はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

日本は昔も今も格差社会(2)~しかし世界を見渡せば…

2008年06月16日 | はなこ的考察―良いこと探し
私は日経夕刊1面の「あすへの話題」というコラムが好きで、そこに書かれたことに触発されていろいろ考えたり、調べたりすることが多い。最近は特に、金曜日担当の五百旗頭真(いおきべ まこと)防衛大学校長のコラムが私の脳みそを刺激する。名前にわざわざふりがなを付けているように「五百旗頭」という姓は難読で、実は私もつい先日まで読めなかった。以前から気にはなっていたが読めずにいたところ、土曜日のワークショップで、机にインク痕がつかないように下敷きに使われた古新聞に偶然五百旗頭氏の顔写真と氏名が掲載されていた(読めないが、そのお名前は新聞等で何度もお見かけしたような気がする)。いやぁ~気に掛けていると、情報が向こうの方から飛び込んで来るもんですね(笑)。私が古新聞を見てすかさずメモを取るところを、傍らの先生が不思議そうに眺めておられたが、つまりは、こういうことなんです(笑)。

前回の表題記事では日本の現状を嘆げきつつ、現状を打破する為に「こうしたらどうか」という自分なりの提案もしたつもりである。その中には、もしかしたら私の不勉強で既に実施されている案件もあるのかもしれない。それはさておき、どうして冒頭で五百旗頭(”ごひゃく はたがしら”と打ち込んでいる。もしかして名前の由来はご先祖の地位?)氏の名を出したかと言えば、13日付コラムに、氏が「珍プレー特集」と言うタイトルで、日本社会があたかも凶悪犯罪が多発する暗黒社会であるかのように喧伝するばかりのマスコミ報道の現状を憂いておられたからだ。つまり氏は、誰もが認める米大リーグの最高水準の中でたまに起きる”珍プレー”に、日本社会で起きる凶悪犯罪をなぞらえ、ネガティブキャンペーンばかりを張るマスコミに対し、「そんなに日本社会はどうしようもない水準の社会なのか?」と反論されたわけだ。

言われてみれば、なるほどそうだ。近視眼的に日本国内ばかりを見ていると、マスコミの事件報道攻勢もあって、日々の暮らしでさえ不安になる。しかし、世界に眼を転じてみれば、我が身の明日をも知れぬ紛争地域もあれば、途方もない格差になす術もなく、過酷な状況を運命として受け入れるしかない国もある。自由な発言が許されない国もある。世界のどこかには、干ばつで深刻な水不足に陥り、不衛生な状態で下痢に苦しむ子供たちがいて、中には命を落とす子供さえいる。学校の給食でかろうじて命を繋いでいる子供たちがいる。さらには学校で学ぶことすら叶わない子供たちがいて、紛争地域では兵士として駆り出される子供たちもいる。

私は会社員時代に官主導の国際協力事業に関わったことがある。私が帯同した夫の海外赴任も実はそれ絡みだった。それゆえ、開発途上国の現状を、一般の人々よりは多く見聞していると思う。例えば、開発途上国において、通常治安の問題もあって駐在員は現地の高級住宅街に住むことが多い。私たち家族が住んだ地域もそんな地域だった。

アパートの大家は自国で機械工業を営むだけでなく、米国のカリフォルニアとテキサスでも手広く事業を営む実業家だった。空き地を挟んだ隣家はビール会社経営者の邸宅で、3階の我が家からは、2階建ての広大な屋敷に、巨大なパラボラアンテナ、プール、バスケットコート、そしてスリランカから出稼ぎに来ている数人の使用人が住む為の離れの家が見えた。しかし、そこから100mと離れていない道路の脇には、ブロックを雑に積み上げただけのみすぼらしい家に、羊飼いの家族が住んでいた。

毎朝、その父親と幼い息子たちが、我が家とビール会社経営者の邸宅の間にある空き地へ、雇い主所有の羊十数頭を引き連れてやって来る。空き地に自生する雑草を餌として与えるためだ。すぐ近くに公立の小学校があるのだが、その息子たちは学校には通っていないようだった。一方で、アパートの大家の娘や息子は海外の大学に留学している。さらに大家家族は季節によって、自国、米国、スイスの別荘を頻繁に行き来していた。

こうした具体例を出すまでもなく、海外を見渡せば、日本とは比べものにならないほどの格差が存在する。そこでは貧民は容赦なく人間以下の扱いを受けていたりする。絶え間ない紛争で多くの国民が命を落とし、他国との政府間交渉も行えないような無政府状態が20年近くも続くソマリアのような国もある。そして紛争下で過酷な生活を強いられている国民が多数いる一方で、財力を武器に海外へと脱出する一握りの富裕層が存在する。

翻って日本では「餓死」はニュースになる。学校での「いじめ」や「不登校」が社会問題になる。自宅への「ひきこもり」が問題視される。経済成長が止まっただけで大騒ぎになる。失業率一桁台でも、前年より上昇すれば問題視される。子供を産む、産まないが女性の権利として語られる。食糧自給率40%で、60%を海外からの輸入に頼っていながら、飽食の国である。こんなに平和で、自由で、贅沢な国はそうそうないだろう。

「自分はいかに生きるべきか」と悩めるのは、もの凄く恵まれた状況にあるからできることなのだ。人間の欠点のひとつは、自らが置かれた環境に慣れてしまうと、それを基準にして物事を考えがちになってしまうことだと思う。短所は幾らでも挙げられるだろうが、それでも私たちが住む日本という国は世界でも希有な、文化水準も生活水準も高い国なのだ。そんな国に住む国民が「絶望」してはいけないのである。悪いところがあれば、まだまだ正せる力を持った国であることを信じよう。
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