💌 春彼岸故郷へ新しき道路
こんな句を しりとり俳句に投句をした。
ご指摘があって、
秋を付けて「秋彼岸」と秋の季語になるが、春は「彼岸」だけで春の季語だと。
全く失念と云えば聞こえはよいが、そこまで何も考えなかったのが本当のこと。
甘くみていたのだ。しりとり俳句の世界を。
句会にでていれば、先生の指摘もあるだろうし、句友からのアドバイスもあって、間違いに気がつくだろうが、
唯我独尊、お山の大将われ独りと好き勝手な道を歩いている。
ああ、さみしいな~。
こんな簡単な季語を顧みることもなく、平気でいる今の実情。切磋琢磨ができず、よほどの人でなくては、我が道を一人ゆくのは困難だと気づかされた。
この句は (新しい )を繋いだ。
我が家の墓地は 昔の集落の人々がその地域に住む人たちの為の墓地である。
墓地業者が区画をしていないし、寺に属した墓地の態もなしていない。
お墓は立派であっても、広い畑の中にあり、墓地へ車は横づけすることができなかった。
それが不便といえば不便であったが、整備をされて、墓地まで車が行けるようになった。駐車場まで作られた。
その事を、しりとり俳句で詠んだ。
新しい道路と、、、、。
🐦 雲雀野や故郷へ新しき道路
句の良し悪しは論ぜぬ。
畑の中にあるので水道はきていない。
昔から手押しポンプがあった。
懐かしい鉄の胴が丸い、手押しのポンプであったが、これも新しく 昨今の物に取り換えられている。
吉野川水系の、農地であるから、きれいな水が出てくる。
犬が生きていた時はここに連れてくると、一目散に走って行って水を飲んでいた。
夏は冷たく、冬は暖かい良質の水である。
ポンプの傍らに すみれ が咲いていた。
ここは夫が通った小学校、中学校、そして、懐かしい山々が見える。
彼にとってはまぎれない故郷なのだ。
昨日のしりとり俳句から。
💐 手押しポンプ押せば春風頬なぜる
💐 涅槃寺鴬張りの長き廊
💐 好物の草餅供へお中日