こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

ヒキョーったれはいま

2020年04月28日 09時27分57秒 | つぶやき
小さい頃、
親からヒキョーったれと
しょっちゅう呼ばれた。
酷い人見知りで
ひと前に出ると、
カァーっと顔が赤らみ
目も合わせられなくなり、
顔を伏せて
何時間でも黙りこくる
実に根暗なタイプだった。
そんな態度が「ヒキョーったれ」なのだ。
誰が見ても
友達を作れずに
孤独な人生を送るはずだった。
そんな私に数少なくても
友達ができたのだ。
自分でも不思議に思うが、
人間生きるのに
一人っきりは
なかなか難しいようだ。

一度故郷を後にして
加古川姫路で暮らしていたのが、
40過ぎてふるさとにUターンした。
根暗な性格が災いして、
自分の生まれ育った故郷でありながら、
隣人たちとなかなか馴染めずにいた。
ノイローゼになろうかという時に、
転機はいきなりやってきた。
村の秋祭りである。
当時周旋役員だった人が
同じUターン組だった。
「遠慮したら故郷が逆に迷惑しよるで。
思い切ってやりたいようにふるもうたらええんや。
あんたのふるさとやんけ。
どない無茶振りしたかて、
ふるさとは優しゅう包み込んでくれおるわい。
祭りで屋台をみんなで担いだら、
もう加西の畑人や1
わしもUターンした秋に、
屋台を担ぎに出たら、
男衆(おとこし)の仲間になってもたわ。
今度はあんたを引っ張り込んだるで」
有無を言わさず、
彼に引っ張り出されて
屋台を担いだ。
宮入し、神前での奉納に屋台を差し上げた。
3トン近い屋台はそう簡単に差し上げられない、
担ぎ手の息があった瞬間に
重い屋台は堂々と空に待った!
控えの場へ屋台を落ち着かせたとき、
誰彼ともなく拍手が始まり
怒涛の如く渦巻いた。
村の仲間へ復活した瞬間だった。

あれから30年、
いまコロナの試練を受けている。
くじけそうになるたびに、
僅かな友人知人の顔を思い出す。
彼も頑張っているんだ
負けてられないぞ!
と奮起する私だった。(うん)
コメント
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