「男っちゅうのは一生に家一軒建てなあかん」
咲き誇る向日葵がビシリと埋め尽くした畑を見下ろながら父は言った。小柄な父の背丈を二倍は上回る茎の成長ぶりに驚く。大輪の黄色い花は一斉に空を睨んでいた。
父の思いとは裏腹に、息子の気持ちはよそを向いていた。別に自分の家を持ちたくはなかった。そこにかけるお金は、もっと他に使えば、より有意義である。住まいは借家で充分だ。
二十数年前、実家を出て仕事に就いて以来、アパートや借間を転々とした。さほど不便はなかった。むしろ好都合だった。いちいち家に必ず戻らねばという強迫に近い義務感を持たなくてもいいのだ。いやになれば次へ引っ越せばいい。
「どないや、ここでお前の家を建ててみいひんか?」
「うん?…家はいらんわ。そんな金持ってないし無理や」
「アホ!お前ひとりやったら、それでええわい。いまのお前には大切な家族がおるんやろが。三人の子どものためにも、家を建てるんが、父親の心意気や。金なら、わしが保証人になったる。農協で貸してくれるわ」
父の言葉は私の心にビシッと響いた。そうだ。私には家族がいた。強く意識したのは初めてだった。父の一喝は、私に父親だとはっきり自覚させるのに充分だった。
「家族のためにお前の力で出来ることは、精一杯やったらんかい。家を建てるんは並みのこっちゃない。そやけど苦労したらした分だけ、自分の家やって愛着が湧くもんじゃ」
養子に入って苦労した父。懸命に働き、自分の家族のため遂に家を建てた父である。その言葉には千金の重みがあった。その父の子どもである。私のいまやるべきことは、自分の家族の家を建てることだった。
真夏。炎天下に向日葵畑に入った。雑木を刈り取る厚手の鎌を振るって、向日葵の固くなった茎を刈り取った。汗まみれの奮闘も遅々として捗らぬ作業。何度となく抛り出してラクになりたいと思った。その誘惑は、父や家族の顔を思い浮かべては振り払った。家を建てる夢の実現への一里塚に、もう迷いは微塵もなかった。
刈り払った向日葵の山に火を放って焼くと、広々とした畑地が広がった。満足感が全身に広がる。やっと家作りが始まる。
敷地の造成は、ブリキ屋の父の建設仲間の土建屋が安く施工してくれた。そして建前に突っ走る。大工は従兄だった。私は彼らの手足となって駆けずり回った。土や砂を運び、丸太の皮をはぎ、製材した板や角の部材を乾燥するのに躍起となって汗を流した。壁の下地に組んだり編んだりする竹の伐り出しや加工も……仕事は私の想像を絶するほどあった。しかし、もう私の足は決して止まらなかった。
家を建てる!それは、もう私ひとりの夢でも目標でもなかった。父の、妻の、三人の子どもたちの笑顔が、いつも共にあった。彼らの支えを強く感じた。家を建てる、家を持つ。その意味を私はようやく悟った。
家が完成するまで、なんと三年かかった。四季の移り変わりを見ながら、私は家が生命を得るまでの道程を共に走り続けたのだ。
あれから二十七年。我が家の庭には家を建てた記念に植えた桜の木が大木となって、屋根の上に枝を四方八方に広げている。春を迎えれば満開の花で埋め尽くされる。
この家で育った子どもたちも、それぞれ巣立った。長女は結婚した。長男と次男は名古屋の方で働いている。残るは家を建てている最中に授かった末娘だけ。彼女はこの春から大学生だ。
「そろそろ、二人になる準備をしなくちゃあね。こんな広い家じゃ持て余しちゃう。リフォームして、もっとちっちゃくしようか?」
「いや。この家はこのままでいい。また子供たちが気楽に戻って来られるように……!」
妻の言葉に、私は頭を強く振った。
まだまだだ。この家の役割はまだ終わっていない。私の一生に一度を担ってくれた家を、可能なら私の子どもが引き継いでくれるだろう。この家が育ててくれた四人の子どもたちの誰かが、この家の主になってくれる。
子どもらの家族が、そしてその子供らが……家はそんな私の家族を守り続けてくれるのは間違いない。そんな家を、私は建てたのだ。
(わかったな。僕の家族はきみといつまでも一緒なんだぞ。これからもよろしくな)
私は家に語り掛けた。
何も答えてくれないが、見上げる私の視界に超然と聳える、私の家…父の、私の家族たちの家は、何もかも鷹揚に包み込んでくれている。
