十二月十五日、二人目の孫が誕生!
産院へ足を運んで、娘を祝福。幸せいっぱいの様子に目がウルウルした。年を取ると、涙腺が緩むというが本当である。
母子ともに健康な姿を見て、やっと幸せに浸れた。といっても、初孫誕生の時の比ではない。あの日に書いた原稿を引っ張り出した。日の目を見ないままにしまい込んでいたものだ。じいじになった喜びと幸福感が、妻との出会いを思い出させていたのが懐かしく記されていた。
二〇一六年一月十四日記
「お義父さん、赤ちゃんいま生まれました」
長女の夫からの連絡だった。
夢にまで見た初孫誕生!いま六十七歳。遅いといえば、遅いおじいちゃんである。
おもむろに尋ねる妻。
「どんな気持ち?おじいちゃんよ」
「ピンと来やへん。俺がおじいちゃん……?」
「素直に喜べば。すべて順調ってことでしょ」
確かに順調だった。授かった子供四人を無難に育て上げ、さほど問題のない人生を送って来ている。
でも、モヤモヤしたものは脳裏に残ったままだった。結婚する際、妻と交わした約束を実現するどころか、諦めた形になってしまっているからだ。。
三十五年前、いっぱいの夢と希望に満ちた未来へ胸をふくらませる高校生の妻に出会った。駅ビルの喫茶店調理場に勤める三十男の私と彼女の共通項は、演劇だった。
全国大会で賞を取った高校演劇部の部長だった妻。社会人になっても演劇を続けたいと、私が主宰するアマ劇団に入ってきた。他のメンバーとは雲泥の差だった芝居にかける情熱は、いつしかグループのリーダー的存在になった。
ちょうどその頃、私は念願だった喫茶店経営に踏み切った。社会に出た時から抱き続けた夢の実現である。開店準備に奔走する私を見かねたのか、彼女はアルバイトを申し出た。
彼女は最高の助っ人だった。短大に通いながら、時間があればアルバイトに駆けつける彼女に信頼は増すばかりだった。。
短大を卒業する直前に彼女の逆プロポーズを受けた。女性との付き合いが苦手で結婚を諦め、自分の店と劇団に人生を賭ける覚悟をしたばかりだった。
「ひとりでバタバタしてるん見てられへん。かわいそうやから私がそばにいてやるわ」
その日から私は彼女をひとりの女性と認めた。結婚を前提に付き合いが始まった。しかし、店の経営は生半可なものじゃない。人並みなデートもできない。それでも、店が終わると、できるだけ顔を合わせた。
あれは、赤穂の海岸だった。星を見上げながら、私は彼女に結婚を申し込んだ。
「一緒に生きていこう。君でないと僕の人生のパートナーは務まらない」
自分でも恥ずかしくなるキザっぷりだった。
「子供ができても、芝居作りは絶対やめへん。家族で劇団作って田舎を巡演して回ろう」
「それ本気なの?」
「ああ。僕と君をつなぐのは芝居なんだ。生涯二人で芝居をやっていかなきゃ。約束する」
「うん!約束だよ。じゃ結婚してあげる」
今思えば青臭い宣言だった。それでも、あの瞬間、二人の絆は強く結ばれたのだ。
子供に恵まれてからも、約束通り劇団活動を続けた。喫茶店も順調だった。
三人目の子供を授かると、生活は大きく変わった。大黒柱の責任が重くのしかかった。子供らの将来を考えれば、収入を優先しなければならなくなった。劇団活動をしばらく休むことにした。結局、そのまま芝居は諦めざるを得なくなった。四十五年近く続けた芝居への未練を犠牲にした。いつか再開するとの思いを心の奥深く刻んだ。
以来、仕事に専念した。不審になった喫茶店を閉めて、ほかの働き口を掛け持ちした。妻も共稼ぎで、育児家事に奮闘した。
夫婦の頑張りは、四人の子供をそれなりの社会人に育てあげた。大学教育も受けさせた。親のやるべきことを、ついにやり遂げたのだ。
「いまさら芝居できっこないよなあ」
「当たり前やん」
即答する妻に、芝居はもう思い出なのか。
「ごめんな。お前との約束、果たせなんだわ」
私の中には、まだあの頃の青春が、影は薄くなってもちゃんと残っている。
「約束やなんて、あんなもん破るためにあるんや。おかげで、私ら幸せになったやんか」
そう。あの約束をしゃかりきになって守っていたら……!いま私たちに笑顔はなかったかもしれない。複雑な思いで妻を見やった。
(お前の笑顔を絶やさんように頑張らなきゃ)
それは妻にする、人生最後の約束だった。
