戦国時代中国地方を支配し、毛利氏と戦った尼子氏の居城跡が月山富田(がっさんとだ)城です。
下から見る限りでは樹木に包まれた、ただの小さな山(256メートル)ですが、多少なりとも歴史をお勉強して登れば、思うことも違ってくるでしょう。
栄枯盛衰の長い歴史の中、尼子氏の再興を願って戦った名参謀、山中鹿之助は有名です。
久々に

山登りでもしようかってことでお出かけしたのは、11月9日でした。
まずは道の駅「広瀬・富田城」へ車を止め出発です。
歴史資料館の先の狭い道に入り、すぐ左手の石段を登っていくと太鼓谷公園にでます。

紅葉にはまだ少し早かったようです。
ここは櫓があって、太鼓をたたき兵士たちが終結した場所だったそうです。
公園の端から標識に従って登っていくと、明るい広場に出ます。
山中鹿之助の銅像が建っておりました。
月山富田城を守るからでしょうか、三日月と鹿之助の名からなのか、鹿の角がついた兜をかぶっております。
さらに登っていくと「山中御殿」という城主の住居があった跡にでます。
ぽつんと説明版があるだけの広い平地ですが、当時は付随する建物もあったでしょうから、城の中心地だったのでしょう。
ここからは苔むした石畳の急坂がつづきます。
七曲という暗い道を登っていくと、こんな看板が。
年中枯れることはないはずの井戸がどこにあるのか、発見できませんでした。
しばらくすると「三の丸」跡にでます。
いかにも城跡の雰囲気がする石垣です。
ここからは一番展望の良い「二の丸」。
遠くに島根半島、日本海も望めます。
つづいて「本丸」と、わずかに高度を増して平地が続きます。
本丸跡には立ち木に囲まれて、薄暗い奧に神社がありました。
しんと静まりかえった山頂では、戦乱の世がまるで嘘だったかのようであります。