの間に咲いたか朴は散華して



今朝、発表されたインターネット句会で、選をされた句。

1 >俳句は切ればいいというものではない。
2 >自分の考えを離れること。

朴の花を詠もうと、満濃公園に行った。
紫陽花も目的であったが、一番は、朴の花を見ることが楽しみであった。
広い公園は、色々の花のブロックに分かれている。
朴の花は、公園に唯一ある、喫茶店兼休憩場の附近にある。
入園をし、他の花に目もくれずその場所を目指す。
ああ、残念。
散っていた。
その、落ち込んだ気持ちを句に詠んだ。
三句、投句して辛うじてこの一句が選に入る。

上記の指摘の言葉が、これが難しい。
散文にならないように、言いきること。
客観写生の奧の見えぬ何かを詠み込め。
まるで一年生のように手をとり足をとっての指摘が、なかなか身に入っていない。
何年俳句をやってるのか、自分で可笑しくなる。自嘲。



公園に入って坂を下った辺りに、ハマナスが実をつけていた。


辛うじて一輪、花が残っていた。
昨今は、ハマナスはどこにでも咲いているのを見ることが出来る。
五十年くらい前、若者が、リュックを背負い、北海道への旅が流行っていた頃。
私も例にもれず、北の旅に。
何とか原生園に咲いていたハマナスを見たのが初めて。
砂浜に這うように咲いていた。
上の写真は、園芸品種に改良をされているようだ。
ちょっと印象が違う。
夏でも、灰色をした海と、果てしない砂浜が今では美化され何かとごっちゃまぜになっている。
だいぶ薄れた半世紀前の初めての北海道旅行の記憶である。

    ⛵   炎帝と申せど恐い山の神

    ⛵   立つくす炎昼思いだせぬ名前

川柳みたいだって。
コメント
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