はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

「君の名は。」

2016年09月01日 | 映画(今年公開の映画を中心に)

 予告編を見た時から気になっていた作品。「映画の日」の今日、観客の殆どが学校帰り?の高校生と言う中に混じって、本作を見て来た。

 面白かった。巷では殊更映像の美しさが高く評価されているようだが、物語もよく出来ていて、上質な青春SFファンタジーをアニメと言う表現媒体で見た、と言う印象だ。

 もしかしたら、同じ物語を実写で撮った場合、陳腐なCGの多用で、ここまでの完成度は無理だったかもしれない。アニメだからこそ実現した物語の世界観なのかなと思う。

 「睡眠」をスイッチに魂の交換が起きる摩訶不思議な現象で、主人公の「都心に住まう瀧」と「とある地方の山間の町に暮らす三葉」は出会う。しかも、その現象は気まぐれで、いつ起こるのかは本人達にも分からない。ある朝目覚めると、相手の身体に魂が入り込んでいるのだ。

 なぜ、そんなことが、この二人の間に起きたのか?千年に一度とも言われる彗星の接近との関係を匂わせつつ、物語は進んで行く。

 いつの間にか、祈るように二人の行く末を見守っている自分がいた。作品の世界に没入する喜び…今回は声優陣の好演も大きかったように思う。有名俳優が演じていたが、見ている間はそのことを忘れるぐらい、それぞれが役にぴったりと嵌っていた。

 そう言えば、元々私には「アニメ=子ども向け」と言う認識はない。なんだかんだ言って私はアニメの第一世代。物心ついた時からテレビで草創期のアニメを見ていた。そして今に至るまで、ありとあらゆるアニメをテレビや映画館で見て来ている。アニメは「映像表現の一ジャンル」、と言う位置づけだろうか。

 世界中のアニメを見て来たが、それぞれが表現に独自の進化を遂げていて、どれが優れて、どれが劣ると、軽々には言えない。それぞれが際立った個性で、独自の境地を開いていると言う印象だ。

 例えば水の表現にしても、「ファインディング・ドリー」ではディズニー・ピクサーがリアリティの追及に腐心したの対し、今回の「君の名は。」は絵画的表現に拘ったのが分かる。
 
 見る側、鑑賞する側としては、さまざまな国、さまざまな作家の、アニメの多様な表現を楽しめるのが嬉しい。作家独自のちょっとした"癖"も、個性として楽しみたい。
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