
しっかり腹ごしらえをした後、バスは次の訪問地「久能山東照宮」へ。言わずと知れた徳川家康公ゆかりの神社です。
晩年を駿府城で過ごした家康公の遺言✴︎1により御遺骸を「久能山」に埋葬すると、二代将軍秀忠公がこの地に、全国で最初の東照宮として「久能山東照宮」を創建したのでした。
✴︎1:家康公の遺言(1616)
「遺体は駿河の久能山に葬ること」
「葬礼は江戸の増上寺に於いて行うこと」
「一周忌過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて祀り、関八州の鎮守となるべきこと」
14時頃、駐車場のある「日本平」✴︎2に到着☺️。
ここから東照宮のある久能山(標高約270m)までロープウェイ🚡で下って行きます。全長1,065m、5分間の空中散歩☺️。
✴︎2:「日本観光地100選」「国の名勝地」「静岡県立自然公園」に選定された標高約300mの丘陵。複数の展望スポットから「駿河湾」「伊豆半島」「富士山」「南アルプス」を展望出来る。
駐車場には既に数台の大型観光バスが駐車しており、ロープウェイも10分以上並んで待って漸く乗れました。ロープウェイも通常より多い運行回数で混雑に対応していたようです。

若干紅葉🍁も残っていました。ロープウェイ🚡の車窓より。

ロープウェイ終点近くにある推定樹齢500年の楠の大木。個人的には御神木と言えば大楠、の印象が強いです。

「久能山東照宮」の全景図
楼門をくぐり、社殿に通じる階段はなぜか封鎖されているので右折して、日枝神社を経由して社殿へと向かいます。その間、ひたすら階段を上ります。

まずは「楼門」。その2階部分には秀忠公の娘を中宮(皇后)として迎えた後水尾天皇が自ら命名し書かれた「東照大権現(家康公の神様としての名称)」の扁額が掲げられています。
デブな私は階段が苦手〜😅。えんやこらと自らを叱咤鼓舞しつつ一段一段を上ります。

「社殿」へと続く階段はなぜか封鎖中。とは言え、雲ひとつない青空に壮麗な建築は映えますね。

「社殿」に到着。二条城を手掛けた江戸時代を代表する大工頭、中井大和守正清最後の傑作で、当時最高の建築技術を駆使して造られた、壮麗かつ芸術性に富んだ建築。
この「社殿」は、「本殿」と「拝殿」を床の低い「石の間」で繋ぐ複合社殿の形を取り、2010年12月に国宝に指定されています。
「権現造」と呼ばれたその建築様式は、その後、全国に数多く創建された東照宮の原型となったのです。

社殿の屋根には無数の「葵」の御紋が装飾されていますが、よく見ると「逆さ葵」も含まれています。これは建物が未完であることを意味し、さらなる発展への願いが込められているのだとか。

本当はさらに階段を上った先に、家康公の御遺骸が埋葬された「神廟」があるのですが、観光時間が限られているので(ロープウェイ往復も含め70分間)、私達は社殿で参拝を済ませると、踵を返してロープウェイ🚡乗り場へと足早に向かいました。

15時15分頃、日本平をバスは出発。この後は一路、宿泊先のホテルへと向かいました。車窓からは穏やかな駿河湾の風景が見えました。

最後に家康公の有名な御遺訓を。
人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し
急ぐべからず 不自由を常と思えば不足なし
こころに望おこらば 困窮したる時を思い出すべし
堪忍は無事長久の基 いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知りて まくることをしらざれば
害其身にいたる
おのれを責めて人をせむるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり
慶長八年正月十五日 家康花押
④につづく…