ロシアは何を求めてウクライナに侵入したのだろうか。2月下旬からこれまで、テレビで画像を追い、新聞の分析報道を読んで戦争の原因を知ろうとした。だが、はっきりしたことは今のところ何もわからないままだ。
多くの専門家たちが偉大なるロシアの残像に対するプーチンの憧憬を開戦の動機として説明しようとした。「タタールのくびき」というモンゴル支配の歴史から、ナポレオンの軍勢と戦った「祖国戦争」、さらにはヒトラーの軍隊を迎え撃った「大祖国戦争」までを引き合いにして。
過去への思い入れが新しい歴史をつくることもある。トロイ遺跡の発掘はホメーロスが語った神話世界に対するシュリーマンのあこがれから始まった。シュリーマンはそれにもましてプリアモスの財宝に強い関心があったという説もあるにはあるが。
トロイ戦争の原因はトロイの王子がスパルタの王妃をさらった事だと、神話時代のホメーロスは説明した。女を略奪するのは悪人の所行だが、女が略奪されたことで報復するのは愚か者のすること。女の方にその気がなければ略奪されるはずもない。ヘロドトスは『歴史』の中で神話的でない言い方をしている。
トゥキュディデスになると戦争の原因究明はドライである。「既存の覇権国家を脅かす新興の覇権国家が生まれると戦争の原因になる」と『戦史』で述べている。これは現代的にも通用する戦争誘発の状況の祖型である。グレアム・アリソンは「トゥキュディデスの罠」という言葉を創った。衰退を感じさせる米国と拡大する中国の衝突が彼方に見える。
アレクサンダーの東方遠征の目的は何だったのだろうか。遠征隊は各地に「アレクサンドリア」という名の都市を築いた。支配地の拡大が目的だったのだろうか。十字軍はエルサレムの聖地奪回という宗教的熱情でスタートした。しかし、のちにはローマ・カトリックの十字軍がギリシア正教の国である東ローマ帝国を略奪目的で攻撃するようになった。遠征にはカネがかかるし、地中海にはベネチアのような有力通商国家が通商圏の拡大を画策していた。
ナポレオンの軍がエジプトに攻め込んだのはロゼッタストーンを探すためではなかった。エジプトにいたイギリス軍を攻撃するためだった。同じようにイギリス寄りのロシア皇帝アレクサンドル1世を嫌ってナポレオンは雪のロシアに侵攻した。ヒトラーがロシア侵攻のバルバロッサ作戦を開始したのは、食糧、石油などの供給地が欲しかったからだ。さらにロシアの西部を手に入れてアーリア人の新しい天地にしたかったからだと言われている。ナポレオンもヒトラーもそれまでの勝ち戦の興奮の余韻に酔ってロシア侵攻を始めた。プーチンが祖国戦争や大祖国戦争を引き合いにして、核兵器を持った途上国に転落したロシアを再び世界政治の場で覇権を求める国家にしようと夢見てウクライナに攻め込んだ「プーチンの戦争」仮説の対極である。
20世紀ではソ連がキューバで建設を進めていたミサイル基地をめぐって、世界は米ソが熱核戦争の崖っぷちに立って、暗い奈落を覗いた。1962年の事だ。カリブ海に展開する米軍の艦船の映像がテレビや新聞で伝えられた。世界中が「もはやこれまでか」と、暗い気分につつまれた。21世紀のロシアのウクライナ侵攻では、NATOも米国も、ウクライナでロシアと直接戦火を交えるつもりはないことを早々と明らかにした。核戦争に発展する恐怖感は1962年のキューバ危機の時ほど強くはなかった。
キューバをめぐるミサイル危機のあとで読んだホルスティの『国際政治―分析の枠組』(第3版)の冒頭に驚きのエピソードが紹介されていたことを思い出す。ベルンハルト・フォン・ビューローの回顧録によれば、フォン・ビューローがドイツ帝国宰相に第1次世界大戦が始まった理由を尋ねたところ、「それがわかってさえすれば…」と宰相が答えたというのである。戦争の機能はほどほどのコストで軍事力をつかって政治目的を達成することであるから、1914年のドイツの政策立案者たちは合理的に行動していなかった、とホルスティは説く。
ウクライナ侵攻を決断したプーチンの頭の中には何があったのか。その答えはこの戦争が終わるまで推測の域を出ることがないだろう。朝鮮戦争をめぐって先に攻撃をしかけたのは北か南か。真相はながらく謎のままだったが、ソ連邦の解体にともなって公開された資料に、いまが南解放のチャンスであると金日成がスターリンを開戦支持へと説き伏せた、と事の次第が書き残されていた。これがはっきりするまでに40年もかかったのである。
(2022.4.7 花崎泰雄)