「福はうち!鬼はそと!」
母の声は照れくさげで消え入りそう。まかれる豆は干した自家製大豆だった。父は興味すら示さなかった。それが記憶に残る子供時代の節分風景である。それまで節分に豆をまく習慣は、わが家になかったのだろう。
そんな育ち方をしたせいか、昨今の豆まき事情に鬱陶しさえ感じてしまう。まして、巻きずしの丸かじりなど論外だと思っている。
とはいえ定年前は調理師。毎年節分になると、一万本近い巻きずし製造に関わった。巻くだけでなく、数十本の巻きずしを買うノルマもあった。もうこりごりである。
古希を迎えた今、わが家で節分行事は姿を消した。スターの豆まき風景を、テレビニュースで目にするくらいである。
ここ数年、わが家はいいこと続き。今年など二人目の孫誕生に、末娘が公務員に内定と、節分といえど厄払いする必要がない。今年は赤飯で祝うことにしてもいい。
母の声は照れくさげで消え入りそう。まかれる豆は干した自家製大豆だった。父は興味すら示さなかった。それが記憶に残る子供時代の節分風景である。それまで節分に豆をまく習慣は、わが家になかったのだろう。
そんな育ち方をしたせいか、昨今の豆まき事情に鬱陶しさえ感じてしまう。まして、巻きずしの丸かじりなど論外だと思っている。
とはいえ定年前は調理師。毎年節分になると、一万本近い巻きずし製造に関わった。巻くだけでなく、数十本の巻きずしを買うノルマもあった。もうこりごりである。
古希を迎えた今、わが家で節分行事は姿を消した。スターの豆まき風景を、テレビニュースで目にするくらいである。
ここ数年、わが家はいいこと続き。今年など二人目の孫誕生に、末娘が公務員に内定と、節分といえど厄払いする必要がない。今年は赤飯で祝うことにしてもいい。