Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

変装逃走男

2009-11-08 23:08:45 | 日記・エッセイ・コラム

コナサン、ミンバンワ!ここの所の心地よい秋晴れとは裏腹に、各地にて凄惨な凶悪事件の続発する、遺憾極まる祖国日本ではある。その内、二年前の2007=平成19年春、首都圏にて英国の外国語講師の不審死に関与した疑いのある男性容疑者の最近の動向が掴めた様だ。

この人物は先月下旬、当地名古屋にて整形手術を希望、所用の費用を現金精算した由。その折に、男性では稀なほくろの除去手術痕が認められた為実施医療機関が警察に通報、同容疑者である事が露見した。警察が動いた事を察知してか、この人物は術後必要な抜糸処置を受ける為の来院をしていない。

ほくろの除去は、当地にての手術以前に行われた様で、現在警察が処置した医療機関を探している様だ。まあ当地の医療機関の機転が、難航していた捜査を少しは進展させた形だが、殊整形外科関係は、患者のプライバシー保護に五月蠅く、その事が捜査を難しくした面はあるのではないか。凶悪事件容疑者については、こうした保護の対象外とする必要があるのではないか。

もう一つ、気になる手術費用の捻出について。本当に最大の謎だろうが、風聞によると、どうも倒錯した同性愛関係の筋から入手した可能性もある由。あくまでそれが事実とすればの話だが、つまり「身体を売って稼いだ」可能性なしとしないと言う事だろう。ただでさえ、事後処置の不正な整形手術はその箇所の化膿などの不具合を招き、最悪の場合は取り返しのつかぬ重大疾患を招く恐れもあるだろう。加えて同性愛関係への関与が事実とすれば、最早致命的なHIV免疫不全症候群の感染発症も十分あり得る。

何の落ち度もない無辜の外国女性を死亡させた罪責は当然追及されなければならないが、それと並んでこの男、死刑を免れたとしても、最早尋常な最期を迎える事は絶対に叶わない、と俺は見るのだが如何だろう。

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ペットから 民度が見える

2009-11-08 01:16:00 | インポート
コナサン、ミンパンワ!昨日は立冬、暦上の冬の始まりなるも、天気は穏やかな秋晴れ。後一日、晴天が続く様であります。

当cafeにも、犬や猫、小鳥などを初めとするペットを愛する方々が多くいらす様です。拙知友にも、ワン君ニャン君の表情を表紙に載せていらっしゃる方々があり、想いの丈が伝わって来る様です。ただ、その内の何匹かが今は遺影となってしまっている事が、やや残念ではありますが。

先日も、拙居所の近所、名古屋高速道路近くの陸橋のそばで、犬を伴った地元女性二名が世間話に勤しんでいらっしゃいました。双方の犬達は、ややもすると睨みあいや威嚇合戦、更には大声での吠え合いなどと言った遺憾な状況になりがちですが、その時はさにあらず、近所の顔見知りでもあるせいか、犬同士も雑談の風情です。雰囲気見たままに・・・。
「お前のとこって、ここんとこ良い(食い)もん出てる?」
「いや~・・ご主人不景気で、中々ありつけんな~ 苦笑」
「そーか、どこも似た様なもんか・・・こちらも苦笑」。
余り元気のある風情でなさそうなので、恐縮です。まあ、周囲に危害がない事と、脱糞を置き去りにさえしなければ、雑談も結構ではありますね。

さて、犬と飼い主の間柄については、随分昔、拙生家が一戸建てだった頃には犬を飼っていた事があり、ごく僅かなら分る気もするのですが、もう一度確かめる意味もあって先月、重厚な文体で知られた作家・文学者 中野孝次さんの愛犬との交流録「ハラスのいた日々」を読み、その辺りを愚考した次第。
2004=平成16年に逝去、今は故人となった中野さんが人生の中盤にあった1972=昭和47年に縁あって出会った日本犬「ハラス」との十数年に亘る交流と死別、葬送までを描いたリアルで躍動感のある交流録でありました。

命ある者は愛しいのは事実なるも、躾と運動はやはり大切である事、時には同じ犬同士、群れの様な所を体験させる事も有用な事、万一、行方が分らなくなったり、他の犬より襲撃された様な緊急時も落ち着いて、しかし敢然と対応すべき事など、これから犬との付き合いをお考えの方には良きヒントとなる事例が多く載せられ、濃い内容の読み物に仕上がっています。
特に、老境に入ってから近隣の大型犬に襲われ、深手を負わされる下りでは、被害の拡大を食い止めるべく、加害犬を殴って撃退した中野さんの強い姿勢に心打たれた次第。放っておけば殺されかねない所であるに加え、自らにも危害が及びかねない場面にあって、本当に勇気のある方だと強く思います。「愛と勇気」の何たるやを考えさせられた章でもあり「果たして、同じ場面にて自分は同様に振る舞えるのだろうか?」などと疑問符のつく所でもありますね。苦笑

この事件の原因は、やはり飼い主が散歩などの適度な運動をさせなかった事による、加害犬のストレスが関係していた様です。最低限すべき事を怠ると、この様な危険がある事を、この事件は教えているのではないでしょうか。それだけに、怪我の回復も束の間、その次には不治の病に斃れた愛犬を失った中野さんの喪失感は、愚かな私にも十分に察せられるものがありました。

一口に犬猫と言っても、大小様々の種族が存在します。ただ単に可愛いからではなく、犬や猫の習性とか生態にとって必要な事、してはならない事を飼い主が正しく理解把握し、実践する。その事が犬や猫との良い関係を築き、周囲に対する危険や不愉快の芽をも摘み取る事ができるのだと思います。
犬、そして猫の寿命は、人間の約1/7に過ぎないと言われます。途中で飼育を放棄する例も多く聞かれますが、少しはその事の儚さに留意し、一度飼い始めたらそのペットの生涯付き合う位の自覚を持ち、生育より葬送まで、面倒を見る位の熱意があっても良いのでは、とも思いますが度が過ぎるでしょうか。
後、拙居所の様に旧来の集合住宅にては、犬猫の類の飼育ができない所もある。そうした場合は飼育を断念する強い意思も必要でしょう。そうしたけじめも又、民度を測る尺度ではと思います。

余談ですが、犬が「笑える動物」である事は、中野さんの文章により、初めて知り得た事実でした。
拙知友の方々にも、今は亡きペットを偲んで表紙に載せていらす方があります。お一人は、午睡を楽しむ猫の表情。もうお一人は、亡き愛犬の優れた笑顔であります。*(地球)*
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