遍路道を歩いていて、へちまの花が咲いているのを見つけた。
壁に沿い竹を組んだ矢来の上に上に糸瓜を咲かせているのが伸びている。もう花は終わりかけている。残っている花は鮮やかな黄色で人目をひきつける。
☆ 糸瓜咲いて痰のつまりし佛かな
☆ 痰一斗糸瓜の水も間に合はず
☆ をとといのへちまの水も取ざりき
言うまでもなく有名な子規さんの絶筆の俳句として知られている。
糸瓜の茎から採ったへちま水は痰をとる薬だった。
写真を撮らせてもらっていると、自動車で、どこからか帰っ来たご主人が「糸瓜をさしあげますから採ってあげまかしょうか?」と声をかけて下さった。
黙って撮っていてすみません、糸瓜は結構ですと丁寧に断った。ご主人のおっしゃるには、糸瓜は食べれるそうだ。
子供の頃から、へちま水を瓶に取って、水仕の後に手に擦りこんでいたのは知っていた。行水あがりのお顔にもパタパタと付けていた。
今のようにどんな化粧水でも出回っていなかった昔はへちま水は、ご婦人にとって手っ取り早い化粧水の役目は重宝したことであろう。
< それは知っていたが、食べる、、、のは知らなかった。苦瓜や瓜の葉と糸瓜の葉は全く同じだ。>
後から調べると、「ウリ科のつる性一年草。円筒形の若い果実は煮食する」、、、と書いているではないか。ああ無知だこと。
遍路道で昨日出会った出来事。涼しくなった。嬉しいことだ。
📷 糸瓜さしあげませうかと声のする
📷 糸瓜ぶらぶら石の橋架る谷