はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

流行り廃り

2010年09月12日 | 日々のよしなしごと
ブログと言う情報発信ツールが日本のネット上に登場してから10年にはなろうか?この「ブログ」も、誰もかしこもが手を染めたひところのブームは去ってしまったようで、私が懇意にしていたブログの中にも、もう更新が止まってしまったものや削除されたものがある。

私は2005年の11月末からブログを始め、始めた当初は新作映画レビューをブログの柱としていたせいか、できるだけ多くの人に読んで貰いたくて、そのきっかけ作りになればと他ブログへの訪問で知り合いを増やしたり、TB(トラックバック)に余念がなかった。

しかし、当初のプロバイダーのAOLのブログサービス停止をきっかけに、ブログサービスの基盤の脆弱さに今更のように愕然としてしまった。それまで築き上げたものが、サービスの停止によってあっけなく崩れ去ってしまうのを目の当たりにした(特に15万に届かんとしたアクセスカウンターがゼロクリアされた時の衝撃hororiは忘れられない…)。一応、過去データを持って現在のプロバイダーに引っ越しはできたものの、自分の中で確実にブログ熱はいささか冷めてしまったし、ブログ・ブームが去ってしまったこともあるのかもしれないが、かつてのようなアクセス数は今や望むべくもない。

ただ、熱が冷めてしまったのは悪いことばかりでもなく、アクセス稼ぎの為にTBに汲々とすることもなくなり、付き合う人数を絞って交流をより深めることで、ゆとりをもってブログに向き合えるようになれたのは幸い。気心の知れた人、私のブログ記事をきちんと受け止めてくれる人との交流は大切にしたいので、コメント欄でのやりとりを以前よりも重視している。たまにイタズラ(嫌がらせ?)の意味不明のコメントをいただくが、ブログに係る時間を減らしている私から見ると、「なんとまあご苦労なことで」と思う。即座にゴミとして削除されるだけのコメントに時間を割いて何のメリットがあるのだろう?

昨年だったかツィッターなる新たな情報発信ツールも出て来たが(→しかし早くもブームが去りそう…)、ゆっくり考えて、推敲した上で発信するブログのスタイルが私は気に入っているので、ツィッターのような即興性の発信ツールに手を出すことはないだろう。

最近、ネット上で小池龍之介氏なる僧侶の文章を読んだが、その中で小池氏は、ブログやツィッターは無名の個人の自我肥大を助長するだけ、と批判的な意見を述べていた。しかし、イマドキ、ブログやツィッターで一旗揚げよう(名声を得よう)なんて野心を持った人なんて、ほんの一握りなのではないか?寧ろ大半のブロガーは、もっとささやかな個人的満足でブログを地道に続けているのではないかと思う。

何事も流行り廃りはあるが、一時のブームが去った後にこそ、その真価が見えてくるのではないか。流行りに乗っただけのものは淘汰され、本当に価値のあるものが顕わになるであろうから。ブログで言うならば、書き手の意志を感じる読み応えのあるブログである。少なくとも私の中では、書き手の無名有名など関係ない。大事なのはあくまでも書かれた内容だ。
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