Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

お初に、お目にかかります

2014-09-07 20:43:13 | 日記・エッセイ・コラム
コナサン、ミンバンワ!Gooブログの皆様にはお初です。OCN「ブログ人」より引越しましたHAKASEと申します。
これからどうか、宜しくお願い致します。又、ブログ人の時より通読下さっている各位には、改めまして。

先月後半よりの、雨がちの不順な天候もようやく先が見えた様で、今日々中は、暑い中にも爽やかな晴天に恵まれた当地名古屋であった。買い物や洗車などの雑用をこなす傍ら、先の見えた「ブログ人」よりの引越しが一応できたかなと言う所。引越しと言えば、これまで己が進んで来た方向を見直し、必要な改変を加える好機である事は理解しているつもりだが、とりあえずは「ブログ人」の頃よりの立場を基本維持しながら様子を見て参るつもりであります。

さて、今日の地元紙 C新聞の「視座」と言うコーナーに、社会学者 浜 矩子(はま・のりこ)さんのご見解が載ったので、以下に引用しながら、この所の政治社会の様子を見て参ろうと思います。

「取り戻したがり病が怖い」

エボラ出血熱にデング熱。怖い病気が流行る。人間の体が思わぬ形で危機にさらされている。
思えば、危機にさらされているのは、どうも、人間の体だけではなさそうだ。人間の心も、得体の知れない流行り病(はやりやまい)によって健全性を損なわれつつある。そのように見える。
この心の病を命名すれば、それは「取戻したがり病」である。
この病は、主に国々の政治を主導する立場の人々を襲う。今はグローバル時代。国境なき時代だ。ヒト・モノ・カネが、国境を無視して得手勝手に移動する。国境が無視されるということは、国家が無視されることにつながる。
ヒト・モノ・カネに無視されてしまえば、国家は権威を失う。役立たずだと見なされる。国民から見放されてしまう。
そうなっては大変だ。存在感を取り戻したい。求心力を取り戻したい。国民の信頼を取戻したい。何が何でも取り戻したい。手当たり次第に取り戻したい。何でもいいから、取り戻したい。
取り戻したがり病の症状が最も重いのが、何といっても日本の安倍政権だ。何しろ、彼らは「日本を取り戻す」ことを政権公約の旗印に掲げて登場した。まるごと、取り戻したがり病である。それも当然だ。なぜなら、取り戻したがり病は、力と強さに固執する者たちを恰好の標的とするからだ。
国境なき時代に対して、無力に見えてはいけない。強い逆襲力をもって、国境なき時代にリベンジを仕掛ける必要がある。それができてこそ、国家は存在感を復元できる。民心を再び掌握することが可能になる。取り戻したがり熱にうかされた人々は、このように思いこむ。

このような特性を持つ病が、取り戻したがり病だ。したがって、この病は、生来、権力志向で強権好みの人々の心の中に、ことのほか容易に、そして奥深く侵入する。
力と強さへの生来のあこがれを検知して、そこを温床に増殖する。それが、取り戻したがり病である。
「強い日本」を取り戻す。「強い経済」を取り戻す。「誇りある日本」を取り戻す。今年の総理大臣年頭所感の中で、これらの「取り戻し願望」が語られた。6月下旬に閣議決定された「『日本再興戦略』改訂2014=平成26」の中では、「日本の『稼ぐ力』を取り戻す」決意が表明されている。取り戻したがり病が相当に進行している。
ただ、日本の取り戻したがり病患者たちばかりに、目を奪われていてはいけない。ロシアのプーチン大統領は、ロシア帝国を取り戻したがっているもようだ。米国でもヨーロッパでも、新保守主義者たちが古き良き時代へのノスタルジーにかられて、取り戻したがり病の餌食になっている。中国でも韓国でも、取り戻したがり病が政治を焦らせ、その強権性を強める方向に働いているといえるだろう。
取り戻したがり病患者たちは、力と強さに心が引かれる。だから、彼らの政策は性急であり、強引であり、問答無用になる。そして現実に対して目が閉ざされる。自分が見たい幻想にしか、目が注がれない。誰の忠告も聞かない。どんな警鐘にも、耳を傾けない。ひたすら、突っ走っていくのみだ。
彼らが崖っぷちに向かって疾走するのは仕方がない。だが、それにつき合わされることはご免こうむりたい。取り戻したがり病から、われらの時代を取り戻す必要がある。



このご見解を、各位はどうお感じになりますか?確かに、安倍現政権には、集団的自衛権の取り扱い緩和などに見られる様に、結論を焦っている所があり、浜さんの懸念も頷ける所が多くあるのは事実だ、その一方で、今の我国に、真に政権を担える人材が他にいるか?との疑問が大きくあるのも事実だ。一昨年、結局は寄せ集めに過ぎなかった民主党政権が瓦解したのは、その好例ではなかっただろうか。脆弱な鳩山連立政権に始まり、少しはマシかと思われた、菅政権も、結局は東日本大震災と言う国難に、適切に対応する事はできなかった。続く野田政権も似た様なもので、少しは現実を顧みる様になって、一定の消費増税に道を開いたのはやむを得なかったにせよ、政策姿勢は結局、自由民主党と大差なくなっていた、と言うのが実態だろう。
俺は、今は批判や反対をする勢力の主張も一定量取り込みながら、基本的には安倍現政権にもう暫く、頑張りをお願いする以外に策はない様な気がするのだが。勿論、暴走させてはいけない。だから、浜さんの様な、バランスを弁えた冷静な批判に耳を傾ける事も時には必要と言う事だ。力や強さへの憧れは、開催中のテニスの大一番 全米オープンにての、錦織 圭選手の大健闘への声援位にしておくのが、丁度良いのかも知れない。

と言う所で、長くなってもよろしくないので、初回はこの辺にはしておきたく思います。初めの画像は、強さの象徴 蒸気機関車D51型機の勇壮な出発場面。3年前の夏、群馬県下にて撮影したもの。「それぞれの出発」と言う題名をつけました。

コメント (8)
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