Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

先駆ける苦悩

2005-06-12 22:11:00 | インポート
先週の事ですが、ある夜のTV番組にて、今を盛りの話芸「しゃべくり漫才」の先駆、横山エンタツさんと花菱アチャコさんの軌跡を取上げていて、興味深く拝見しました。
大阪が本場の漫才・・・かつてのそれは、器楽や舞踊を伴う芸能だった様ですね。
ただ近代化の進んだ1920年代=大正後期になると、社会の様相も変化して旧来にない芸能が求められる様になり、それに呼応する形で現れたのが両氏の追求した語りだけによる漫才だった様です。
勿論初めから順風満帆だった訳では決してなく、大正末期に両氏がこの話芸を始めた頃は旧来の愛好者達に全く受け入れられず、一時雌伏を余儀なくされます。
曲折を経て、大阪に本拠を置き今も活動中の大手芸能プロダクションに再び機会を与えられ、地を這う様な話材集めなどの地道な努力が実を結び、次第に西日本にて人気を勝ち取って行きます。
ただ、両氏の目標は大きいものでした。
「我々の笑いを全国に広めたい」その想いが当時黎明期にあったラジオ放送への進出を実現させます。芸能プロの厳しい規制を乗り越えての出演、当時大人気だった大学野球に関する話材、それら全てがガッチリ噛み合い、遂に全国区の人気を不動のものにしたのでした。
軽妙で流麗、それでいて奥も深い「しゃべくり漫才」は私も大好きな芸能の1つです。
その良き伝統は夢路いとし・喜味こいし、中田兄弟、横山やすし・西川きよし、オール阪神・巨人、宮川夫妻、そして今いくよ・くるよ等の各氏に受け継がれ、現在も我国大衆芸能の大きな流れとして続いているのはご存知の通りです。
色んな話を面白く楽しみながらも、こうした先達の苦労に思いを致す事も時には必要では、と思いますね。
花菱師匠には懐かしい思い出があります。
ラジオ番組「お父さんはお人好し」にレギュラー出演していらして、幼少の頃の私は良く聴いていました。生のお声はかすかな記憶として今も残っています。*(メガホン)*


コメント
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