コナサン、ミンバンワ! 昨3/15(土)、JR全国列車ダイヤ改正が実施された。概ね、各地の鉄道利用の実態に近づけた運行ダイヤの手直しが行われたのは事実なるも、大規模なものだけに、必ずしも地元の実情と合わない所が生じるのも事実だろう。新幹線網充実の陰で、在来線に犠牲やしわ寄せなどが行われた所も、それはあるかも知れない。
直接の露骨なものではないかも知れないが、報道などで広く取り上げられた、東京・上野と青森を結ぶ夜行特急列車「あけぼの」の運転終了。大阪万国博覧会が催された1970=昭和45年よりほぼ半世紀近くに亘り、首都圏と東北の「夜の架け橋」としての重責を担って来た。この地方を走る夜行列車は、地元の方々に「出世列車」と親しまれた急行「津軽」が有名だったが、「あけぼの」はその後を受け、「第二の出世列車」として、同様の絶大な支持を集めて来たのである。
最盛期には、秋田までの便を含めて3往復が運転され、上野~福島間を東北本線、その先終着青森まで奥羽線を行くルートの所、1992=平成4年途中より、福島~山形間のルートを、新設の山形新幹線に譲り、軌道間隔変更に伴って、この区間を通れなくなった「あけぼの」は、福島以北も東北本線を北上、深夜の仙台北方の小牛田(こごた)と言う所で、有名な鳴子温泉郷を通る陸羽東線(りくうとうせん)を山形・新庄へ向け西進、その後奥羽線に合流して秋田、青森へ向かう様になる。更にその後、山形新幹線の新庄延長と前後して、長らく守った東北本線経由のルートを捨て、高崎線、そして川端康成の小説「雪国」の舞台ともなった上越線、更に信越線を経て羽越線を秋田へと向かう、現在までのルート(以前運転の夜行特急「出羽」とほぼ同じ)へと変更されるのである。
沿線の方々の強い思い入れを表す様な、昨日のラスト・ランと相成った訳だが、勿論これは、数年前まで当地でも夜間見られた東京~西日本・九州間夜行特急の場合も同様だったろう。「あけぼの」の場合も、一定の需要があったればこそ、今日まで存続できた訳だが、今回の廃止劇には、他の列車と同様の事情がある様なので、以下俺なりに感じた所を指摘して参りたい。
まず、新幹線網の整備。東京~九州間夜行特急の場合、初めは1975=昭和50年春の東海道・山陽新幹線博多開業時に、列車廃止が見込まれていた様だ。が、しかし、当時の主戦、0系列車の速力では、東京~博多間に最速でも7時間近くを要し、夜行需要も簡単には切り捨てられない判断があった様で、その為この時は、数往復あった夜行特急ほぼ全列車が残される事となる。次に、1979=昭和54年に、当時の運輸省や国鉄上部より、夜行列車段階廃止の方針が明らかにされ、当時は一般社会より否定的な受け取られ方をしたものだが、東北、上越など各地への新幹線網の拡充と共に、この方針は徐々にだが説得力と現実味を帯びて行く事となる。前述の「あけぼの」の場合は、岩手・盛岡を経て秋田へと向かう、新幹線「こまち」の速達化が同列車廃止の直接の理由らしい。
もう一つの難敵、国内航空。かつては、鉄道の優等車、新幹線グリーン車や在来線A寝台車と並ぶ高価な運賃で、一部の層の乗り物だった飛行機も、早割や旅割、利用マイレッジの蓄積などで、昨今は賃料面で随分利用し易くなって来た。更に、格安運賃で飛ぶ内外の航空会社「ローコスト・キャリア」の進出で、夜行列車淘汰の尖兵となった新幹線も安閑としてはいられなくなった。これからは、従来型の夜行列車は基本消滅、新幹線と航空各社の激突と言う図式も考えられよう。
これらの動きに連携するかの様に、特に少し前のデフレ経済下、ビジネス・ホテルのチェーン化と価格革命も進み、場合によっては、以前の2/3以下の安い料金で利用できる例もある様だ。正に、カプセル・ルーム並みの価格破壊的革命が進行している訳で、新幹線や航空機とビジホは、夜行列車衰退を進める最強のタッグとなったのではないだろうか。
それと後、昭和末期以降急速に進んだ全国高速道路網延伸に伴って起こった、夜行長距離高速バスの隆盛も見逃せない。こちらも、些か行き過ぎた価格革命となってしまった様で、それに伴うとも言われる、乗客の犠牲を伴う大事故の発生や、都市部のバス乗降場不備などの社会問題をも生じて来た訳だが、この方面への運輸行政の見直しなどもあって、こうした所も徐々に改善される事だろう。又、乗車券類の入手にしても、わざわざ窓口まで出向く必要のないネット予約、最寄りのコンビニ店決済などが利用できる夜行長距離高速バスは、夜の移動手段としての主流として、不動の地位を確立するものと思われる。夜動かす為に、運転要員だけでなく、接客を担う車掌、地上の業務の為の駅係員の配置も必要とする列車と異なり、バスの場合は交代運転手の手配と運転指令の一部維持だけで済むからだ。最も影響の大きな経費、人件費のあり様が大きく異なるのである。深夜の列車運転や駅業務を嫌う、JR貨物を除く各社の労組が、夜行列車存続に概して非協力的だったと言われる所も取り上げておきたい。
想えば、夜行列車は、こうした省力化の流れを的確に取り込んで生き残る事ができなかったのではないだろうか。デフレ経済下の各方面の価格破壊的革命の波にも、夜行列車は乗り遅れ、寝台料金の引き下げなどは、一部を除いて行われる事はなかった。当地にも、数年前まで東京~大阪間を結ぶ夜行急行「銀河」があったが、以前は設定のあった座席車の連結が途中からなくなり、寝台専用とあって、随分利用し難かった記憶がある。他のライバル輸送機関との整合性を考えれば、まだ需要はあった様に思われるだけに、こうした衰退はやや残念な所でもある。昨秋、JR九州が、内外の富裕層向けに、豪華夜行クルーズ列車「ななつ星in九州」の運転を始め、向こう1年位の満席予約を取り付けている様だが、この人気が息切れしない事を祈ると共に、定期とは行かないものの、新しい夜行列車の一つの形として定着するのか、注目して参りたい所である。
画像の夜行特急「あけぼの」は、今より4年前の2010=平成22年夏、秋田にて捉えたものであります。