産院へ足を運んで、娘を祝福。幸せいっぱいの様子に目がウルウルした。年を取ると、涙腺が緩むというが本当である。
母子ともに健康な姿を見て、やっと幸せに浸れた。といっても、初孫誕生の時の比ではない。あの日に書いた原稿を引っ張り出した。日の目を見ないままにしまい込んでいたものだ。じいじになった喜びと幸福感が、妻との出会いを思い出させていたのが懐かしく記されていた。
二〇一六年一月十四日記
「お義父さん、赤ちゃんいま生まれました」
長女の夫からの連絡だった。
夢にまで見た初孫誕生!いま六十七歳。遅いといえば、遅いおじいちゃんである。
おもむろに尋ねる妻。
「どんな気持ち?おじいちゃんよ」
「ピンと来やへん。俺がおじいちゃん……?」
「素直に喜べば。すべて順調ってことでしょ」
確かに順調だった。授かった子供四人を無難に育て上げ、さほど問題のない人生を送って来ている。
でも、モヤモヤしたものは脳裏に残ったままだった。結婚する際、妻と交わした約束を実現するどころか、諦めた形になってしまっているからだ。。
三十五年前、いっぱいの夢と希望に満ちた未来へ胸をふくらませる高校生の妻に出会った。駅ビルの喫茶店調理場に勤める三十男の私と彼女の共通項は、演劇だった。
全国大会で賞を取った高校演劇部の部長だった妻。社会人になっても演劇を続けたいと、私が主宰するアマ劇団に入ってきた。他のメンバーとは雲泥の差だった芝居にかける情熱は、いつしかグループのリーダー的存在になった。
ちょうどその頃、私は念願だった喫茶店経営に踏み切った。社会に出た時から抱き続けた夢の実現である。開店準備に奔走する私を見かねたのか、彼女はアルバイトを申し出た。
彼女は最高の助っ人だった。短大に通いながら、時間があればアルバイトに駆けつける彼女に信頼は増すばかりだった。。
短大を卒業する直前に彼女の逆プロポーズを受けた。女性との付き合いが苦手で結婚を諦め、自分の店と劇団に人生を賭ける覚悟をしたばかりだった。
「ひとりでバタバタしてるん見てられへん。かわいそうやから私がそばにいてやるわ」
その日から私は彼女をひとりの女性と認めた。結婚を前提に付き合いが始まった。しかし、店の経営は生半可なものじゃない。人並みなデートもできない。それでも、店が終わると、できるだけ顔を合わせた。
あれは、赤穂の海岸だった。星を見上げながら、私は彼女に結婚を申し込んだ。
「一緒に生きていこう。君でないと僕の人生のパートナーは務まらない」
自分でも恥ずかしくなるキザっぷりだった。
「子供ができても、芝居作りは絶対やめへん。家族で劇団作って田舎を巡演して回ろう」
「それ本気なの?」
「ああ。僕と君をつなぐのは芝居なんだ。生涯二人で芝居をやっていかなきゃ。約束する」
「うん!約束だよ。じゃ結婚してあげる」
今思えば青臭い宣言だった。それでも、あの瞬間、二人の絆は強く結ばれたのだ。
子供に恵まれてからも、約束通り劇団活動を続けた。喫茶店も順調だった。
三人目の子供を授かると、生活は大きく変わった。大黒柱の責任が重くのしかかった。子供らの将来を考えれば、収入を優先しなければならなくなった。劇団活動をしばらく休むことにした。結局、そのまま芝居は諦めざるを得なくなった。四十五年近く続けた芝居への未練を犠牲にした。いつか再開するとの思いを心の奥深く刻んだ。
以来、仕事に専念した。不審になった喫茶店を閉めて、ほかの働き口を掛け持ちした。妻も共稼ぎで、育児家事に奮闘した。
夫婦の頑張りは、四人の子供をそれなりの社会人に育てあげた。大学教育も受けさせた。親のやるべきことを、ついにやり遂げたのだ。
「いまさら芝居できっこないよなあ」
「当たり前やん」
即答する妻に、芝居はもう思い出なのか。
「ごめんな。お前との約束、果たせなんだわ」
私の中には、まだあの頃の青春が、影は薄くなってもちゃんと残っている。
「約束やなんて、あんなもん破るためにあるんや。おかげで、私ら幸せになったやんか」
そう。あの約束をしゃかりきになって守っていたら……!いま私たちに笑顔はなかったかもしれない。複雑な思いで妻を見やった。
(お前の笑顔を絶やさんように頑張らなきゃ)
それは妻にする、人生最後の約束だった。