三月一日 選評の言葉。
> 死ぬまで推敲すること
そうなんです。
杜鵑ではないけれど、血を吐くまで推敲を重ねろって事。
三月十五日 選評の言葉。
> 1 花前の低調か。
2 観念的にならないように。
3 理屈にならないように。
こんな事言われて((死ぬまで、、、)それでも皆さん師を信じてついてゆく。
まるで志望校を目指す受験生がラストスパークをかけているようである。
たかが俳句 されど俳句に、、、、
弟子を篩にかけて、優しい甘い選をのぞむならどこへでも投句をしなさい、今のままの厳しい選でもよければと、師は大上段に構えている。
批判めいているかしら私の言葉?それでもよいから私はついてゆきます。そんなところなんで~す。
全没が続いていますの、私。
諾っています。自分の句を読めば、、、。どうして同じあやまちを、、、。
しかし、難しい。新しい発見と思い入れを素直に、観念的にならぬよう、類想を避けながらと作句しているつもりだけれど観察が甘いのだな~、そしてそこらにころがっているはずの句材を見落ともしている。
自分の過去のブログを見ながら、一日一句はと記しているのを読むと戸と恥ずかしくなった。
が成長の記録とあえて消去は思いとどまった。
姫 が暖かくなったので外にお散歩に。
おっかなびっくりとお隣の壁に沿って歩いている。
階段下の物置へ入ってゆく。
姫 と呼びかけると、ここは何どこ と聞いているよう。ここにいちゃ駄目なの?って感じ。
お家に入ろうか?どうしょう もっとお外にいようか? ためらっている。
🐚 午后からは雨催ひなるお中日