こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

嬉し悲しや田んぼの記憶

2022年05月15日 11時51分43秒 | 日記
天気も落ち着いたところで畑へ。
ジャガイモの花を摘み取り、
隣の畝を見ると、
芽が出ている。
確かカボチャ、
去年食べた後取っておいた種を蒔いたものだ。
しかも、今年1年生になった孫娘が蒔いてくれたもの。
説明したとおりに、一粒一粒丁寧に蒔いてくれたっけ。
自分が蒔いた種がにょきっと土をもたげて現れた芽、
その双葉を見つけたときの感動は相当なものだろう。
次に孫が来る日が待ち遠しい。
とはいえ、来訪時は双葉ではなくなっているかも知れないなあ。(笑)

畑の周辺の田んぼが慌ただしい。
水を張り代掻きが始まったのだ。
今や米作りは農機なしでは考えられない。
農機だと人出も最小に抑えられる。
手作業が主だった昔の様相とは雲泥の差である。
子供の頃、
農繁期は子供も貴重な戦力扱い。
田舎では農繁期は特別に学校が休みになった。
休みになったからと言って遊べるわけではない。
田んぼ仕事の手伝いに駆り出された。
苗を育てる苗代があり、
田植えになると、
そこで苗とりをしたものだ。
抜き取った苗を適当な量にまとめて、
藁でくくり、植え付ける田んぼへ運ぶのだ。
水のためられた苗代に家族が一斉に入って野作業だった。
わいわいと結構楽しい雰囲気の中、
突然恐怖に襲われるわたし。
足を見ると、黒いものがへばりついている。
それも一つだけではない。
引っぱるとゴムのように伸び、離れない。
引き離すと、
なんと赤い血が!
そう、血を吸われていたのだ。
この蛭が恐怖の元凶だった。
気色悪くて自分ではがすこともできず、
苗代に立ち尽くす私。
それをはやしてる兄を始めとした家族。

田んぼの作業を見ていると、
思い出が走馬灯のように浮かび消えていく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする