Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

小売・飲食業 24時間営業にこだわる必要はない

2016-12-25 12:54:24 | 社会・経済

今日で、今年のクリスマス期間も終わり。当地愛知は、概ね天候には恵まれた様だ。拙個人は、前回触れた東京裁判の事共が引っかかり、手放しで喜べない心理があるのも事実。まあ、新年を迎える一ステップと捉えれば、平穏な受け止めかな、とも思います。

さて昨夜、社会問題化している、過重労働の緩和(まだ『解消』までは年月を要する事だろう)の為、何をすべきかを討論するTV番組を見た。その席上、ある専門の方が「今の我国は、物やサービスの供給に過剰な所が多々あり、それが多くの過重労働を招く一因となっている」旨の指摘をされていた。その一方、世界的チェーンを誇る、あるファミリー・レストランが、実施していた我国内の全店舗での24時間営業をやめると言う。理由は人員不足との事だが、もう一つ、前述のTV番組でも問題となった、過重労働緩和への対応の意味も大きいだろうと心得る。

現状、珍しくもない24時間営業。特に、コンビニ店と一部の飲食店チェーン、それに主要道路のガソリン・スタンドなどでよく見かけるが、果たして全国各地で続ける必要があるのだろうか?と言うのが拙受け止めだ。

首都圏、関西、中京や北九州、山陽、南東北や北海道の札幌一円と言った、人口の多い地域なら一定の必要は分るが、思い返してみると、コンビニ店の老舗とも言える「セブン・イレブン」にしても、発足当初は店名の通り、概ね7am~11pm間の営業で、深夜帯は閉めていた記憶がある。24Hの終夜営業が広まり出したのは、昭和末期の1980代頃からで、顧客の利便の為と言う、一応の説得力ある大義の為だった様だが、大元は、欧米で広まった事を安直にコピーしただけだったのでは、と愚考する。

そうこうする内に、手軽さがウケて全国に広まり、今や業種、業態の差を越えて「ネコも杓子も24時間営業」に突っ走ったのが実態ではないだろうか。今世紀に入り、省エネルギーなLED照明や、新世代の空調システムが普及した事も、こうした動きを後押ししたと見る。しかし・・

拙者は、この様な終夜営業の店舗を余り利用しないので、大口は利けないかもだが、コンビニ、飲食の各店舗共、深夜帯の客層は、余り芳しい人種ばかりではない様だ。例えば、最近でも時折出没する暴走族連中の溜まり場になったり(広い駐車場を備える、コンビニ店も含む)、店舗関係者とトラブルを起こしたり、薬物などの問題ある物品を取引したりする、芳しくない者達も多い。よく知られる様に、世間の目が行き届かないこの時間帯は、売上金狙いの強盗犯などの標的になり易いのも事実である。

終夜営業取りやめに踏み切った、前述のレストラン・チェーンの英断には、一言拍手と一礼を贈りたい。我々は、ちょっと前の時代までは、深夜の小売・飲食店は閉まるものと大きな認識があった。又、それから、店の閉まる時間帯は極力外出を控え、静かにすべきものとの自覚も生まれたはずだ。安易な24H化の間違った普及は、人々のそうした自覚を失わせ、生き方そのものの節度も損ねた様に思えてならない。そこから、深刻な殺傷や強盗、性暴力など各事件の発生が少なくない事も留意されるべき。「深夜、若い女性が一人で外出できる」などと言うのは、不良メディアが垂れ流した無責任極まる低能文句である事を、もっと理解する必要がある。

これからの時代、24時間営業は、本当に必要のある、限定された所に絞られるべきで、地域を問わず、深夜帯はできるだけ自動販売機などでカバーできる様にすべき。主要国道の多くに見られる「道の駅」の活用が考えられても良いだろう。大型車の給油などで、深夜も開ける必要のあるガソリン・スタンドにしても、できるだけ場所を絞り、又、トラックなどの車上から利用できる状況が分る様、ネットの店舗情報を今まで以上に整備して、終夜営業を絞って行く必要があるだろう。曜日などによって、交替制で深夜営業の店舗を決めるやり方も考えられよう。とまれ「24Hオープン」は普通ではない、と捉えられる様、我々は思考を変えるべき時かも知れない。その事が、過重労働の緩和と地球温暖化抑制に寄与するなら、是非ともそうすべきだろう。

今回画像は、昨年秋、三重・熊野のJR駅にての夜景。午後8時頃ともなると、地方都市では人通りもぐっと減り、終夜深夜の営業の意味が薄い事を思い知らされます。この様な土地でも、多くのコンビニ店が24Hオープン。到底、全国一律で考えられる事ではない様に思われるのですが。

コメント (2)
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