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こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

小説・ぼくらの挑戦ーそれは(完結)

2015年04月05日 00時03分53秒 | 文芸
末松は相変わらず酒を食らいながら、東京行きの準備をしている有子にブツブツ愚痴った。これまでのように声を荒げはしなかった。
「……娘が東京へ恥晒しに行きよんのん、止めるもどないも出来ひん父親て、一体なんやねん。情けのうて、情けのうて…世の中のやつらに馬鹿にされるんも当然やわなあ。ええか、有子。所詮もんはもんでしか分かり合えへんのや。…そやないか、有子。お前がなあ、あの中川の糞ったれめの芝居に出よったら、どない新聞に書かれよったか、まだ忘れとらんやろ。ふん。差別の問題を正面から見据えたテーマの舞台『壁よ!』は、被差別に生きる主人公を、作品のモデルとなったの女性が勇気をもって演じ、白熱の訴えをし、会場に感動を与えた…だとよ。フフン。お前は見世物やがな。ちゃうか?それでも、お前、満足なんか?それで差別がどないかなるんか?どないもなるかい。どないかなるぐらいやったら、当に差別はのうなっとるわい!クソッタレが……!」
 酒をかっ食らってブツブツ文句を足れる末松は感極まったか、目を潤ませた。父の言わんとすることはよく理解出来た。だからと言って、声を上げないのは間違ってる。そう…!
 これまでのように単純に逆らえない何かが、末松の姿にあった。父の鬱屈してみえる姿に夫、真治の姿が重なる。だから、東京に向かう有子は、いつまでも妙に父が気に掛かってしかたがなかった。
有子は誠悟が問い掛ける目を避けなかった。
「うちが東京の舞台の上で、現実にこんあ差別が罷り通っていると、心から叫んでみたって、なんになるんやろ。……そない思えば思うほど、どんどん空しゅうなってしまうん」
 そこには、あの戦う姿勢を決して崩そうとしなかった有子の姿は、もう微塵もなかった。
「有ちゃん。そない弱気になったら、あかんで。差別は君だけの問題やない。そやろ。人間一人ひとりが差別のいやらしい現実をちゃんと受け止めて、次への一歩を踏み出すことが、いま必要なんや。そのきっかけになろうとしてるんやろ、ボクらは。ボクらは芝居を…舞台を通して、その先陣に立つんや。僕らが差別に挑戦するんや。蟷螂の斧や言われるかも知れへん。分かってるこっちゃ。僕らは差別という巨人に挑む蟻の仲間や!僕も有ちゃんも、もう一人やないんやど!」
 誠悟は有子にではなく、自分を鼓舞していた。それを有子もよく分かっていた。

 東京最後の日を遂に迎えた。本大会で栄冠を得た最優秀賞の兵庫県代表、優秀賞の北海道代表と二チームが、日生会館ホールで大会の掉尾を飾る受賞部隊の再演をしてみせる。
 舞台袖に待機する誠悟は、胸の高鳴りに身を委ねながら、今日に至る悪戦苦闘する日々を思い出した。その成果が、二日前の本番舞台だった。誠悟らの舞台『壁よ!』は差別を真摯に描き出し、観客に感動を与え、共鳴を得ることに成功した。その感動と共鳴は、いつの日か差別の見えぬ壁を突き崩す原動力になると信じたい。
 いきなり誠悟の左手を捉まれた。温かくて華奢な指がきれいに並んでいる。有子だった。
「有ちゃん……!」
「ショウちゃん。…わたしたち、やり遂げたんやね」
「ああ」
「…うん。ショウちゃんが一緒だったから…それに仲間のみんなも……有難う…!」
「うん!ありがとう」
 誠悟は、勇敢なる挑戦者の手を力強く握りしめた。
 一ベルが鳴った。いよいよ始まる。僕らの舞台が、僕らが挑戦のファイナルの時が。ついに来た!
 有子は緊張した顔を笑顔に変えた。舞台の主人公が躍動を始める。誠悟はポンと有子の肩を叩いた。小堀啓介は右手を差し出す。香住彩恵が手をつなぐ。若い二人の恋と差別への挑戦が始まった。
「これからや。これからが、大事なんや」
 仲が先生の声が二人の耳に届いた。そうだ、これかが大事なのだ。
 本ベルのブザーが鳴り響く。緞帳幕がグーンと引っ張られ、スルスルと巻き上げられる。緊張の一瞬!緞帳幕と演台の隙間がゆっくりと広がる。
 暗闇に包まれひっそりと静まり返った客席が、板についた二人の若者の目に飛び込んだ。鼓動を意識して抑制する観客。彼らは感動を待っていた。照明が落とされた客席の闇の中で固唾を呑んでいる。
 その闇も永遠には続かない。いつか必ず晴れるのだ。晴れた先に、若者らは、きっと発見する!希望という世界を手に入れる。
 しかし、本当の挑戦は、それから始まる。差別と言う荒野は限りなく続いているのだから。            (完結)
(平成6年度のじぎく文芸賞受賞作品)
 


 
 


 
 



 
 


 
 

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