咲き誇る向日葵がビシリと埋め尽くした畑を見下ろながら父は言った。小柄な父の背丈を二倍は上回る茎の成長ぶりに驚く。大輪の黄色い花は一斉に空を睨んでいた。
父の思いとは裏腹に、息子の気持ちはよそを向いていた。別に自分の家を持ちたくはなかった。そこにかけるお金は、もっと他に使えば、より有意義である。住まいは借家で充分だ。
二十数年前、実家を出て仕事に就いて以来、アパートや借間を転々とした。さほど不便はなかった。むしろ好都合だった。いちいち家に必ず戻らねばという強迫に近い義務感を持たなくてもいいのだ。いやになれば次へ引っ越せばいい。
「どないや、ここでお前の家を建ててみいひんか?」
「うん?…家はいらんわ。そんな金持ってないし無理や」
「アホ!お前ひとりやったら、それでええわい。いまのお前には大切な家族がおるんやろが。三人の子どものためにも、家を建てるんが、父親の心意気や。金なら、わしが保証人になったる。農協で貸してくれるわ」
父の言葉は私の心にビシッと響いた。そうだ。私には家族がいた。強く意識したのは初めてだった。父の一喝は、私に父親だとはっきり自覚させるのに充分だった。
「家族のためにお前の力で出来ることは、精一杯やったらんかい。家を建てるんは並みのこっちゃない。そやけど苦労したらした分だけ、自分の家やって愛着が湧くもんじゃ」
養子に入って苦労した父。懸命に働き、自分の家族のため遂に家を建てた父である。その言葉には千金の重みがあった。その父の子どもである。私のいまやるべきことは、自分の家族の家を建てることだった。
真夏。炎天下に向日葵畑に入った。雑木を刈り取る厚手の鎌を振るって、向日葵の固くなった茎を刈り取った。汗まみれの奮闘も遅々として捗らぬ作業。何度となく抛り出してラクになりたいと思った。その誘惑は、父や家族の顔を思い浮かべては振り払った。家を建てる夢の実現への一里塚に、もう迷いは微塵もなかった。
刈り払った向日葵の山に火を放って焼くと、広々とした畑地が広がった。満足感が全身に広がる。やっと家作りが始まる。
敷地の造成は、ブリキ屋の父の建設仲間の土建屋が安く施工してくれた。そして建前に突っ走る。大工は従兄だった。私は彼らの手足となって駆けずり回った。土や砂を運び、丸太の皮をはぎ、製材した板や角の部材を乾燥するのに躍起となって汗を流した。壁の下地に組んだり編んだりする竹の伐り出しや加工も……仕事は私の想像を絶するほどあった。しかし、もう私の足は決して止まらなかった。
家を建てる!それは、もう私ひとりの夢でも目標でもなかった。父の、妻の、三人の子どもたちの笑顔が、いつも共にあった。彼らの支えを強く感じた。家を建てる、家を持つ。その意味を私はようやく悟った。
家が完成するまで、なんと三年かかった。四季の移り変わりを見ながら、私は家が生命を得るまでの道程を共に走り続けたのだ。
あれから二十七年。我が家の庭には家を建てた記念に植えた桜の木が大木となって、屋根の上に枝を四方八方に広げている。春を迎えれば満開の花で埋め尽くされる。
この家で育った子どもたちも、それぞれ巣立った。長女は結婚した。長男と次男は名古屋の方で働いている。残るは家を建てている最中に授かった末娘だけ。彼女はこの春から大学生だ。
「そろそろ、二人になる準備をしなくちゃあね。こんな広い家じゃ持て余しちゃう。リフォームして、もっとちっちゃくしようか?」
「いや。この家はこのままでいい。また子供たちが気楽に戻って来られるように……!」
妻の言葉に、私は頭を強く振った。
まだまだだ。この家の役割はまだ終わっていない。私の一生に一度を担ってくれた家を、可能なら私の子どもが引き継いでくれるだろう。この家が育ててくれた四人の子どもたちの誰かが、この家の主になってくれる。
子どもらの家族が、そしてその子供らが……家はそんな私の家族を守り続けてくれるのは間違いない。そんな家を、私は建てたのだ。
(わかったな。僕の家族はきみといつまでも一緒なんだぞ。これからもよろしくな)
私は家に語り掛けた。
何も答えてくれないが、見上げる私の視界に超然と聳える、私の家…父の、私の家族たちの家は、何もかも鷹揚に包み込んでくれている。