香川県の宇多津町のひな祭りを見に行った。
宇多津は岡山側から瀬戸大橋を渡るとこの街を通り東へ行くと高松、西へ行くと丸亀への通過の地点である。
古街という伝統的な町屋が並ぶ地区でおよそ100軒ほどの家がお雛様を飾り、訪れる人の目を楽しませている。
その中の一軒のお家、徳山邸に飾られていた貝合わせの道具には目を見はった。
貝桶が一対。
貝合わせに用いる貝が何十対。
貝合わせの由来は、平安時代に男と女の上の句、下の句のやりとりの道具として用いられたそうだ。
その後、蛤が必ず一対であることから、貴族や武士の間で、現在のトランプゲームの「神経衰弱」に似た、出し貝と地貝のゲームが行われるようになったそうである。
江戸時代になり、貝のうち側に金箔を貼り、金泥を塗り、江戸文化とともに芸術的に上達さらに一夫一妻の貞節和合の意味から嫁入り道具として使われ発達をしたそうである。
360個を一と組みとして、蒔絵を施した立派な貝桶に納めたそうだ。
貝殻の色あいや形の美しさ、珍しさを競う貴族たちの遊びであった。
元来は「貝覆い」とも呼ばれ、その貝を題材にした歌を詠んで、優劣を競ったそうである。
私はこれらのお雛様のお道具を見ているうちに甦ってきた記憶がある。
ここに飾られているように美しい貝合わせの貝ではないけれど幼い日、何度か貝合わせをして遊んだことがある。
お隣に子供のいないお婆さんが住んでいた。
勿論、孫もいない。
退屈をしていたのだろう、よく呼ばれてお八つをくれたり、着せ替え人形を作ってくれた。
着せかえる着物も沢山縫ってくれた。
近所の子供達が遊ぶとき、私のお人形が一番の衣裳持ちであった。
その中で一番楽しかったのが、お婆さんとやる貝あわせであった。
眼前に並んでいるような金箔を貼った、立派な物では無い。大きさも、7~8センチくらいであったのか?小さかったように思う。
貝に書かれている、十二単衣を着たお姫様を見るのが大好きであった。
そして、私が貝をめくって、合わせてもなかなか一対にならないのである。
お婆さんが全部、合わせてしまう。
このお婆さん、呼ばれたら遊びに行くのである。
こちらから遊びに行くのは、なぜかしら無かった。
いつも小さく丸く、、、、そんな記憶がふと浮かんできた。
今まで、思い出した事がなかったのに。
🍒 雛道具記憶甘くて哀しくて
🍒 雛祭とほい記憶はさくら色