この間の同時選挙で前大阪府知事が大阪市長に、その子分が大阪府知事に、それぞれめでたく当選した。
二人して大阪都を創るのだという声が聞こえてくる。
新聞などを読むと、だらしない国の政治やじり貧の経済からくる有権者の閉塞感が、大阪都構想を掲げた二人を当選させた、と解説している。しかし、大阪都構想がどんな具合に、国政の無能や経済の低調を打破することと結びつくのだろうか? そのあたりの詳しい説明がなかったようだ(私が読んでいる新聞が東京で発行されているもので、大阪で発行されている新聞にはきちんと説明されているのかもしれない)。
大阪府を大阪都に名称変更するには、地方自治法などの国レベルの法律改正が必要になる。国政が大阪都構想に協力しないのであれば、衆院選に打って出て、国会に乗り込んで大阪都を実現する、と新大阪市長がつくった地方政党は息まいている。
大阪都構想をネタに府知事から市長になり、次は衆議院議員を目指すのか。地方政党を率いて衆議院をたたかい、それなりに勝利すれば、理論上、地方政党が中央政党になり、その党首に日本国の首相になるチャンスが回ってくる可能性がないわけではない。
どうやら投機の手法であるレヴァレッジが政治に応用されている気配が濃厚だ。まず大阪府知事として府の教育基本条例や職員基本条例で君が代・日の丸起立義務化を画策し、愛国的ポーズで人気集めを試みた。昔から西洋で言われているように、愛国主義とは野心家が売名のためにかざすかがり火に使われるぼろ布のことである。そのことは日米戦争前後の昭和史の中でうんざりするまでに例証されている。そうした愛国主義で大阪市を手に入れ、その勢いをテコにして国政に影響力を与えようともくろんでいる。
大阪都構想の実現可能性については当事者もあまり気にしていない。レヴァレッジの材料にすぎないからだ。突撃ラッパで上げ潮をよびこみ、それに乗って出世魚になろうという魂胆だ。
大阪都構想など、野球の阪神・巨人戦の延長戦線上にある東西対抗意識の虚妄でしかない。いまの東京都知事は、東京から日本を変えると大言壮語して知事になった人だが、日本はよくならず、逆に、悪くなる一方だ。もちろん、日本が悪くなるのは国政を担当している政党や政治家、官僚などなどの責任であって、日本を変えるといって都知事に当選した人のせいではない。そもそも一介の知事がどうあがいたところで日本全体を変えることはできない。東京都は平々凡々の行政を行っている。ときどき知事が無責任な放言で失笑を買うという余興を提供しつつ……。大阪都ができても似たようなものだろう。
東京都も大阪府もある時期から知事選挙がタレントの人気投票風になっていった。誰が知事になろうと何も変わらないという都市住民のアパシーが根っこにある。だが、大阪都構想と愛国主義が対になって、個人の政治的野望実現のためのレヴァレッジに使われるとなると、府民・市民はレヴァレッジにつきものの流動性リスクというやつを頭の片隅に入れておく必要がある……というのは、よそ者のナイーヴな心配であって、ど根性主義の大阪の人たちはそれを百も承知で、つれづれなる余暇の時間つぶしに危険なゲームを「いてまえー」と楽しんでいるのであろう。
(2011.11.29 花崎泰雄)