はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

(22)アクロス・ザ・ユニバース(Across the Universe、米)

2008年08月21日 | 映画(2007-08年公開)


60年代を駆け抜けた伝説的バンド、ザ・ビートルズの楽曲33曲に乗せて綴られる青春物語。初めに物語ありき、ではなく、既存の曲をつなぎ合わせて物語を紡ぐと言うスタイルは、数年前にロンドン・ウエストエンドで見た舞台ミュージカル『マンマ・ミーア』が記憶に新しい。本作は、NY・ブロードウエイでディズニーアニメ『ライオンキング』の舞台ミュージカル化を大成功させた気鋭の演出家ジュリー・テイモアが、初めて手がけたミュージカル映画らしい。テイモア監督は映画化に当たり、200曲以上に及ぶビートルズの楽曲全てを聴き込み、33曲を選び出したと言う。



物語としては、若い二人の恋を中心に、彼らを取り巻く若者たちの群像劇とも言える。そこに60年代ならではの、ヴェトナム戦争反戦運動公民権運動と言う社会的背景が絡んで来るのだが、(ビートルズ自体は一切登場しないものの)その語り部として、ビートルズの楽曲が絶妙に嵌っている。しかも、ヒト、モノに惜しみなく予算を費やしたのが窺える、かなりゴージャスな作り。まずは是非、映画館のスクリーンと音響で見て貰いたい1本。

私は世代的にはビートルズの全盛期にドンピシャ当てはまるわけではないが、10代をビートルズを端緒に洋楽で過ごした人間だ。当時、私たちの世代の音楽指向はニューミュージックやフォークの邦楽系か、ポップスやロックの洋楽系に二分されたと記憶している。私のビートルズ指向は、中一の時に仄かに恋心を寄せていた男の子が、大のビートルズファンだったことがきっかけと言う不純なものだったけれども(笑)。実際はそれ以前に、一日中自宅のラジオから流れていた音楽で、ビートルズと意識することなしに、その楽曲の数々は耳に馴染んでいたと言える。



冒頭、海岸で、画面からこちらに語りかけるように、ジム・スタージェスが"Girl"を切々と歌う。

"Is there anybody going to listen to my story. All about the girl who came to stay…”

この時点で、私の心は鷲掴みされてしまった…ははは。黒々とした眉とクッキリとした瞳が印象的なジム・スタージェスは『ラスベガスをぶっつぶせ(原題:21)』が初見だったが、実際は本作が彼にとっては映画デビュー作らしい。テープ審査で即起用が決まったと言う歌声は甘美で、少し舌っ足らずなところが魅力的だ。そう、物語は彼の恋の歌で幕を開ける。

繰り返し歌ううちに何となく覚え、口ずさんでいた楽曲の数々が、台詞として字幕に表示される。様々なアレンジで、様々な歌い手によって歌い継がれ、物語が進んで行く。恋の歌から、世相を反映した歌、思想的な歌まで。何と多様な仕掛けで、ビートルズの名曲が新たな命を吹き込まれたことだろう。私が考えていた以上に時代状況にリンクした歌詞にも改めて驚く。中年の黒人女性らによるゴスペル・アレンジの" Let it Be"なんて、鳥肌ものだ。そう言えば10年前のNY旅行では、ハーレムの教会でゴスペルを聴く機会があった。日替わりで歌い手が若者、少年少女、シニア層に替わると言う話だったが、私たち家族が聴いたのはシニア層で、それは齢を重ねた人々ならではの味わい深い歌声だった。ゴスペル版"Let it be"で、その時の感慨がふと蘇った。

             

ヴィジュアル面でも、そのアレンジは際だっている。特にヴェトナム戦争の泥沼化に伴い、時代がいよいよ混沌として行く後半では、サイケデリックな色調とデザインが鮮烈さの度合いを増し、めまいを覚えるほどだ(当時蔓延したドラッグによる幻覚を表現した、との説がある)。それと反比例するかのように、歌詞は熱を帯びた愛の歌から、時代の熱気と距離を置いた冷静さで、その思考を研ぎ澄ませて行く。表題の" Across the Universe"は、その真骨頂だろう。

Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world


それからすると最後のオチは、"アノ歌"が持つ本来のスケールからすれば、ごく個人的なものに帰結させてしまうのは、矮小化と言うか、無理矢理こじつけた印象が否めない。あのシチュエーション自体は、ビートルズへのオマージュに他ならないだけに、ちょっと惜しいなあ…

【魅力的なキャスティング】
本作にも次代を担う若手俳優らが目白押し。”サラダボウル”を体現するかのように多彩な顔ぶれだ。ジム・スタージェスの恋人役のエヴァン・レイチェル・ウッド、その兄マックスを演じたジョー・アンダーソン、歌姫ディナ・ヒュークス、ギタリストのマーティン・ルーサー・マッコイ、そして薄幸の少女プルーデンスを演じたT.V.カーピオ。数年後にはそれぞれの名前を、さまざまなところで目にすることになるのだろう♪
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