今から50年ほど前の話である。1971年7月15日、ニクソン米大統領(当時)がホワイトハウスから全米に向けてテレビで語りかけた。「1972年に訪中する」。このニクソン訪中のTV発表が全米に流れる数分前に、このことを側近から耳うちされた日本の佐藤栄作首相(当時)は「米国の頼みごとはこれまで何でも聞いてやってきたのに」と言ってニクソンの仕打ちに落涙した。Odd Arne Westadが著書 The Cold War ( Penguin Books, 2017) に書いている。
米国は日本に対してニクソン訪中発表の事前通告をしなかった。ニクソン政権と佐藤政権の間で、沖縄返還と引き換えに日本の対米繊維輸出の制限の約束があったのにもかかわらず、佐藤政権に繊維製品輸出の規制を米側が納得できるほどまで実施する気がみえないことに対する米側の仕返しだった(Marvin Kalb & Bernard Kalb, Kissinger, Dell,1974)。
1972年2月に訪中したニクソンは毛沢東、周恩来らと会って米中関係正常化について語り合った。会談は予定通り順調に進み、2月28日に上海コミュニケを発表した。
その中で中国は①国家はその大小をとわず平等でなければならない②中国はけっして超大国にならないし、覇権主義と強権政治に反対する③各国人民には自国の社会制度を選択する権利があり、自国の独立、主権、領土保全を守り、外部からの侵略、干渉支配、転覆に反対す権利がある④台湾は中国のひとつの省であり、台湾の解放は中国の内政問題であり、他国には干渉する権利はない、などと表明した。
米国は①全世界各国人民が外部からの圧力や介入のない状況のもとで、個人の自由と社会の進歩を勝ち取るのを支持する②異なるイデオロギーをもつ国と国の間の連携を改善して緊張緩和に努力する③いかなるくにでも、一貫して正しいと自称すべきではなく、各国は共通利益のために自分の態度を検討する④アメリカは台湾海峡両側のすべての中国人が中国はただ1つであり、台湾は中国の一部であると考えていることを認識した、などと表明した。
毛沢東が率いる中国共産党が国民党との内戦に勝利し、中華人民共和国の成立を宣言したのは1949年の10月だった。その2か月前の8月に米国務省が『中国白書—The China White Paper』を出版していた。米国は中国内戦において蒋介石の国民党を支援してきたが、米国がつぎ込んだ資金、労力にもかかわらず、国民党はその腐敗によって国民の支持を失い、中国共産党に権力を奪われてしまった。国民党を支持してきた米国政府の中国喪失のドキュメントである。出版の時、国務長官を務めていたディーン・アチソンが冒頭に「送り状」(Letter Of Transmittal)を書き、そのなかで、中国内戦における苦々しい結果は合衆国政府の手の届かないところにあった、と書いた。国務省がまとめた『中国白書』は、中国喪失の原因を蒋介石と国民党にあり、国務省がコントロールできる事柄ではなかったとした。この態度に右派から激しい批判が出された。
181人のアメリカ人(学界、言論界、政界、実業界、教育団体、宗教団体)から、中国人に対するイメージを聞き取り調査してまとめたハロルド・アイザックスの『中国のイメージ』(サイマル出版会、1970年、原著は1958年出版)によると、中国共産党が権力を掌握できた理由を調査対象者に聞いたところ①国民党の腐敗②巧妙な共産党の戦術③アメリカの政策、判断の誤りの順だった。
ところで『中国のイメージ』は含蓄に富んだ調査報告である。著者は調査対象者との面接から、1950年代のアメリカ人の中国人観は「中国人は知能程度が高く、礼儀正しく、有能である」という好意的見方と、「信用できない、軍事的脅威、残酷」といった非好意的な見方が共存していた、と結論した。これは当たり前の話で、外国イメージというものは、時の流れの中でプラスとマイナスを揺れ動くものである。ただ、同書が引用しているジョセフ・オルソップの「中国での忌わしい日々を通じて、中国にいたアメリカの代表者は、積極的に中国共産党に味方した。彼らは国民党政府の、政治的、軍事的弱さの一因となった」という考え方は当時のアメリカの右派政治勢力の胸に響くものがあり、マッカーシズムの「赤狩り」につながった。
マッカーシズムのせいもあって、国務省内の中国通の職員が少なくなり、やがて米国はベトナム戦争の泥沼にはまり、その泥沼から抜け出すために、ニクソンが北京へ行って毛沢東に会うことになる。ニクソンは「赤狩り」のマッカーシーに加担していた。
“Slow Boat To China”というポピュラーソングは1948年に書かれた。”I’d like to get you on a slow boat to China” は勝負に負けたギャンブラーをいたわる言葉だったと言われ、遥か中国行の船旅に出れば船路につれづれのポーカーで運が向いてくるさ、というギャンブラーのジャーゴンをフランク・レッサーが恋の歌にした。もっともこの時期の中国は国共内戦で揺れていて、恋の逃避行のパラダイスではなかった。ポップスのファンにとっては、時事問題など関係なかった。
『中国白書』からニクソン訪中までに約20年、ニクソン訪中から現在まで約50年。毛沢東この間中国社会は毛沢東時代の革命外交、文化大革命、鄧小平時代の社会主義市場経済や先富論、江沢民時代の海外資本進出(走出去)、胡錦涛時代の和諧社会、などの掛け声の下で変貌を遂げた。かつて土法高炉に取り組んだ農村社会が世界の工場と言われる工業社会になり、富を蓄え、軍備を増強した。いま習近平は中華民族の偉大な復興という「中国の夢」を合言葉にしている。
2022年4月21日の朝日新聞によると。中国には1927年に発行された「国恥地図」というものが残っているそうだ。列強によって国土が奪われる以前の中国の領域を示す地図である。琉球群島、台湾、インドシナ半島、マレー半島などが含まれている。長い中国の暦の中で、朝貢や冊封などで関係があった影響圏まで領域に入れた「帝国」の対外観の記憶が図になったのだろう。
「現代中国は清帝国の領域と辺疆を基礎にして、周辺各民族を次第に一つの『中華民族』へと納めていく努力の中で、最後には一つの大きな(多)民族による『帝国』、あるいは『国家』を形成することになった」(葛兆光『完本 中国再考』岩波現代文庫、2021年)。葛の説明と国恥地図と中華民族の偉大な復興、この三題噺にはドキッとするものがある。
中国には省レベルの5つの民族自治区がある。内モンゴル自治区、新疆ウイグル自治区、寧夏回族自治区、チベット自治区、広西チワン族自治区である。中国人口に占める漢族の割合はざっと9割。中国国土に占める5自治区の総面積は44パーセントである。米国は新疆ウイグル自治区人権問題を批判しているが、新疆ウイグルの地下には石油と天然ガスの豊富な埋蔵量がある。
(2022.6.11 花崎泰雄)