浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

ダッシュの練習

2008-11-12 | 練習日誌
本日の練習

100メートルダッシュ 5本

11月の累計   20.5キロ
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月山富田城跡

2008-11-12 | 野に山に
戦国時代中国地方を支配し、毛利氏と戦った尼子氏の居城跡が月山富田(がっさんとだ)城です。

下から見る限りでは樹木に包まれた、ただの小さな山(256メートル)ですが、多少なりとも歴史をお勉強して登れば、思うことも違ってくるでしょう。

栄枯盛衰の長い歴史の中、尼子氏の再興を願って戦った名参謀、山中鹿之助は有名です。

久々に山登りでもしようかってことでお出かけしたのは、11月9日でした。



まずは道の駅「広瀬・富田城」へ車を止め出発です。

歴史資料館の先の狭い道に入り、すぐ左手の石段を登っていくと太鼓谷公園にでます。



紅葉にはまだ少し早かったようです。

ここは櫓があって、太鼓をたたき兵士たちが終結した場所だったそうです。

公園の端から標識に従って登っていくと、明るい広場に出ます。

山中鹿之助の銅像が建っておりました。



月山富田城を守るからでしょうか、三日月と鹿之助の名からなのか、鹿の角がついた兜をかぶっております。

さらに登っていくと「山中御殿」という城主の住居があった跡にでます。

ぽつんと説明版があるだけの広い平地ですが、当時は付随する建物もあったでしょうから、城の中心地だったのでしょう。



ここからは苔むした石畳の急坂がつづきます。



七曲という暗い道を登っていくと、こんな看板が。



年中枯れることはないはずの井戸がどこにあるのか、発見できませんでした。

しばらくすると「三の丸」跡にでます。



いかにも城跡の雰囲気がする石垣です。

ここからは一番展望の良い「二の丸」。

遠くに島根半島、日本海も望めます。



つづいて「本丸」と、わずかに高度を増して平地が続きます。



本丸跡には立ち木に囲まれて、薄暗い奧に神社がありました。

しんと静まりかえった山頂では、戦乱の世がまるで嘘だったかのようであります。
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