今日 6/23は 大東亜戦争こと太平洋戦争末期、日米沖縄戦の組織的戦闘の終わった日とされ「慰霊の日」とされる。これまで余り言及しなかったかもだが、改めて 20万を優に超える多大な犠牲と真摯に向き合い、哀悼の意を表したく思う。
その上で、戦後も駐留の 在日米合衆国軍基地関連の「重過ぎる負担」緩和には同意も、我国安保の要衝として 必要な抑止の心がけは不可欠と心得る者だ。その双方に留意しつつ、今日の読売新聞ネット記事を引用して 少し考える事に。
「沖縄戦終結 79年、『慰霊の日』に 平和の礎(いしじ)に手を合わせる遺族・・刻銘者は計242225人に」
沖縄は 6/23、多くの住民を巻き込んだ 大平洋戦争末期の沖縄戦の戦没者らを悼む「慰霊の日」を迎えた。
組織的な戦闘の終結から 79年となり、最後の激戦地だった 沖縄県糸満市摩文仁(いとまんし・まぶに)の平和祈念公園では、県と県議会主催の「沖縄全戦没者追悼式」が営まれた。今も世界で戦争や紛争が絶えない中、参列者は不戦の誓いを新たにした。
式典には 玉城デニー県知事や岸田首相、衆参両院議長、遺族会代表ら約 4500人が参列。正午に約 1M間黙祷(もくとう)し、冥福を祈った。
玉城県知事は「平和宣言」で、米軍基地の過重負担に加え、台湾有事を念頭にした南西諸島防衛の強化に関して「自衛隊の急激な拡張が進められている」と指摘。「悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、県民は強い不安を抱いている」と訴えた。
東アジアの安全保障環境については初めて言及し「米中対立や中国(大陸)の軍事力強化、台湾や朝鮮半島を巡る問題など、自国の軍事増強により 抑止力の強化がかえって地域の緊張を高めている」との認識を示し、各国・各地域に「平和的外交・対話のプロセスを通した問題解決」を求めた。
岸田首相は来賓(らいひん)あいさつで「戦争の惨禍を二度と繰り返さないという決意の下、誰もが心豊かに暮らせる世の中を実現する」と誓った。また 米軍基地の集中による負担の軽減に向け、西普天間住宅地区の返還跡地(沖縄県宜野湾市)に来春、健康医療拠点が誕生することを踏まえ「成果を着実に積み上げる」と強調した。
沖縄戦では、米軍が 1945=昭和 20年 3/26に慶良間(けらま)諸島、4/1に沖縄本島に上陸し、旧日本軍と苛烈な地上戦を繰り広げた。旧日本軍は 沖縄本島南部に撤退して多くの住民が巻き込まれ、日米の犠牲者約 20万人の内 約94000人に及んだ。
沖縄戦などの犠牲者名を刻んだ平和祈念公園内の「平和の礎」では遺族らが次々に訪れて手を合わせた。今年は 県内外の 181人の名前が新たに刻まれ、刻銘者は計242225人となった。(引用ここまで)
復習にもなるが、前述の多大な犠牲各位への哀悼の意と、我国全土中 7割超ともされる 在日米軍基地負担への感謝の意を新たにすると共に、基地負担緩和策が的確に行われる事を祈念する者だ。
それに留意の上、玉城県知事の 安保情勢などとの向き合い姿勢にはやはり疑問を感じる。沖縄・奄美両地域への我らが自衛隊展開の度合いが増えたのは事実も、それは昨今の安保情勢上 やむを得ない必要最低限に抑制されているはずであり、苛烈の度合い大きかったといえど 先の大戦と絡め過ぎる向き合い姿勢には「不適切」の反応を示さざるを得ない。
こうした状況は、必ずしも先の大戦の様な「泥沼戦争化」を招くものではないし、拙者も勿論そんな状況は望まない。ただ「平和外交」といえど、その基礎はやはり「対話と抑止」の双方の心がけの上に成り立つもの。どちらが不足でも、社会経済面の大ダメージを負うか、或いは極端に我国にとり不利益な外交展開を許すかのいずれかだろう。
玉城県知事の見方は、こうしたバランスへの留意に欠ける。「各国の抑止力強化は、かえって地域の緊張を高める」の言葉は確かにもっともらしいが、我国がこの様な軍拡競争に加わる意思がないのは明らかだ。度を超えた「強化」に走っているのは 中・朝・露など非友好側である。玉城県知事は、果たしてその辺りを適切に観察されているのだろうか。それも拙者には疑問だ。
改めて 沖縄戦の犠牲の多大さを静かに、謙虚に振り返る一方で、やはりこの地域は我国の地政学的に「抑止の要」とならざるを得ない悲壮な運命にあるのではないかと 改めて思う。前述の大きな犠牲の上に築かれた平和を少しでも確かにする為に 現実に何が必要かを、本土に居る我々も 改めて想う必要があると心得る。
今回画像も振り返り恐縮。先年の梅雨時に訪ねた 神奈川県下の箱根山への道中の様子。通る線路はご存知 箱根登山鉄道線。丁度 紫陽花(あじさい)の見頃だったが、かつての沖縄戦末期には 彼の地にも咲いていたのかとの想いが過った次第。