人の発する言葉には、何かの力があるということを実感した、という話です。
先日、会社の帰り道でお気に入りのネックウォーマーを落としてきてしまいました。
カブで走っている途中、やけに首がスースーすることに気付いて、発覚
一度は会社まで戻ったのですが、日が暮れていてよく見えないのと、用事があってゆっくり探していられなくて断念
お気に入りのだったのですが・・・
後ろでマジックテープで留める、そのマジックテープの性能が非常にプアで、すぐに外れます。
気を付けていたつもりなのですが、無くなったのって意外と気づかないもんですね。。。
家に帰ってヨメに話したところ、
「見つかるよ」
という。
いつものことなのですが、何の根拠があってそう言うのか分からない
その時も適当に聞き流していたのですが・・・
次の日。
明るい中で、昨日のルートをもう一度通って探してみようと思って、早めに家を出ました。
昨日は暗かったとはいえ、目を皿のようにして探したので、道路に落ちていたら気付くはず。
さらに時間が経った今、見つかる可能性は低いだろうな、とは思っていました。
風で飛ばされてしまったか、溝に落ちたか、犬がくわえていったか、もしかしたら誰かが親切にどこかに置いてくれているかもしれないけど逆にそれで目に入らないこともある。
たとえ見つかったとしても、クルマに踏まれたり、汚れたりして使えないかもしれません。
と、、、不安材料に囲まれながらも、なぜかヨメの
「見つかるよ」
が耳に残っていて、あまり不安にならないのです
これは不思議な感じで、今まで経験したことが無い。
見つかるか見つからないかの予想には影響を与えていません。
この言葉のせいで「見つかるような気がする」わけでは無いのです。
どれくらい見つからないかの想定は変わらないのに、つまり見つからないだろうなぁと思っているのに、根拠もなく何か安心感だけが増幅するというか・・・
「見つかるよ」
頭の中にこの言葉があるだけで、見つからない不安が中和されて無毒化されている感じ。
結果的には道路に落ちていて(なぜ昨日みつからなかったのだろうか・・・)、
幸いなことにダメージもなく、そのまま使用できる状態でした。
以来、上着の上ではなく、内側に装着するようにしています
しかし。。。
何の根拠もないただの一言なんですが・・・
あんな救いの効果があるとは、あまり思いもしていませんでした。
たったあれだけでこんなに大きな効果があるとは。。。
何の手間も要らない、ただ望ましいことを断言するだけでいい。
「見つかるよ」「受かるよ」「大丈夫」「出来る出来る」「なれるよ」
根拠なかろうが、無責任だろうが、他人事だろうが、言うだけで相手が救われるなら
言わない手はないですよね~
そ、、、そうかなぁ。
なんかそんな気がしてきました
そうですよね~
否定されるよりはプラスの言葉を聞きたいものです。
わかっちゃいるけど、なかなか難しいんですよね、、、この歳になると批判的になって。
気を付けよっと。
昨日テレビで話し方についてやっていました。聞き手が返す言葉は、肯定的なほうがいいとのことでした。
きっと奥様も、はるにわさんが見つけたいっていうのを感じてかけた言葉じゃないですかね。