はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

岸本佐知子『なんらかの事情』(筑摩書房、2012)

2012年12月25日 | 読書記録(本の感想)
 昨日の散歩の帰り、いつのもように駅前の大型書店に寄った。その入口にある新刊本のコーナーで見つけたのがこの本だ。

 何十冊と言う新刊本がひしめいている中で、意味深なタイトルと白地に小さなイラストのシンプルな装丁が目を引いた。「なんらかの事情」って、不倫小説?ミステリー小説?著者の俯き加減の、ちょっと困ったような表情が目に浮かぶようでもある。

 しかし、ひらがなの「なんらか」に柔らかさと言うか、何となく軽みがあり、それほど深刻な事情とも思えない。一体、どんなことが書いてあるのだろう?著者の「佐知子」と言う名前が知人と同じで、もしかして彼女が旧姓で本を出したのか、と言うあらぬ想像も手伝って、本書を手にとってみた。

 エッセイだった。かつて講談社エッセイ賞を受賞した、翻訳家の肩書きを持つ著者の6年ぶりの新作らしい。ファン待望の新刊のようだ。有名作家にも、この著者のファンが多いらしい。

 知らなかった。こんな面白いエッセイを書く人がいたなんて。冒頭の「才能」で、心掴まれた。「レジ待ちの列で、いつも一番流れの遅い列を選ぶ」才能だなんて、「才能」と言う言葉にそんな修飾がつくとは、これまで想像もつかなかった。

 そうそう、スーパー・マーケットのレジに並ぶ時、悩むのよね。夕方のスーパーのレジなんて長蛇の列で、仕事帰りの重たいカゴを抱えている身には、どこの列に並べばより早く支払いを終えられるか、結構切実だったりする。隣の列に並ぶ人がライバルにさえ思えて来る。まがりなりにも場数を踏んで、列選びの要領を心得たつもりが、思わぬアクシデントや伏兵?の出現で、こちらで勝手にライバル視していた人に、あえなく先を越されてしまうのだ。その悔しさったら…ああ、いかん、いかん。私ったら大人げない。

 「才能」は、レジ待ちの行列の中で、人知れずそんな葛藤を繰り広げている私の心の中を見透かしたような、ド・ストライクなエッセイだった。

 タイトルからは想像もつかない話が次から次へと展開する。出発点は誰もが日常にふと思いつくことだったりするのだが、そこからの想像の広げ方がユニークで自由闊達。そして着地点が絶品。そうか、こう来たか、と意外なオチに唸らされたり、その遊び心にニヤリとさせられたり、或いは、あまりの面白さに笑い声をあげずにはいられなかったり…

 ブログとは言え、文章を書く立場からすると、作者の文章の締め方の巧さに脱帽だ。私はブログ記事を書いていて、最後のオチをどうするか迷うことが多い。ちょっと捻りをきかせてみたいとか、読み手の予想を裏切って驚かせてみたいと思ったりもするのだが、発想力に乏しいせいか、なかなか思う通りの終わり方ができない。冒頭の勢いから途中失速して尻すぼみになったり、締めの言葉が見つからず、当たり障りのない凡庸な終わり方になったり、結局オチらしいオチのない何とも締まりのないものになったりと、自分で納得できるような締め方が出来た試しがない。悔しいが(←って、身の程知らずもイイトコ?!)、そこがプロの書き手と素人の違いなんだろう。

作者について少し調べてみたら、本業の翻訳家としての評価も高く、この翻訳家の翻訳ならと「指名買い」する固定ファンも多いらしい。なるほど、翻訳家の力量次第で、元々の作品の評価さえ変わってくると言われるくらいだ。原文により近いニュアンスを日本語で表現するには、数ある言葉の中から、どの言葉を選択するべきか、翻訳家は日々呻吟しているに違いない。斯くて長年翻訳家として活動する中で研ぎ澄まされた作者の言語感覚が、その豊かな発想や想像の源泉となっているのかもしれない。

と、ここまで書いて、白状するのも小っ恥ずかしいのだが、私は本書をまだ買っていない。自宅にまだ読んでいない本が溢れかえっているので、夫に本を買うのを禁じられているのだ。何編か拾い読みして、書店にいることも忘れて声をあげて笑ってしまった私は、泣く泣く本書を元の位置に戻した。しかし、本書の面白さには抗えず、私は夫の禁を破って、たぶん明日には単身書店に乗り込んで、本書を買ってしまうだろうbomb2


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