🌠 蝋燭の種火一山滴れる
朝から暑い。
猫は伸びてごろんとなっている。
蝉時雨がすさまじい。
掃除を終えて、くつろいでいた。
写真の入った、歳時記をパラパラとめくっていた。
写真入りの歳時記は見るだけで楽しい。ぼんやりとした、時間潰しに持ってこいである。
もう二十数年前の自分の句を思い出した。
高野山に行った時の吟行句。
高野山は弘法大師をお祀りしている。
現在でも、毎日、お食事を差し上げておいでだ。
蝋燭の灯は、大師さまがお亡くなりになってから、現在に至るまで何百年間も点り続けている。信仰の山である。
ちょうど、今頃の季節。
全山が滴っていた。
その時にできた句である。
所属していた結社に投句をした。
結社の俳誌を見た、「俳句朝日」の執筆者の目にとまったらしく、この句を「俳句朝日」に取り上げてくださった。
「俳句朝日」は今では廃刊になっている。
そんな想い出のある句が高野山の景とともに甦ってきた。
🍒 蝉時雨地のうなりとも怒涛とも
🍒 その中にかなかなかなと蝉時雨
短い命を謳歌している。
我が家の庭は、よほどお気に入りなのであろう。