8月に入った。
8月といえば、例年この時期の国際学会の中には海辺の町や山間の涼しい町で開かれる魅力的なものがいくつかある。教授たちの夏季休養学会であることがみえみえなのだが。研究発表はまあ、ほどほどにとどめおいて、夕方からの懇親会やピクニックなどに力を入れている。とはいえ、研究発表もそれなりに形は整えている。政治家の夏季講演会のでたらめさに比べるとなお雲泥の差がある。
副総理兼財務相の麻生太郎のヒトラー発言は、それにしてもお粗末だった。
前兆は7月21日の自民党が大勝した参院選開票日にあった。その日の麻生と自民党総裁で日本国首相の安倍晋三のおしゃべりがこう伝えられた(7月23日付朝日新聞)。
麻生「あなたは歴史上にない独裁者になりますよ」
安倍「独裁者、ですか」
麻生「謙虚さが大事だ」
安倍「そうですよね」
新聞報道の例によって、このやり取りには隔靴掻痒のところがある。①「(独裁者にならないためには)謙虚さが大事だ」と忠告したのか、②「(うまく独裁者になるためには、当面)謙虚さが大事だ」と助言したのか?
7月29日、国家基本問題研究所という団体の集まりで麻生は要旨次のような話をした(8月1日付朝日新聞記事)。それによって、さきの麻生・安倍のおしゃべりの真意は②であったことが明らかになった。
「護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし、改憲できても『世の中すべて円満に』と、全然違う。改憲は単なる手段だ。目的は国家の安全と安寧と国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り。狂騒、狂乱のなかで決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、この状況をよく見てください、という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。
「ヒトラーは民主主義によって、議会で多数を握って出てきた。いかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違う。ヒトラーは選挙で選ばれた。ドイツ国民はヒトラーを選んだ。ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくてもそういうことはありうる。
「今回の憲法の話も狂騒のなかでやってほしくない。靖国神社も静かに参拝すべきだ。お国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。いつからか騒ぎになった。騒がれたら中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから静かにやろうや、と。憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。ぼくは民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、私どもは重ねていいますが、喧噪のなかで決めてほしくない」
麻生は8月1日、次のような釈明のコメントを出した。
「7月29日の国家基本問題研究所月例研究会における私のナチス政権に関する発言が、私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾である。
「私は、憲法改正については、落ち着いて議論することが極めて重要であると考えている。この点を強調する趣旨で、同研究会においては、喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまったあしき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的に捉えていることは、私の発言全体から明らかである。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」
麻生は7月29日には「憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね」と言った。
8月1日には「喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまったあしき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである」と言った。
喧騒はあったのか、なかったのか? 麻生の言い訳には狼狽ぶりがみえみえである。そこのところは深追いしない。あの人の頭の中の論理の回路と普通の人のそれは相当違うので、無意味だからだ。
さらにお粗末だったのは「ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ」という発言である。このような無知な発言は、夏休み学会といえどもさすがに出てこない。選挙大勝後の夏休みを満喫している自民党の世襲三代目ならではの発言である。
「第三帝国」というと、いかにも独自の憲法を持っていたかのように聞こえるのだが、第三帝国という名乗りはナチスの自称で、実をいうと、ナチス政権下を通じて、ワイマール憲法は機能不全に陥ったが、手続き上存在し続けてきた。ワイマール憲法に変わるナチス憲法というものは存在しなかった。
ヒトラーのナチスに絶対的な権力を与えたのはいわゆる「授権法(全権委任法)」である。高等学校の世界史の教科書に載っていたことだが、「憲法に規定されている手続き以外に、ドイツ政府も法律を制定することができ、ドイツ政府が制定した法律は、憲法に違反することができる」という打出の小槌のような法律だった。
1933年ヒトラーの内閣が成立すると間もなく、ドイツ国会議事堂放火事件が起き、ヒトラーの政府はこの放火をドイツ共産党の陰謀だとして、共産党を非合法化し、80人以上の共産党国会議員を予防拘束した。こうして授権法に反対する共産党国会議員の出席を阻んだうえで、授権法を制定した。無用になった国会議事堂は焼けたまま放置され、授権法に反対した社会民主党も活動を停止させられ、ついには新しい政党の結成が禁止された。
時の勢いに乗れば、憲法を変えなくても、やりたい放題のことができるという見本である。
日本国憲法は一度も変更されたことがないが、解釈改憲という手法で、警察予備隊がつくられ、保安隊になり、自衛隊になり、防衛省ができ、自衛隊は強化されてアジアでも屈指の軍隊になり、いま、集団的自衛権も先制的自衛権も憲法9条は認めているという議論にまで行き着いている。
いまさらヒトラーにならえ、でもあるまい。
(2013.8.1 花崎泰雄)